第二十五話 ―異世界チョコレート バレンシュタインDAY ―
ダンジョンの出口に差し込む夕陽は、いつもより柔らかく見えた。
一行の足取りは、どこか浮き足立っている。理由は単純だった。
「……増えたな」
ノアの呟きを、誰も否定しない。
救出した王子と護衛たち。投降した暗殺者一名。さらに、その後ろには『首刈り』とその手下三名。
出発時の倍近い人数が、活気ある足取りで同じ方角へ歩いている。
街門を潜った瞬間、空気が華やかに変わった。
甘い匂い。
並び立つ屋台。
黒い菓子を手に笑う人々。
この地には、一つの祝日がある。
バレンシュタインDAY――甘味の誕生を祝う日。
はるか昔、この国に一人の転生者がいた。名をバレンシュタイン。
職業は農家。だがその権能は作物を極限まで最適化し、発酵を操り、甘味を生み出すという異質な力だった。
彼は黒実樹と呼ばれる苦い実を改良し、「固める甘味」――すなわちチョコレートをこの世界に初めて生み出した。
血ではなく“甘い記憶”が刻まれた最初の日。それが今日である。
宿屋の一室を借りると、全員が自然と車座になった。
暗殺者は窓の影に座り、首刈りは武蔵の背後に直立し、王子は物珍しそうに周囲を見渡している。
その空気を破ったのは、聖女だった。
「……作りましょう」
「何をだ」と、鉄壁が問う。
「チョコレートです」
一瞬の静寂。
そして全員が、期待に目を輝かせた。
聖女は無言でエプロンを装備した。回復魔法ではなく、温度固定の術式を展開する。
「甘味は精密作業です」
その号令に合わせて作業が始まったその時、室内にふわりと影が落ちた。
「……遅れた」
別行動をしていた半蔵が、いつの間にか窓枠に腰掛けていた。
合流を喜ぶ間もなく、聖女が鋭く指を差す。
「半蔵さん、丁度いいところに! 刻みをお願いします!」
半蔵は無言で頷き、得物を包丁に持ち替えて輪の中に加わった。
* 聖女:温度管理と砂糖生成。異様な集中力。
* 鉄壁:型流し。巨大な手を繊細に操る。
* 武蔵:石臼で豆を挽く。ドゴォンと響く重低音。
* 半蔵:刻み。合流するなり神速の業。音もなく均一な粒子へと変える。
* 暗殺者:溶解担当。気配を消し、滑らかに溶かす。
* 首刈り:攪拌。真顔で全力の超高速回転。
* 手下三名:型を並べる。異常な几帳面さ。
* 王子:味見係。「うまっ……」
途中、首刈りがハート型を量産し、室内の動きが一度だけ止まった。
「……戦場でも、型は選べ。悪くない」
半蔵の呟きに、首刈りは深く頷いた。
それは、異世界ならではの錬成風景だった。
火属性魔法でテンパリング。
氷魔法で急速冷却。
重力魔法で気泡を抜き、聖女の浄化で雑味が消える。
もはや料理ではなく、至高の結晶を造る儀式に近かった。
やがて木皿に、黒い光沢が並ぶ。
月光を吸い込み、静かに艶めく小さな塊。
一口。
全員の肩から力が抜ける。
「……戦場でも配れるな」と鉄壁が笑う。
「甘いが、斬れる」と武蔵が目を細める。
「毒にも出来る」と半蔵が呟く。
「あなた達は黙りなさい」と聖女が嗜める。
暗殺者は一粒を大切に懐に入れ、王子は目を輝かせた。
ノアは最後に一つ摘まみ、口に運ぶ。
「……悪くない日だ」
誰も反論しなかった。
命を奪う者も、救う者も、首を刈る者も。
この日だけは、同じ甘味を口にする。
黒き菓子は、武器にも、毒にも、記憶にもなる。
だが今だけは――ただの甘味だった。
それが、バレンシュタインDAY。




