第十七話 ―追跡者の影―
崩落した通路の先。埃が舞う静寂の中に、ひどく場違いな荒い呼吸が混じっていた。
瓦礫に腰を下ろした一団の姿は凄惨だった。鎧は幾多の打撃を受けてひしゃげ、自慢の盾は無残に欠け、剣先は脂と刃こぼれでその鋭さを失っている。だが、彼らの瞳の奥に宿る「生」への執着だけは、まだ潰えてはいなかった。
ただ、数秒おきに暗い背後を振り返るその強迫観念めいた仕草が、彼らが極限まで追い詰められている事実を雄弁に物語っていた。
そこへ、二つの足音が近づく。
一つは岩を砕くような重く規則的な歩幅。もう一つは、羽毛が落ちるような、柔らかくも迷いのない足音。
「……誰だッ!」
一団のリーダー格が、震える手で剣を半分だけ引き抜く。反射的な殺気。それに対し、暗がりの先から現れたのは、巨岩を思わせる大盾を背負った男と、血の臭いにそぐわない白衣を纏った女だった。
「落ち着いて。私たちは敵じゃないわ」
聖女が静かに、拒絶を解くように両手を上げる。しかし、冒険者たちの疑心暗鬼は容易には晴れない。むしろ、この地獄に現れた「綺麗すぎる存在」を警戒し、その視線は一層鋭くなった。
だが次の瞬間、彼女の指先から淡い真珠色の光が溢れ出した。――高位の回復魔法。
光が触れた箇所から、裂けた皮膚が吸い付くように塞がり、毒に焼かれていた指先の震えがぴたりと止まる。
「……嘘だろ、ヒーラーだと?」
それは単なる治療ではなかった。絶望に沈んでいた魂に、温かな安らぎを直接流し込むような慈愛の光。一団の張り詰めていた緊張が、音を立てて緩んでいく。鉄壁の男は周囲の警戒を解かぬまま、低く、地響きのような声で断言した。
「背後のモンスターはこちらで間引いてある。ひとまずは安心しろ」
「……助かった。正直、ここで果てるのがオチだと思ってたよ」
弓兵の男が、乾いた笑いを漏らしながら口を開く。その腰の矢筒は空。残っているのは、折れかけた数本の矢だけだ。
鉄壁が「何があった。これほどの連中が何故ここまで追い込まれた」と短く問うと、男は乾いた唇を舌で湿らせ、憎悪を押し殺すように吐き捨てた。
「……嵌められたんだ。背後から、弓でな。真っ先に狙われたのは、俺たちのヒーラーだった」
男の語る内容は、あまりに卑劣だった。
ギルドで持ちかけられた、前金20金貨という破格の依頼。「少年をダンジョン6階層まで護衛してほしい」という内容だった。用意された腕利きの斥候――それが全ての元凶だった。
「その斥候は確かに有能だったよ。俺たちが気づかないうちにモンスターの群れを集め、絶妙なタイミングで俺たちの方へ誘導しやがった。仕上げには、魔物を狂わせる誘引剤をばら撒いて逃げやがったんだ」
語る男の視線が、ふと二人の背後に佇む少年に止まる。
薄汚れた環境には不釣り合いな、上質な意匠の施された旅装。そして、隠しきれない高貴な佇まい。
「……なあ、あんたたちの後ろにいるその坊ちゃん……何者だ? ただの金持ちの息子には見えねえが」
問いかけに、少年が微かに肩を揺らす。
聖女は少年の動揺を遮るように、穏やかに微笑んだ。その瞳の奥には、すべてを見通すような冷徹な知性が宿っている。
「さあ、どうなのかしらね?」
しかし、少年は意を決したように一歩前へ出た。
「……他言無用で頼む。今の僕は、ただの迷い人だ。だが……一応これでも、サリバン王国の第三王子、エルム・サリバンだ」
その言葉が落ちた瞬間、空気の温度が数度下がったかのように凍りついた。
冒険者たちは、その衝撃的な告白に息を呑み、戦慄に身を震わせる。一方で、鉄壁の表情は微動だにしない。だが、彼の思考は高速で回転していた。
(王子の暗殺によるダンジョン介入の口実、あるいは国家間交渉の切り札としての拉致か……)
この襲撃の意図は、単なる強盗の類ではない。もっと狡猾で、血の臭いがする政治的策謀だ。
半蔵が事前に察知していたほどのプロの犯行。これはカウンタートラップ用の「炙り出し」だ。護衛の戦力を削り、消耗させ、最も油断する「救出の瞬間」こそが、真の狙い。
王子がこの程度の小規模な護衛で動かされていること自体、敵にとっては計算済みの「餌」に過ぎないのだ。
その思考を裏付けるように、通路の奥から鋭い殺気が放たれた。
冒険者の荒々しい殺気とは質の違う、剃刀のように冷たく、練り上げられた明確な死の気配。
暗闇から染み出すように現れたのは、三名の影。
全身を光を反射しない黒の夜装束で包み、表情を隠す目出し帽。その手には、獲物の急所を最短距離で貫くための短剣と、音もなく命を奪うための特殊な鎖が握られている。
暗殺者たちは無言のまま、獲物を、そして「王子の首」を逃さぬよう、唯一の出口を完全に封鎖した。




