5 真相
新居のキッチンには必要なものがすべてそろっていた。ジーナが一番好きな銘柄の紅茶をカインが淹れてくれて、カップが二つテーブルに用意され、二人は向かい合って座った。
「俺の話を聞いて、俺が嫌いになったら、一生俺とは関係を持たなくていいよ。俺と会話したくなかったらしなくていいし、俺の姿を見たくなかったら、俺はジーナの視界から消える」
「そんな…… 嫌いになんてならないわよ」
両思い状態なのに、カインはどうしてそうなるのかわからない話をした。ジーナはすぐさま否定したが、カインは思いつめた表情になり沈黙してしまう。ジーナは、とにかく話を聞こうと続きを促した。
「俺が前置きとして言いたいのは、『契約』の内容だけは守ってほしいってことだ。俺以外の誰とも肉体関係を持ってはいけないし、誰とも恋人になってはいけない。君は一生俺のものだからね」
「そんなの、もちろんよ」
ジーナは、独占欲の見えるカインのセリフにやや頬を染めつつ頷いた。
「――俺は、獣人なんだ」
意を決した様子のカインは、ジーナには荒唐無稽としか思えない告白をした。
ジーナは目をパチクリと瞬きさせた。
「何言ってるの? 嘘よね?」
獣人とは、人間の生活を脅かす天敵のような存在だ。獣人の討伐のために銃騎士隊が組織されていて、カインだってその銃騎士の一員である。仮に本当にカインが獣人だとしても、獣人を殺そうとする組織に所属するなんておかしな話だと思った。
カインが獣人なんてそんなことあるわけない――と、ジーナは最初はそう思った。
「嘘をついてどうなるの?」
その返しにジーナは固まった。ジーナはカインの性格をよくわかっているつもりだ。カインは人を困らせるようなたちの悪い嘘はつかない。
「で、でも…… 学校の給食だって、普通に食べてたじゃない」
ジーナはカインが獣人ではない証拠を探そうと、頭の中の記憶を探った。
獣人は肉食なので、基本的には野菜が食べられない。中には少量であれば食べられる者もいるそうだが、カインは好き嫌いは全くなくて何でも食べていたし、おかわりだってしていた。
「野菜を食べられたのはね、魔法で野菜を肉の成分に変えていたからだよ。
一年生の頃の俺って、よく自宅から調味料を持ってきてなかった? あれにそういう魔法効果が付与されてたんだ。でも魔法の力に覚醒してからは、魔法の調味料がなくても、自分で成分を変えられるようになったよ。
それから、成長するにつれて段々と、魔法を使わなくても人間と同じくらいに野菜が食べられるようになった。今の俺は獣人としてはたぶん特異体質だと思う」
カインの話を聞きながら、確かに彼が昔学校に調味料を持ってきていたことを思い出したが、ジーナはそれよりも、別の言葉に引っ掛かってしまった。
「魔法……」
魔法なんて物語の中だけに存在するもので、この世にはない、とされている。だが、ジーナは魔法に近しい力の存在を知っていた。歩けなかったジーナの足を完治させた聖女マグノリアの力だ。
ただ、魔法ではなくて、『神から授けられた聖なる奇跡の力である!』と、確かマグノリアの父親であるラペンツ男爵は触れ回っていたはずだ。
ジーナが魔法の力を検証すべく、マグノリアに治療してもらった子供の時のことを思い出そうとしていたら、突然、目の前のカップが宙に浮いた。
「はっ?」
目がおかしくなったのかと思ったが、今度はジーナたちが座っているテーブルソファの周囲、リビングの床に緑の植物がにょきにょきと生えてきて、現れた蕾が花開き、一面が真っ赤な薔薇のお花畑みたいになった。
「ふぁっ?」
ジーナは驚いた声を出しながら目が点になった。奇術師が行うトリックのある見世物の類にしては、仕掛けが壮大すぎて、魔法の存在を信じざるを得ないような状況だった。
おまけに、窓は開いていなかったはずなのに、室内にどこからか鳥まで現れて――どこかで見た鳥だと思った――、くちばして器用に摘んだ薔薇を一輪、呆気に取られているジーナの茶色の髪に綺麗に挿してくれた。
「住めなくなるから後でちゃんと元に戻すよ。この薔薇は温室にでも移そうかな」
カインは何てことないように言っているが、花畑が現れるという「魔法が使われた光景」に大変な衝撃を受けたジーナは、記憶の底に眠っていた「とある光景」を思い出した。
「――私、死ぬところだった…… カインが助けてくれた……」
脳裏に蘇るのは、幼い頃の光景。
――建築資材が落ちてきて、激痛を感じた次の瞬間にはすべての痛覚が消えていた。ただ上手く呼吸ができなくて声も出せず、急速に目の前が暗くなって、「ああ、死ぬんだ」とだけ理解した。
『ジーナ!』
視界が完全に真っ暗になる前に、カインの尋常ではない叫び声が聞こえてきて、次いで優しい光が見えた。光が現れると、足以外の全身の苦しみがスッと和らいで、視界が明るくなって像を結び、号泣している時でも綺麗なカインの顔が見えた。
『ジーナ、ごめんね! 僕のせいだ!』
泣きじゃくるカインは、ジーナの両足にかざした両手から優しい色合いの光を出していた。ほんのり温かくて、優しくて、不思議な光。その光の力で、カインが自分を必死に治療してくれてるのは何となくわかったが、どれだけ光に包まれても、足の痛みだけが消えなかった。
ジーナはカインに背負われて病院に運ばれている途中で気絶して、一日眠り続け、起きた時には建築資材に潰されたこと自体――カインが魔法を使ったこともすべて――忘れていた。
覚えていたのは、入ってはいけない場所でカインと楽しく遊んでいたことだけで、ただ、動かない両足だけが、ジーナが事故に遭った現実を如実に告げていた。
「どうして忘れていたの! あんな状態で! カインは私の命を助けてくれた!」
顔を両手で覆って泣きじゃくるジーナの隣にカインが移動して、申し訳なさそうにしながら背中をさすっている。
「ごめん、記憶のことは…… ブラッドレイ家の意向で、俺たち一家が魔法が使えることをできる限り隠すために、事故の時のジーナの記憶は消すことになったんだ。覚えてないのは当然だよ。むしろ俺は、死にかけた記憶なんてない方がいいんじゃないかって思ったから、反対しなかった。
でも、術を掛けても何かの拍子で思い出すことがあるみたいなんだ。俺が不用意に目の前で魔法を使ったことがきっかけで、辛いことを思い出させてごめんね」
ジーナは首を振った。
「謝らないで、カインは私の命の恩人なの」
「でも、俺が遊びに誘わなければ、ジーナはあんな目に遭うこともなかった……」
「それでも、カインがいたから、私は生きていられるの」
感謝するジーナに対して、カインは辛そうな表情になる。
「ジーナ、俺は、君の命を脅かすだけの存在でしかないよ。俺と一緒に暮らして、俺と関係してしまったら、ジーナは『悪魔の花嫁』として、獣人と同様に処刑対象になってしまう」
『悪魔の花嫁』は獣人の番になった女性のことを指す。人間社会は全獣人の抹殺を目指しているが、獣人と同様に、獣人の番になった『悪魔の花嫁』も処刑対象である。
「だからジーナから離れようと思った。身元のしっかりとした、セルゲイ様みたいな人間の男と結婚して幸せになれるなら、俺はそれでいいと思ってた。ジーナの足は兄さんが完全に治療したし――」
「ちょっと待って、私の足を治したのは、聖女マグノリア様じゃないの?」
カインの話の途中で、ジーナはすかさず疑問を投げた。
「ジーナの足を治したのは、魔法でマグノリアさんに化けたジュリ兄さんだよ」
「ジュリ兄さん」とは、カインの長兄で銃騎士隊のトップになり、貴族にもなったジュリアス・ブラッドレイのことだ。
「カインの家族はみんな魔法が使えるの?」
「母さん以外は使えるよ。それから、父さん以外は全員が獣人。だけど、獣人だから魔法が使えるってわけじゃないよ。魔法使いの父さんの血を引いたからだと思う」
(カインのお母さんと、兄弟の全員が獣人……)
ジーナは、とんでもない秘密を知ってしまったと緊張感を持った。
「古い傷を完全に治す魔法は誰も使えなかったんだけど、あの頃、ジュリ兄さんがそういう魔法の力に目覚めてね。
でも、俺たちが『魔法使い』っていうのは隠したかったから、マグノリアさんの存在を借りた」
「そうなんだ……」
「俺は、ジーナが歩けるようになった時に、ジーナはこれから何の憂いもなく、希望に満ちた人生を歩みだすんだろうって思った。だけど、実際は、俺が思っていたのとは何だか様子が違ってて、ジーナはセルゲイ様といても、どこか不満みたいで……」
ジーナは貴族であるセルゲイに対して、あからさまな不満を口にしたり態度に出したことはなく、いつも何事もなかったかのように振る舞っていた。しかし幼馴染のカインは、ジーナの気持ちに気付いたのだろう。
「ジーナが望んでいないのに奪おうとするのが許せなくて…… 二人の仲をいつも邪魔してた。ジーナのことが心配で、魔法で動くこの『鳥』とか透視の魔法とか使って、ストーカーみたいにいつもジーナのそばにいて、ずっとジーナのこと見てた」
――俺は犯罪者です。ごめんなさい。
そう言って、罪の告白をしたカインはうなだれたが、ジーナは彼に悪感情は全く湧かず、むしろ守られていたのだと思った。
『大丈夫だよ、ジーナ。君が辛い時も苦しい時も、僕がそばにいるよ。ずっと一緒にいるから』
(カインは約束を守ってくれていたのね……)
「いいのよ、カイン。私を守ってくれてありがとう。私の方こそ、嫌いなんて嘘を言ってごめんね。本当はずっと大好きだったよ」
ジーナは涙を拭いて、カインに抱き着いた。
「俺はずるい。ジーナが娼館に行かなきゃいけない状況を利用した。ジーナは真面目だから、『契約』をすれば、それを守るために、俺が獣人だと知っても、そばにいるだろうって思った。
俺は、嫌だったんだ。ジーナが不特定多数の人とそんなことになってしまうくらいなら、俺が囲ってしまえって思った。ジーナの自由を奪うことにはなるけど、ジーナの人生は俺が全部もらうって。
ただ、そばにいてくれればいいんだ。俺は獣人だから、男女にはならなくてもいい。ジーナは獣人のことが怖いだろう?」
ジーナは商会の仕事で物資を各地に運ぶことがあって、確かに、獣人の被害を目の当たりにして衝撃を受けて、獣人に強い恐怖を覚えたこともある。目の前に獣人がいたら、確実に叫んで逃げ出しているだろう。
けれどジーナは、この人だけは違うと思った。自分の命を助けてくれたカインが、自分を殺すことは絶対にないと確信しているし、カインとこれからも一緒に生きていけるのだと思えば、喜びしか感じなかった。
「大丈夫よ、カインだけは怖くない。あなたが人間でも獣人でも、私はあなたを愛してる」
「ジーナ、ジーナ…… ありがとう。俺も愛してる」
二人の唇が触れ合う。
(これは最後のキスじゃない。これからも何度だってできる)
カインの優しくて温かい唇の感触は、あの日ジーナを死の淵から助けてくれた、不思議な魔法の光に似ている気がした。




