第三話
土御門が二級試験の参考書を読んでいると、呼び鈴が鳴ったので立ち上がってドアの前まで移動する。
鍵を開け、ドアを開こうとしたがその前に向こう側からドアが開かれた。
「こんばんはツチミカド、今日もよろしく」
向こう側からドアを開けた野は土御門が現在担当している超能力者の少年である蒼だった。
蒼は土御門の部屋のドアの鍵を持っているが、女の子の部屋に勝手に入るわけにはいかないと毎度毎度律儀に呼び鈴を鳴らして土御門が鍵を開けるのを待っているのだ。
別に勝手に入ってきてもいいと土御門は思っているし以前そう言ったが、彼はそういうわけにはいかない、と。
部屋に招き入れられた蒼はテーブルの上にそのままになっていた二級試験の参考書を指差して「これは?」と聞いてきた。
「二級試験の参考書です。……二級以上は学力よりも戦力重視なんでやってもあんまり意味ないんですけどね」
「二級……ああ、狩猟免許の……そういえば君は狩猟者だったね」
「はい」
そんな会話をしながら向かい合わせになった椅子に座って、土御門は蒼に手を差し出した。
差し出された手を取って両手で握った蒼の顔を土御門は見る。
何度見ても惚れ惚れするくらい美しい少年だった。
こういう美しい人間を土御門は彼に会うまで一度も見たことがない。
なんせ前線には土御門と同じく目が死んでいる奴か血気盛んな奴しかいない、こういう穏やかで静かな『美』を持つ人間って実在するんだ、と土御門は世界の広さに観心する。
そんな美しい少年が土御門の手を両手で包み込むように握って、手首につけられたままの腕輪を見て小さく微笑むのだから、土御門は自分が変な勘違いをしやすい馬鹿女だったらきっととっくに何かがおかしくなっていたんだろうなと思う。
土御門は馬鹿で阿呆で間抜けな愚か者だが、自分の無能さと出来損ないさをよく理解していたので当然そんな勘違いなど起こさなかったし、今後起こすような愚を犯すこともないだろう。
「僕は外の世界のことをよく知らないからよくわかっていないんだけど、君ってどのくらい強いの?」
「大して強くないですよ。やっと三級になったばかりですし」
「……ごめん、三級がどの程度の実力なのかが、よくわからない」
申し訳なさそうな顔でそう言われた土御門はハッとした。
土御門にとっては常識だったが、狩猟者どころか幽閉状態であるらしい彼が狩猟者のことをどの程度わかっているのかを考えずに土御門は話をしていた。
そんな自分の思い至らなさに土御門は申し訳なさでいっぱいになった。
「すみません。三級は世間的にはギリギリ一人前であると判断される程度です。私の場合はなったばかりなんで駆け出しレベルですね」
「そうなんだ……けど、すごいね。僕と同い年なのに、もう一人前と認められているんだ」
感心したような顔をされたので、土御門は首を横に振る。
「いえ全然そんな大したことじゃないです。……むしろ私は遅いくらいでした。私よりもずっと年下でも二級とか一級持っている人は結構いますし」
土御門は馬鹿で阿呆で間抜けな愚か者だったので、ハンマーを振り回す以外に出来ることなんてほぼなかったが、その唯一できることですら大した才能がなかった。
ついでに簡単と言われている筆記試験の方で落ちまくっていたので、中々級を上げることができずにいたのだった。
なので本当に大したことがない、というか落ちこぼれなのだ。
「そうなの?」
「そうなんです」
「ふーん……ところで僕、狩猟者の人が戦っているところって一回も見たことがないのだけど、本当になんの超能力も持たない人間が魔物を倒せるものなの?」
「え?」
思いもよらない質問をされた土御門は思わず蒼の顔をじいっと見つめてしまった。
しかし、外の世界をほぼ知らないであろう超能力者の少年であるのなら、そういった疑問を持つのは当然かもしれない。
というか以前土御門は前線でこんな話を聞いたことがある。
前線以外の人間は、大人であっても魔物相手には本当に何もできないのだと。
土御門は当時そんな馬鹿な話があるわけないと思っていたが、前線にすらまともに戦えない人間はいるし、それならば前線以外の人々がそうであってもおかしくない、と今は考えを変えている。
土御門があまりにも間抜けな顔をしていたからだろう、蒼がオロオロとし始めたので土御門は慌てて口を開く。
「ええ。倒せますよ。流石に武器を持たずに倒せるような方は中々いませんけど、武器さえあればどうにかなります」
「そういうものなんだ……」
「そういうものなんです」
「……ちなみに、君の武器ってどんなの?」
「ハンマーですよ。……こう……普通の金槌の槌の部分をちょっとだけ大きくして、柄を伸ばした感じの……ほぼメイスみたいなやつ……」
土御門は自分の武器のことをただ単にハンマーと呼んでいるが、それだけだとゴツいのを想像されそうな気がしたので一応追加で説明した。
「威力はそんなにないんですけど、一応大型種で……っていうか、これです、これが大きくなったやつ」
土御門は骨折している方の手の指で自分のネックレスを指差した。
「これが……?」
「そうです、これが私の仕事道具であるハンマーです。……大型種は前線以外だとロックがかかっちゃうので、今は使えないんですけどね。というかロックが外れてもこんな腕なのでどちらにせよ今は使えませんけど」
そういえば『花籠』は中型種までだったら使用可能だったことを土御門は思い出す。
小型種はほとんどどこでも使用可能、中型種は一部地域で使用不可、大型種は前線以外では基本使用不可。
前線を出る気がなかったのでそんなことどうでもいいと思っていたが、人生何が起こるかわからないものだと土御門はしんみりと思った。
「……へえ、そういえば小型化技術が使われた武器って初めて見たかも。使う時はこれが大きくなる、っていうことで合ってる?」
「あってます」
小型化された武器を見たことがない人って実在するんだ、と土御門は内心驚きつつ、前線以外の普通の人ってどうやって生活しているんだろうかと一生自分には関わりのなさそうな人達のことを思った。
戦わずとも生きられるというか、戦い以外の何かをしなければ生きていけない人々の世界。
そんな世界に自分がいたら、きっと野垂れ死ぬしかなかったのだろうと土御門は思った。
親がいようがいまいが前線に生まれてよかったと土御門は思う、前線以外の場所で生まれていれば、きっとまともに生きる術なんて土御門にはなかった。
「ふーん……これ以外にも何か持ってたりするの?」
「いえ。私が持ってるのは大型武器種……その中でもハンマー種のライセンスだけなので、ハンマー以外に所持できる武器はありません。……大型が普通に使えるのは前線くらいなんで、万が一他所に行った時のために中型や小型のライセンスの取得が推奨されているのですが……私がまともに扱えたのはこれだけだったので他には何も……そのうち取ろうとは思っているのですが」
最低限五級のライセンスを取れば武器の所持が許可されるので使う気がなくとも小型中型の武器のライセンスは取っておけ、というのが土御門がいた前線でよく言われていることだったが、才能のない土御門にそこまでの余裕はなかった。
「小さい武器って間合いが足りないというか軽すぎるというか……どうにも性に合わなくて……」
「そういうものなんだ……」
そんな会話をしているうちに本日のマナ供給が終了したのだった。
医務室での定期診断の結果、土御門の折れた腕は順調に治ってきているらしい。
この医務室に勤めているという女医がこの調子なら最初に診断された通りの期間で治るだろうと土御門に告げる、それにホッと息を吐いた土御門は女医の顔を見上げた。
その女医は一言で言うと美熟女だった。
土御門はこの『籠』にきてから綺麗な人しか見ていないなと思う。
土御門がこの『籠』にきてからすでに三週間ほど経ったが、土御門がここで目にした人間は蒼とこの女医、そして食事を運びに来る給仕の男性だけだった。
このフロアには土御門以外の蒼の担当のマナ過多者が数名いるらしいが、三週間経っても土御門は彼らもしくは彼女らと遭遇したことはない。
土御門はあまり部屋から出なかったし、それは他の担当の人々も同じであるらしい。
土御門が部屋から出るのは折れた腕の診察の時くらいで、それ以外は特に外に出る理由も必要もなかった。
部屋から出ても鍵がかけられたドアだけが並ぶなんの面白もない空間が広がっているだけだ。
土御門は自分が娯楽を楽しむタイプの人間だったらとっくの昔に発狂していたかもしれないと思った、娯楽がなくとも生きていける土御門には全く問題ないが、そんな土御門でさえこの空間は退屈で何もないと思う。
土御門は退屈でも生きていける人間だが、それでも自分が足を踏み入れたことのない『籠』で一体どんなものを目にすることになるのか、それに全く期待していなかったわけではない。
超能力者という存在をきっと目にするのだろうし、遠い昔に見た映画のように、と思った土御門はふとこんなことを溢した。
「そういえば私、超能力者って今まで一度も見たことがなかったんですよね」
「……アタシは逆に、その歳まで超能力者を一度も見たことがなかった人間に初めて会ったわ」
女医の顔を見上げたまま、そういう人もいるのだなと土御門は思った。
生まれた場所が違えば知っているものも『あたりまえ』も異なるということは、ここしばらくの生活で理解し始めていた土御門は特に驚くことなく女医の言葉にこう返した。
「私がいた前線にはそこまで強力な魔物が出なかったので、超能力者に出動要請するようなこともなかったんです。……ずっと昔に映画で見たことがあるくらいで」
「ふうん。……まあ確かに、普通の街に比べると純粋な武力だけで魔物を屠れる頭のイカ……じゃなくて、猛者が集う前線に超能力者の出動要請が出されることって滅多にないらしいわね。ならそんなところで暮らしていたアンタが超能力者を見たことがない、っていうのも当然の話なのかしら」
今、人によっては結構不機嫌になるような酷いことを言われかかったな、と土御門は思ったが前線の人間の頭がイカれているというのはその通りでしかないためそこにツッコミを入れる気は怒らなかった。
土御門だって普通の人からしたらきっとイカれた気狂いなのだろうし。
戦い以外の他の道がなかったわけでもない、実際土御門と同世代の孤児達の半数以上は戦い以外の道を選んだ。
けれど土御門は戦いを選んだ、それが一番楽だったから。
馬鹿でしかない土御門だって戦い以外の真っ当な生き方はきっと選ぼうと思えば選べた、けれども楽だからという理由で命を奪い合う戦いの道に進んだのは土御門の意思だ。
だから土御門は女医の言葉に何も思うところはない、別にイカれて連中と言い切られても全く問題はなかった。
「はい。私以外にも私がいた前線で超能力者を見たことがあるという人は滅多にいませんでした。というか、もし見たことがあるのならそれ自体が自慢話になるような場所でした」
「はあ……そんな場所もあるのねえ」
不思議そうな顔で女医が言う、超能力者の存在が当たり前の人にとって土御門の話は奇妙に感じるのだろう。
「それで? はじめて超能力者を見た感想は?」
そう問われた土御門は少しだけ考えてから答えた。
「うーん……綺麗な人、って感じですね。前線にはいないタイプの雰囲気が柔らかい人、というか……ああいう感じの人がいわゆる普通と称される人間なのでしょうか……あと、超能力に関してはなんか凄い、という月並みな感想しか……」
土御門は自分が担当する超能力者、つまりは蒼の顔を思い浮かべながらそんな感想を口にした。
戦いを知らない柔らかな手に、優しい笑み、殺さなければ殺されるような極限の状況に身を置いたことなど一度もなさそうな、穏やかな顔の少年。
ここに幽閉されている時点で苦労や苦悩が全くないということは絶対にないのだろうが、土御門やあの前線で生きていた他の子供達のように血泥に塗れた汚い子供達とは確実に何かが違う。
「……ひょっとして、恋とかしちゃってる?」
それは背筋が凍るような冷たい声だった。
女医は厳しいというか、少しだけ恐ろしい顔で土御門の顔を見下ろしている。
「もしそうならやめておいた方が身の為よ」
冷たい声色のまま女医がそう続ける。
土御門はその顔を見て、テレビを見ていた小さな子供の頃の自分だったら泣いていたかもな、と思いつつその言葉を否定した。
「いえ、そんなやましい想いは全く。私みたいに不出来で馬鹿な人間が、誰かに恋するとか分不相応なことしませんよ……私は馬鹿で阿呆な愚か者ですが、そこまで馬鹿ではありませんから」
そう答えると女医は数秒土御門の顔を見つめた後、小さく溜息を吐いて「なら別にいいわ」とつぶやいた。
診断を終えた後、土御門は自分の部屋に向かう。
廊下は明るいがそれは人工的な灯りだけで、太陽の光は一切ない。
土御門の部屋に窓はない、土御門があの部屋で目を覚ました時に感じた違和感もそれだった。
土御門の部屋にも、廊下にも、医務室にも、窓は一つもない。
土御門はここが『花籠』のどこにあるどのような建物なのかはわかっていないが、窓が一つもないことから少なくともこのフロアは地下に存在するのではないか、と推測している。
とはいえ、ここがどこであろうと土御門には関係のない話だった、腕が治ったら立ち去る、そしてその後一生訪れることのない場所だろうから。
廊下を歩いている土御門の耳に、奇妙な音が聞こえた。
「?」
聞こえてきたのは医務室と土御門の部屋の中間地点にあるドアの前を通ったその時だった。
耳を澄ませてみた土御門の耳に聞こえてきたのは、女の悲鳴らしき声だった。
いや、悲鳴というよりはこれは。
甘ったるく甲高い声、前線にいた頃に時折路地裏あたりから聞こえてきた、女の声。
その声が、土御門が知っている人の名を叫んだ、それがうっすらと聞こえてきた。
土御門がたっぷり十秒思考が停止した。
そしてただ茫然とドアを眺めて、その中で何が起こっているのかを空想した。
音が、聞こえてくる、甘ったるい女の声だけが、よがりくるう獣のようなその声だけが。
「っ!!」
土御門は思わずその場から逃げ出すように足を動かした、途中で転びそうになったがどうにか耐えて自分の部屋の中に駆け込む。
ドアを開いて、勢いよく閉じる、鍵を閉めることも忘れない。
ぜえぜえとこんな短距離を走っただけで出るはずのない喘鳴が土御門の喉から漏れる。
土御門の思考は完全に停止していた、あのドアの向こうで何が起こっているのかその答えに辿り着いた時点でまともな考えなんて何もできなかった。
『もしそうならやめておいた方が身の為よ』
先程女医に言われた言葉が土御門の脳裏に響く。
ああ、そういうことですか、と土御門はぼんやりと思った。




