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短編 『神田川』

作者: 小川敦人

短編『神田川』


(一)


「♪金曜日は花買って、パン買って、ワインを買って帰ります。週末には嫁さんとメシ食ってワインを飲んで語ります。ああ、しんど...♪」


下村の歌声が三畳の部屋に響いた時、私は思わず苦笑いを浮かべた。大きな紙袋を抱えて立つ彼の姿は、まさにテレビで流れているサントリーのデリカワインのCMそのものだった。ただし、この日は花は持っていない。代わりにフランスパンの先端が袋から顔を出している。


「おい、それでも金曜日の男かよ」


私がそう言うと、下村は袋から瓶を取り出しながら振り返った。


「花は高いんだよ。パンとワインで精一杯だ」


部屋の隅で本を読んでいた三津子が顔を上げて笑った。その笑顔を見て、私は改めて思った。花なんてなくても、この瞬間は十分に美しい。


中野のアパートに越してきてから、もう二年が経とうとしていた。一階に私、二階に三津子。形式上は別々の部屋だが、実際には二階の彼女の部屋で過ごすことの方が多かった。私の部屋も三津子の部屋も同じ三畳一間で、畳の上に布団を敷けばそれでいっぱいになってしまう。三津子の部屋には段ボールを逆さにしたテーブルと、中野ブロードウェイの一本脇道にある質屋で買った十四インチのテレビが置いてあった。


「テレビでもつけるか」


下村がワインを開けながら言った。画面に映ったのは、偶然にもサントリーのCMだった。当時の世相を映したような"とぼけた"ような歌声で「金曜日は花買って」と歌っている。下村と私は顔を見合わせて笑った。


「現実はこんなもんだな」


私がつぶやくと、三津子が「でも、これはこれで楽しいじゃない」と返した。



(二)


遡ること三年前、私たちが静岡から上京したのは昭和四十六年の春だった。三津子とは高校一年生の時から付き合っていた。彼女は静岡市内の私立女子高に、私は公立の自称進学校に通っていた。


付き合い始めた頃、ちょうど由紀さおりの「夜明けのスキャット」がヒットしていた。あの美しいメロディーは私たちの青春そのものだった。高校時代のデートでは、必ずと言っていいほど喫茶店でこの曲が流れていた。三津子はよく言っていた。


「私たちの歌は『夜明けのスキャット』なのよ」


確かに、あの曲が流れると二人の距離が縮まるような気がした。美しいスキャットが、言葉では表現できない私たちの気持ちを代弁してくれているようだった。


東京の大学への進学は、高校三年生の新学期に二人で決めた。一緒にいたい、その一心だった。


上京当初は立川の叔母の家の二階を間借りして、毎日中央線で大学まで通っていた。三津子は板橋の別の大学の女子寮に住んでいたが、上京後初めて再会した時、お互いの顔がほころんだのを今でも覚えている。高校時代とは違う東京という環境で、私たちの関係はより深いものになっていった。


"一緒に住みたい"と思った。いや、正確には一緒に住まなければやっていけない、と感じていた。立川から板橋まで片道一時間半、交通費だけでもばかにならない。三津子の寮費も安くはなかった。何より、静岡から一緒に出てきたのに離れて暮らすことの寂しさに耐えられなくなっていた。


中野を選んだのは、お互いの大学への中間地点だったからだ。中野駅前の小さな不動産屋で、若い営業マンが私たちに物件を紹介してくれた。


「学生さんですね。ご夫婦?」


「あ、いえ、まだ...」


私が口ごもると、三津子が「婚約者です」と言った。嘘ではないが、正式に婚約したわけでもない。ただ、そう言わなければ部屋を借りることすら難しい時代だった。


敷金、礼金、仲介手数料。どうやって工面したかは今でも思い出せない。三津子がアルバイトで貯めていた貯金と、私が立川の叔母に頭を下げて借りた金で、なんとか契約にこぎつけた。


引っ越しといっても、荷物はほとんどなかった。私の持ち物は本とギター、それに衣類が少し。三津子も似たようなものだった。家具を買う余裕などなかったので、近所のスーパーで段ボールをもらってきて、それを逆さにしてテーブル代わりにした。


「これはこれで、おしゃれじゃない?」


三津子はそう言って段ボールテーブルに手のひらを置いた。段ボールには赤のチェックのビニールのテーブルクロスをかけていた。それがとてもおしゃれに感じた。確かに、雑誌で見るような北欧の家具に負けない存在感があった。少なくとも私たちには。


私は漫画を描くことが好きだった。高校時代には三津子に送るラブレターにも自画像や彼女の似顔絵を描いていた。三津子のアイデアで、壁には1メートルほどの大きさにディズニーのプルートを描いた絵を切り抜いて貼っていた。


「あなたの絵、上手だからプルートを描いてよ」


三津子がそう言った時、私は少し照れながらも嬉しかった。耳の長い犬のキャラクターで、プルートの姿に切り抜いたお腹の部分にはポケットを付けた。そのポケットには、神保町の古本屋で買ってきた料理本から三津子が書き写した三十日分のレシピが入っていた。毎日、日めくりの要領でそこからレシピを一枚取り出して献立を決めるのが私たちの習慣だった。幸せだった。


テレビは必需品だった。ニュースを見るためというより、部屋に何かしらの音があった方が落ち着くからだ。中野ブロードウェイの裏通りにある質屋で、おじいさんが「学生さんなら安くしとくよ」と言って十四インチの白黒テレビを売ってくれた。値段は忘れたが、二人で持ち帰るのがやっとの重さだった。


このアパートに住み始めてから気づいたことがある。階下から毎晩のように内山田洋とクール・ファイブの「東京砂漠」が聞こえてくるのだ。一階に住む中年男性が、仕事から帰ってくると必ずその曲をかけていた。最初は気になったが、やがて私たちの生活の一部になった。


三津子はよく笑いながら言っていた。


「私たちの歌は『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』なのよ」


確かにそうだった。静岡での甘い思い出には「夜明けのスキャット」が、そして東京での現実的な日々には「東京砂漠」が寄り添っていた。一つは青春の理想を、もう一つは都会の孤独を歌ったものだった。私たちの関係も、その二つの歌の間を行ったり来たりしているような気がした。


私たちの生活費は、私の仕送りが月二万五千円、三津子が三万円だった。家賃は六千円ずつで合わせて一万二千円。計算上はなんとかやっていける金額だったが、若い二人にとっていろいろと出費があった。


当初、三津子にはアルバイトを一切させなかった。それが男の責任だと思っていた。しかし、生活費や学費のため、のちに近くのパン屋で三津子は短時間のアルバイトを始めることになる。私は、当時、建設中だった中野サンプラザの現場でアルバイトをしていた。主に資材運びなどの力仕事だった。年末には当時貨物駅だった汐留駅でも日雇いのアルバイトをした。きつい仕事だったが、三津子を支えるためなら何でもした。


そのテレビから毎日流れてくるのが、サントリーのデリカワインのCMだった。


「♪金曜日は花買って、パン買って、ワインを買って帰ります♪」


最初は何とも思わなかったが、だんだんとその歌詞が心に染みるようになった。私たちには花を買う余裕はなかったが、パンとワインなら手が届く。そして何より、「嫁さん」がいる。まだ正式な夫婦ではないけれど、三津子は確実に私の人生の一部になっていた。


(三)


その日、私は中野サンプラザの建設現場でのアルバイトを終えてアパートに向かっていた。資材運びや清掃作業など、体を使う仕事だったが、三津子のために必要な労働だった。三津子には勉強に専念してもらいたかった。それが私なりの愛情表現だった。


中野通りから見える夕暮れの空は、秋の深まりを感じさせるオレンジ色に染まっていた。どこかの大学生らしいグループが吉田拓郎の「結婚しようよ」を小声で歌っていた。フォークソングが若者の間で流行っていて、ギター一本で歌う弾き語りが学園祭でも人気だった。


私もギターを持っていたが、三津子の前で弾くのは照れくさかった。たまに彼女が「何か弾いて」と言うことがあったが、いつも適当な理由をつけて断っていた。実際のところ、コードを三つ四つしか知らなかったし、歌詞を覚えるのも苦手だった。


中野駅に着くと、商店街の八百屋から大根の匂いが漂ってきた。魚屋からは焼き魚の香り。夕飯の支度をする家庭の台所からは、味噌汁の湯気が立ち上っている。私の胃袋がグウと鳴った。朝から昼食代を節約するために何も食べていなかった。


アパートの前まで来ると、三津子の部屋の窓に明かりが灯っているのが見えた。そして、案の定階下の部屋からは「東京砂漠」のメロディーが聞こえてきた。毎日同じ時間に、同じ曲。それが私たちの生活のリズムになっていた。


「また『東京砂漠』ね」


三津子がよく言っていた言葉を思い出した。でも、彼女はそれを嫌がっているわけではなかった。むしろ、その歌が私たちの日常に溶け込んでいることを面白がっていた。


一階の自分の部屋に荷物を置いて、すぐに二階の三津子の部屋に向かった。ドアをノックすると、「はーい」という返事とともに鍵が開く音がした。


「お疲れさま」


三津子は本を手に持ったまま迎えてくれた。彼女が読んでいたのは、太宰治の『斜陽』だった。文学部の授業の課題図書らしい。


「今日はどうだった?現場は大変だったでしょう?」


「まあ、慣れたよ。君は勉強してたのか?」


「図書館にいたの。レポートがあるから」


段ボールテーブルの上には、プルートのポケットから取り出したレシピと、それを参考に作ったらしい簡単な夕食が用意されていた。卵焼きと味噌汁、それにご飯。質素だが、愛情のこもった食事だった。


「コーヒー淹れるね」


三津子が小さなやかんを火にかけた。インスタントコーヒーだったが、彼女が淹れると不思議と美味しく感じられた。きっと愛情の味なのだろう。


階下からは、まだ「東京砂漠」が流れていた。


「今日も来てるわね、あの歌」


三津子が苦笑いした。


「でも悪くないよな。あの歌も私たちの生活の一部だ」


「そうね。『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』。私たちの歌よ」


テレビをつけると、ニュースが流れていた。石油ショックの影響で物価が上がっているという話だった。私たちのような学生には厳しい時代だったが、なぜか不安は感じなかった。三津子がいれば、どんな困難も乗り越えられると思っていた。


その時、階段を上る足音が聞こえた。重い足音だった。


「誰かしら?」


三津子が首をかしげた時、ドアを叩く音がした。


「おーい、開けろよー」


聞き覚えのある声だった。下村だ。


(四)


(これはまた別の金曜日の出来事である)ドアを開けると、案の定下村が立っていた。手には大きな紙袋を抱えている。


「よお、お邪魔するぜ」


「いきなり何だよ」


「今日は金曜日だろ? CMの通りにやってみたくなったんだ」


彼は袋の中身を段ボールテーブルの上に並べ始めた。サントリーのデリカワイン、フランスパン、それに何故かハムとチーズも入っていた。


「花は?」


三津子が冗談めかして聞くと、下村は少し照れたように笑って、袋の奥から一輪の花を取り出した。小さなガーベラだった。


「一輪だけだけど」


「きれい」


三津子がその花を受け取って、水道水を入れた空き瓶に活けた。一輪だけでも、白い花びらが薄暗い部屋を明るくした。


階下からは、いつものように「東京砂漠」が聞こえていた。それはもう私たちの日常のBGMになっていた。


「あの歌、毎日聞こえてくるな」


下村が苦笑いした。


「私たちの生活のサウンドトラックなのよ」


三津子が答えた。


「『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』。高校時代と今と、全然違う二つの歌だけど、どちらも大切なの」


(五)


ワインを飲みながら、私たちは他愛のない話をした。大学の授業のこと、アルバイトのこと、最近聞いた音楽のこと。下村は最近買ったアリスのレコードの話をした。


「『冬の稲妻』っていう曲がいいんだ。谷村新司の声が最高だよ」


「アリスか。フォークとはちょっと違うよな」


私がそう言うと、下村はうなずいた。


「そうなんだ。フォークよりもっとポップというか、都会的というか。時代が変わってきてるのかもしれない」


確かに、最近の音楽は変化していた。吉田拓郎やかぐや姫のような、ギター一本での弾き語りスタイルから、バンド編成でより洗練されたサウンドへと移りつつあった。イルカの「なごり雪」、チューリップの「心の旅」、オフコースの楽曲など、恋愛をテーマにした美しいメロディーの歌が増えていた。


「でも、私はかぐや姫の方が好きかな」


三津子が言った。彼女は「神田川」をよく口ずさんでいた。その歌詞の世界は、私たちの生活と重なる部分があった。貧しいけれど愛し合う若いカップルの物語。高校時代から続く想いを、東京で育んでいる私たち。


「神田川いいよな。でも俺たちは中野だけど」


下村が笑いながら言った。


「中野川って歌もあるのかな?」


「ないだろうなあ」


私たちは笑った。中野には確かに川は流れていないが、この街には独特の温かさがあった。商店街の人々は親切で、近所の八百屋のおじさんは時々野菜の切れ端をサービスしてくれた。魚屋のおかみさんは、売れ残った魚を安く譲ってくれることもあった。


「でも、『東京砂漠』は私たちの歌の一つよね」


三津子が下村に説明した。


「毎晩階下から聞こえてくるの。最初は気になったけど、今では私たちの生活の一部になってる」


「へえ、それは面白いな」


下村が興味深そうに言った。


「『夜明けのスキャット』は高校時代の思い出で、『東京砂漠』は今の現実。二つの歌で私たちの歴史が表現されてるのよ」


三津子の言葉に、私たちは深く頷いた。確かに、音楽は人生の各段階を彩っている。甘い青春の思い出には美しいメロディーが、現実の厳しさには哀愁のある歌が寄り添ってくれる。


(六)


フランスパンを手でちぎりながら、下村が突然真面目な顔になった。


「おまえたち、将来のことちゃんと考えてるのか?」


私と三津子は顔を見合わせた。将来のこと。確かに考えないわけではなかったが、まだ漠然としていた。


「就職のことか?」


「それもあるけど、二人の関係のことだよ」


下村の言葉に、部屋の空気が少し重くなった。私たちは確かに愛し合っていたが、まだ学生だった。結婚という具体的な話をするには、経済的にも精神的にも準備ができていなかった。


階下からはまだ「東京砂漠」が聞こえていた。その哀愁を帯びたメロディーが、なぜか私たちの会話に深みを与えているような気がした。


「あの歌を聞いてると、東京での生活の現実を思い知らされるよな」


私がつぶやくと、三津子がうなずいた。


「でも、悲しい歌じゃないのよ。現実を受け入れながらも、希望を失わない歌だと思う」


「『夜明けのスキャット』は希望そのものだったけど、『東京砂漠』は現実の中の希望ね」


三津子の解釈に、私は感心した。確かに、二つの歌は私たちの成長を表しているのかもしれない。理想から現実へ、でも希望は失わずに。


「まあ、なるようになるさ」


私がそう言うと、三津子が私の手を握った。彼女の手は冷たかったが、とても温かく感じられた。


「でも、こうやって一緒にいられることが、もう幸せなの」


三津子の言葉に、下村も表情を緩めた。


「そうだな。俺には羨ましいよ、こういう生活」


下村の実家は裕福だったが、彼はいつも私たちの生活を羨ましがっていた。物質的には恵まれていても、何かが足りないと感じているようだった。


「金がなくても楽しいもんだな」


私がつぶやくと、三津子がうなずいた。


「お金があったら、きっと違う楽しさがあるんでしょうけど」


「でも、今のこの感じも悪くない」


テレビから流れてくる音楽番組を聞きながら、私たちはワインを飲み続けた。番組では、赤い鳥が「翼をください」を歌っていた。その歌声が、段ボールテーブルとプラスチックのコップという私たちの現実を、なぜか美しく包み込んでくれるような気がした。


(七)


夜が更けていくにつれて、私たちの会話はより深いものになっていった。下村が持参したワインのおかげで、普段は話さないようなことまで話すようになった。


「俺さ、実は親父の会社に入るって決まってるんだ」


下村が突然そう言った。彼の父親は建設会社を経営していて、下村は卒業後にその会社に入ることになっていた。


「それって、やりたいことなのか?」


私が聞くと、下村は首を振った。


「わからない。でも、他に選択肢がないんだ。親父が作った会社を継ぐのが息子の義務だって言われてる」


三津子が下村を見つめた。


「でも、それが嫌だったら?」


「嫌も何も、考えたことがないんだ。物心ついた時から、将来は会社を継ぐものだと思ってた」


下村の表情には、どこか諦めに似たものがあった。私たちのような自由はないが、その代わりに安定した将来が約束されている。それが幸せなのか不幸なのか、判断は難しかった。


階下の「東京砂漠」がちょうど終わったところだった。夜も深くなると、階下の住人も音楽を止めるのが習慣だった。


「静かになったわね」


三津子が言った。


「あの歌が止まると、一日が終わった感じがするな」


私がつぶやくと、三津子が微笑んだ。


「私たちの生活時計ね。『東京砂漠』が終わると、もう夜遅いってこと」


「俺は就職活動が怖いよ」


私が正直に言った。来年には就職活動が始まる。まだ何をしたいのか明確ではなかったが、三津子と一緒に生活していくためには働かなければならない。


「私も」


三津子が小さく言った。女性の就職は男性よりもさらに厳しかった。


「でも、なんとかなるわよ。今までもなんとかなってきたもの」


彼女の言葉には、根拠のない確信があった。それが私を安心させた。三津子がいれば、本当になんとかなる気がした。


外では雨が降り始めていた。雨音が窓ガラスを叩く音が、部屋の静寂を破った。


「今夜は泊まっていけよ」


私が下村に言うと、彼は嬉しそうにうなずいた。


「ありがとう。実は終電もなくなったんだ」


それぞれの部屋に布団を敷いて寝ることにした。下村は一階の私の部屋で、私は二階の三津子の部屋で。まだ正式な夫婦ではなかったし、今の時代信じられないかもしれないが、当時の私たちは肉体関係はなかった。もちろん妊娠などありえなかった。大学を卒業後、一年後に結婚することになる。それまでは純粋な愛情だけで繋がっていた。そんな時代だった。


(八)


翌朝、私は三津子の寝息で目を覚ました。彼女は私の腕を枕にして眠っていた。窓から差し込む朝の光が、彼女の髪を金色に染めていた。


起き上がらないように注意しながら時計を見ると、まだ七時前だった。三津子のアルバイトは八時からなので、もう少し眠らせてあげたかったが、腕がしびれていた。


そっと腕を抜いて台所に向かうと、下村がもう起きてコーヒーを淹れていた。


「おはよう」


「おはよう。早いな」


「癖になってるんだ。実家にいた時から」


下村は私にコーヒーを差し出した。昨夜の残りのフランスパンも温めてくれていた。


「いい生活してるじゃないか」


彼がつぶやいた。


「何が?」


「こういうの。毎日愛する人と一緒にいられるって、すごいことだと思う」


下村の言葉に、私は改めて自分たちの生活を振り返った。確かに貧しかった。家具らしい家具もなく、食事も質素で、将来への不安もあった。でも、確実に幸せだった。


「でも大変じゃないのか? お金のこととか」


「大変だよ。でも、それ以上に楽しいことの方が多い」


私が答えると、下村は少し羨ましそうな表情を浮かべた。


「俺には無理だな、こういう生活」


「なんで?」


「だって、親父が許さないよ。息子が貧乏学生と同棲なんてしてたら」


下村の家庭の事情は複雑だった。彼は長男で、将来の会社継承者として期待されていた。恋愛も、結婚も、すべて家の意向が優先される。自由に選択することは許されていなかった。


「つらくないのか?」


「つらいというより、慣れちゃってるんだ。子供の頃からずっとそうだったから」


下村の言葉に、私は複雑な気持ちになった。私たちは貧しくても自由だった。彼は裕福だが不自由だった。どちらが幸せなのかは分からないが、少なくとも私は今の生活を変えたいとは思わなかった。


下村は海とサーフィンを愛していた。のちにハワイに逃げて10年間帰ってこなくなるとは、この時はまだ知る由もなかった。


(九)


三津子が起きてきたのは七時半頃だった。寝癖のついた髪を手で直しながら、眠そうな目で私たちを見た。


「おはよう。下村くん、もう起きてたの?」


「おはよう。コーヒー飲む?」


下村が新しいカップを用意しながら言った。三津子は嬉しそうにうなずいた。


朝食は昨夜の残りのフランスパンとコーヒーだった。質素だったが、三人で食べると特別な食事のように感じられた。


「私、バイトに行かなきゃ」


三津子が時計を見ながら立ち上がった。パン屋の仕事は八時から十一時までの短時間だった。


「気をつけて」


私が言うと、三津子は頬にキスをしてくれた。下村の前だったが、恥ずかしいという気持ちはなかった。私たちにとって、それは自然なことだった。


三津子が出かけた後、下村と二人で残りのコーヒーを飲んだ。


「いいな、おまえたち」


下村が再び言った。


「何度も言うなよ」


「でも本当にそう思うんだ。俺には三津子みたいな人、いないからな」


「いつかできるよ」


「できるかな? 俺の場合、親が相手を選ぶんだろうな」


下村の声には、諦めが混じっていた。彼の将来は、本人の意思とは関係なく決められていく。それは確かに不自由だった。


「でも、会社継いで成功すれば、いいこともあるんじゃないか?」


私が慰めるように言うと、下村は苦笑いした。


「成功って何だろうな。お金があることか? 社会的地位があることか?」


私には答えられなかった。成功の定義なんて考えたこともなかった。ただ、三津子と一緒にいられれば、それで十分だと思っていた。


(十)


下村が帰った後、私は一人で部屋を片付けた。空になったワインの瓶と、パンくずが散らばった段ボールテーブル。昨夜の楽しい時間の痕跡だった。


三津子がバイトから帰ってきたのは十一時過ぎだった。手には売れ残りのクロワッサンを持っていた。


「おつかれさま」


「ただいま。下村くんは?」


「さっき帰った。また来るって言ってたよ」


三津子は微笑んで、私の隣に座った。


「楽しかったわね、昨夜」


「ああ。たまにはああいうのもいいな」


私たちは昨夜のことを振り返りながら、クロワッサンを分け合って食べた。バターの香りが口の中に広がった。


「あのワイン、おいしかった」


「CMで歌ってる通りの味だったな」


私がそう言うと、三津子が笑った。


「『金曜日は花買って』って、素敵な歌詞よね」


「でも現実は花なしだ」


「一輪でも嬉しかったわ」


三津子はテーブルの上のガーベラを見つめた。まだ新鮮で、部屋が明るくなったような気がした。


「今度、本物の花を買ってみようか」


私が言うと、三津子は首を振った。


「今はまだいいの。いつか余裕ができた時に、本物の花を買いましょう」


彼女の言葉には、未来への希望が込められていた。いつか、きっと。その「いつか」が、私たちの関係を支えていた。


「私たちの歌は『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』なのよ」


三津子がまた口癖のように言った。二つの歌に挟まれた私たちの青春。過去と現在を繋ぐメロディー。


(十一)


秋は深まり、やがて冬がやってきた。中野のアパートは古い木造建築で、隙間風が入ってくるため寒かった。私たちは二人で一つの炬燵に入って暖を取った。炬燵といっても、段ボールテーブルに毛布をかけただけの簡易的なものだったが。


その冬、私は就職活動について本格的に考え始めた。出版社を志望していたが、狭き門だった。三津子は図書館司書の資格を取ろうとしていた。


「図書館なら安定してるしね」


彼女はそう言ったが、実際には図書館の求人も少なかった。私たちの前には、まだたくさんの困難が待ち受けているように思えた。


でも、なぜか不安はなかった。三津子がいれば、どんな困難も乗り越えられる。そんな確信があった。それがどこから来るのかはわからなかったが、彼女と過ごす日々の中で育まれた感情だった。


階下からは相変わらず「東京砂漠」が聞こえてきた。冬の夜には、その歌がより一層心に染みた。


「今夜もかけてるね」


三津子が毛布にくるまりながら言った。


「私たちの歌は『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』なのよ」


彼女の口癖が、この季節にはより深い意味を持って聞こえた。青春の理想と現実の厳しさ。でも、二つとも私たちにとって大切な歌だった。


年が明けて昭和四十九年になると、石油ショックの影響がさらに深刻になった。物価は上がり続け、私たちの生活はより厳しくなった。アルバイトの時給は上がらないのに、パンの値段は少しずつ上がっていった。


それでも、私たちは笑っていた。


(十二)


春になると、下村がまた金曜日にやってきた。今度は本物の花を持っていた。小さなスイートピーの花束だった。


「おお、今度は花もあるじゃないか」


私が驚くと、下村は照れたように笑った。


三津子が花束を受け取りながら言った。水道水を入れた空き瓶に花を活けると、部屋の雰囲気が一変した。本物の花の香りが、私たちの質素な生活を豊かに彩った。


「きれいね。『夜明けのスキャット』みたいに美しいわ」


三津子が花を見つめながらつぶやいた。


あの時の私たちは、まだ知らなかった。これから始まる四十数年間の長い旅路のことを。三津子との結婚、就職、子育て、そして彼女が五十七歳で旅立つまでの歳月のことを。


でも、きっと知っていたとしても、私たちは同じ選択をしただろう。愛する人と一緒に歩む人生を。


中野のあの三畳間で、段ボールテーブルを囲んで飲んだデリカワインの味を、私は今でも覚えている。それは人生で最も美しい夜の一つだった。貧しくても、若くても、未来が見えなくても、愛があれば十分だった。


三津子はよく言っていた。「お金があったら、きっと違う楽しさがあるんでしょうけど、今のこの感じも悪くない」と。


そして決まって付け加えた。「私たちの歌は『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』なのよ」と。


彼女は最後まで、そんな風に生きた人だった。どんな困難な時も、今あるものに感謝し、小さな幸せを見つけることができる人だった。


下村が持ってきた花は、引っ越しの時も大切に記憶に留めて、新しい家でも時々同じ花を買って飾り続けた。三津子が亡くなった後も、それは私の習慣になっている。一輪だけ買って、空き瓶に活ける。あの頃の記憶を呼び起こしてくれる。


「♪金曜日は花買って、パン買って、ワインを買って帰ります♪」


今でもあのCMソングを聞くと、中野のアパートでの生活が蘇る。貧しくても輝いていた日々。愛することの喜びを知った時間。人生の基盤となった大切な記憶。


そして「夜明けのスキャット」を聞けば高校時代の甘い思い出が、「東京砂漠」を聞けば中野での現実的な日々が蘇る。三津子が言っていた通り、それは確かに私たちの歌だった。


三津子との四十数年間は、あの中野の三畳間から始まったのだ。『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』に包まれて。


(エンディング)


七十二歳になって、人生の残りの時間も少なくなってきている。一人暮らしを十五年間経験して、寂しい孤独感を超えて、いまや一人が普通になってきている。しかし、五十年前の十代から二十代にかけてのあの時の思い出は、人生の大きな大きな出来事だった。


もう形には何も残っていないけれど、胸に秘めたあの時代の匂いや味や想いは、いつまでも残っている。段ボールテーブルの手触り、三津子が淹れてくれたインスタントコーヒーの香り、プルートのポケットから取り出すレシピの紙の音、そして下村が持参したデリカワインの甘酸っぱい味。


そして何より、階下から毎晩聞こえてきた「東京砂漠」のメロディー。あの哀愁を帯びた歌声が、私たちの青春の現実を包み込んでくれていた。


三津子と人生の最後を過ごすことはできなかったが、彼女との出会いの偶然を与えてくれた運命に感謝している。


もしも天国で再会できたなら、昔話でいつまでも話したい。あの三畳間での出来事を、三津子と一緒に振り返りたい。そして下村にも会って、彼がハワイで過ごした十年間の話を聞いてみたい。


きっと三津子は、あの時と変わらない笑顔で「でも、これはこれで楽しいじゃない」と言ってくれるだろう。そして決まって付け加えるに違いない。


「私たちの歌は『夜明けのスキャット』と『東京砂漠』なのよ」と。


そして私たちは、永遠に続く金曜日の夜を過ごすのだ。高校時代の甘い思い出と、東京での現実的な日々を、二つの歌に包まれながら。

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