第二話 ―導く者の初陣―
神授の儀から三日後。
少年は再び、迷宮の入口に立っていた。
石造りの巨大な門。
暗闇が口を開けている。
「本当に連れて行くの?」
母が腕を組む。
「散歩だ」
父は前と同じことを言う。
「散歩の規模がおかしいのよ」
だが母は止めない。
止められないのではない。
少年が、自分の足で立っているからだ。
背中に背負われていた頃とは違う。
今日は、自分で歩く。
腰には小さなポーチ。
中身は空。
だが少年の“中”は空ではなかった。
広大な空間がある。
何でも入る。
終わりが見えない。
アイテムボックス。
「危険だと思ったら戻る」
父が言う。
「危険は、たぶん分かる」
少年は素直に答えた。
二刀の男が笑う。
「頼もしい荷物持ちだ」
黒装束の男は何も言わない。
だが一瞬だけ、少年の足元を見た。
線が見えているのを、感じ取っているようだった。
⸻
迷宮一層。
浅い階層だが、油断すれば死ぬ。
通路は三つに分かれていた。
左は暗い。
右は静か。
中央は、重い。
少年には“線”が見える。
細く光る道。
中央へ続いている。
「まっすぐ」
父は頷き、盾を前に出す。
数歩進んだ瞬間、影が動いた。
ゴブリンが三体。
短剣を持ち、唸り声を上げる。
少年の胸がわずかに熱くなる。
怖くない。
だが前にも出ない。
代わりに、手を伸ばした。
言葉はない。
詠唱もない。
空気が歪む。
足元に黒い円が広がる。
霧が立ち上り、骨の音が鳴る。
カタ、カタ、カタ。
骸骨の兵士が一体、姿を現した。
錆びた盾と剣。
だが立ち姿は、妙に整っている。
「……おいおい」
二刀の男が目を見開く。
「アンデットか」
黒装束の男が小さく呟く。
母は息を止め、父は――動かない。
少年は骸骨を見る。
怖くない。
嫌悪もない。
ただ、そこに“いる”。
ゴブリンが飛びかかる。
骸骨は盾で受けた。
金属音。
踏み込み。
斬撃。
一体が倒れる。
「……使役、か」
母の声は静かだった。
少年は頷かない。
ただ、次の線を見る。
右側。
壁の向こう。
小部屋。
「父さん、右の壁の奥に部屋」
父は一歩下がる。
二刀の男が前へ出て、刀を振るう。
石が砕ける。
隠し部屋が現れる。
中には宝箱が一つ。
「なんで分かるんだ?」
「線がある」
「線?」
「……道」
二刀の男は笑う。
「なるほど。俺たちには見えない道か」
⸻
宝箱の中身は魔石と短剣。
少年は短剣を手に取る。
重い。
だが、戦う気は起きない。
代わりに、手の中の短剣が消えた。
アイテムボックス。
「便利ね」
母が微笑む。
「容量は?」
「……たぶん、いっぱい入る」
本当は“いっぱい”ではない。
底が見えないだけだ。
⸻
さらに奥へ進む。
空気が変わる。
湿度。
魔力。
気配。
少年の胸が強く脈打つ。
線が分岐する。
安全。
遠回り。
危険。
最短。
最短の線は、赤い。
「……今日は、ここまで」
少年は言った。
父が少年を見る。
「危険か?」
「うん。でも――」
赤い線の先に、もう一つの光が見える。
階段だ。
下層へ続く道。
「……次は、もっと下に行ける」
父は頷く。
「じゃあ今日は帰る」
二刀の男が肩をすくめる。
「初陣としては十分だろ」
黒装束の男が、少年の横を通り過ぎる瞬間だけ言った。
「お前は前に出るな」
「うん」
「そのままでいろ」
少年は意味を聞かない。
分かるからだ。
⸻
迷宮の外に出る。
空が青い。
眩しい。
骸骨の兵士は、光に触れた瞬間、砂のように崩れた。
少年は静かに見送る。
悲しくはない。
怖くもない。
また呼べる。
それだけだ。
「どうだった?」
母が聞く。
少年は少し考えて答えた。
「……迷わなかった」
父が笑う。
「それで十分だ」
この日、少年は理解した。
自分は剣にならない。
盾にもならない。
だが――
誰も迷わせない。
それが、自分の役目なのだと。




