地味メン好きの貧乏令嬢 ~モブ従者を助けた私が、王太子殿下の婚約者ですか!?~
豪華な調度品が並ぶ王城の一室。
キラキラと目映い世界は、私の家――グレイヴズ伯爵家とは文字通りに格が違う。
当たり前だ、ここは王族の皆様が暮らしている城。
客室の一つでさえ、萎縮してしまう。
貧乏伯爵家の人間には、足を踏み入れるだけで恐ろしい空間だ。
「ねぇ、デニース。その花瓶もし壊したらどれくらい請求されるのかしら……」
「お嬢様、そんな恐ろしいことを言わないでください!」
絢爛豪華な空間で、貧乏伯爵家の私と侍女のデニースは明らかに異質だった。
もう帰りたい。帰ってベッドでゴロゴロしたい。
あるいは厨房に駆け込んで、料理長のモースと裏庭で採れた野菜の調理について語りたい。
そんな私の願いは、叶うはずも無い。
今日はこれから王太子殿下主催の大規模なお茶会が開催されるのだ。
王太子殿下は私と同い年の十六歳。
今日のお茶会の招待客は、皆同じ年頃の貴族女性ばかり。
そう、つまりは王太子殿下の婚約者選びの場だ。
このお茶会で集められた婚約者の居ない貴族令嬢の中から王太子殿下の婚約者、つまりは未来の王妃様が選ばれる。
高位貴族のご令嬢達は、そりゃもう気合いを入れて着飾っていることだろう。
王太子殿下の婚約者の座を狙って、これまで婚約者を決めてこなかった令嬢も多いと聞いている。
いざお茶会が始まれば、貴族女性同士の水面下の戦いが繰り広げられるのだ。
あー、恐ろしい。
私? 私なんて、一応で呼ばれた伯爵家とも呼べないような貧乏貴族令嬢だ。
数合わせ、その他大勢。自分の立場はよーくわきまえている。
今日のドレスだって、デビュタントの際に仕立てたドレスを色直しした物。
我が家の財政では、お茶会の度に新しいドレスを用意するのさえ厳しい。
最初から対象外と分かっているので、ある意味気楽と言える。
ただ、それでも招待客であることに変わりは無い。
今もお茶会までの待ち時間に客間に通され、借りてきた猫のように小さくなっている。
お茶会では王太子殿下への挨拶は避けて通れない。
粗相無く挨拶出来るだろうか。
今から胃が痛くて仕方が無い。
今日という一日が、さっさと終わってくれれば良いのに。
「ねぇ、デニース。貴女は終わるまでずっとこの部屋で待機しているの?」
「そのように聞いております」
気の向かないお茶会に参加しなければいけない私も嫌だが、それに付き合って王城の一室で一人待つことになるデニースもなかなか気の毒だ。
いつもは血色が良く健康的なデニースの肌も、心なしか青ざめている。
「なるべく早く終わらせて、戻ってくるからね」
「お嬢様、そこは"頑張って王太子殿下に見初められる"では無いのですか?」
「あら、自分のことは自分で良く分かっているわ」
自分に王太子殿下のお相手が務まるなんて思わない。
無邪気な夢を見るような年では無いのだ。
それに、下手に目立つことになって、他のご令嬢方の不興を買っても面倒臭い。
貴族社会がどれだけ生きづらいところか、貧乏貴族と嘲笑われる私は身に染みて理解している。
ふと、ノックの音が響いた。
軽く声を上げ、デニースが扉を開ける。
「ミッシェル・グレイヴズ伯爵令嬢でございますか?」
現れたのは、もっさりとした印象の青年だった。
銀色の髪は中途半端に長く、目元を覆い隠している。
そばかすの浮いた鼻先がかろうじて見える程度だ。
世間一般的に見るなら、野暮ったい男と言われるだろう。
だが、良い。
とても良い。
純朴そうなそばかすに、にこやかな口元。
彼の口元からは、人の良さそうな雰囲気が滲み出ている。
「はい、私がミッシェル・グレイヴズでございます」
ドレスをつまんで、優雅に一礼。
華やかな場は好きでは無いが、没落寸前とはいえ一応は伯爵令嬢、一通りのマナーは叩き込まれている。
「ようこそおいでくださいました。私は王太子殿下の従者をしております、ジェームズ・ドノヴァンと申します」
「初めまして、ドノヴァン卿」
「どうぞ、気軽にジェームズとお呼びください」
爽やかな笑顔でこちらの緊張を解してくださるジェームズ様。
ああ、やはり良い人だ。
長い前髪で目元は見えないが、彼の口調からは気遣いが感じられる。
「本日のお茶会の進行、グレイヴズ伯爵令嬢がお座りになる座席について、説明に参りました」
「ジェームズ様、どうか私のこともミッシェルと」
「有難うございます、ミッシェル様」
王太子殿下の使いだからと高慢なところも無く、ジェームズ様はこちらを立ててくださる。
高嶺の花で羨望の的となる王太子殿下の婚約者より、私はこういった方と結ばれたい。
良い出会いに自然と表情を綻ばせながら、ジェームズ様を客室のソファーへと案内する。
「お話を伺います、どうぞこちらへ。デニース、お茶を用意してくださる?」
「かしこまりました、お嬢様」
客室とは言え、室内でゆったりと過ごせるように、ティーセットは準備されている。
デニースに指示を出したところで、ジェームズ様がゆるりと頭を振った。
「ああ、いえ。実はここに来る迄にも他のご令嬢方のところで何度もお茶を振る舞われまして……」
「まぁ。大変ですのね」
「これ以上飲んでは水樽のようになってしまいます」
断り方も、とてもスマートだ。
「でしたら、お話だけ伺いますわね」
「ええ、開始までもう時間もありませんし、手短に――…」
彼の声が、不意に途切れた。
ソファーに腰を下ろし掛けたところで、ジェームズ様の身体がぐらりと傾ぐ。
「ジェームズ様?」
ソファーに突っ伏す彼の様子に不安が過り、声を掛ける。
いや、突っ伏すなんてものでは無い。
ほとんど倒れたと言って良いのでは無いか。
じんわりと、高級そうなソファーの布地にどす黒い染みが広がって行く。
「ジェームズ様!? デニース、誰か人を呼んできて!!」
「は、はい!」
直ちに、これはただ事では無いと判断した。
指示を出せば、デニースがバタバタと部屋を駆け出して行く。
私はジェームズ様が突っ伏したソファーの前に屈んで、彼の様子を確認した。
「ジェームズ様、私の声が聞こえますか?」
「う……」
小さく呻きはしたものの、返る言葉は無い。
聞こえていないか、言葉を発することも出来ないか、どちらかだろう。
ソファーに倒れた彼の口元は、血で赤く濡れていた。
「失礼します」
ハンカチを取り出し、彼の口元を拭う。
白い絹の布地は、一瞬で赤く染まった。
ハンカチ一枚では、とても拭いきることは出来そうにない。
「今人を呼びに行かせました。どうか、お気を確かに……!」
ジェームズ様の手を握って、彼に声を掛ける。
やはり言葉は返っては来ないが、握った手に、微かに握り返す感触があった。
突然の病――にしては、あまりに容態が急変しすぎている。
嫌な予感がしてならない。
「お嬢様!!」
扉が開いて、デニースが騎士達を伴って部屋に入ってくる。
「ああっ、なんてことだ」
ソファーに倒れたジェームズ様を見て、騎士の一人が悲痛な声を上げた。
「医師は!?」
「既に呼びに行かせた!」
「直接お運びした方が早いんじゃないか!?」
ああでも無いこうでも無いと相談し合う騎士達に、ピシリと声を掛ける。
「状態が分からないのに、動かすのは危険です。医師の方にこちらに来ていただくべきです」
「は、分かりました!」
走っていく騎士を見送り、ふぅと息を吐く。
「お嬢様、そ、その……」
「デニース、皆様を呼んで来てくださって有難う」
声を震わせるデニースに、笑顔を向ける。
だが、彼女の表情は晴れぬままだ。
「お嬢様、ドレスが……」
「あら?」
デニースに指摘されて自らを見下ろす。
ソファーの前にしゃがみ込んだせいか、水色のドレスにはべったりと血が付着していた。
「ああ……まぁ、仕方が無いわね」
「でも、それではお茶会がっ」
苦笑いを浮かべる私とは対照的に、デニースは大慌てだ。
「落ち着いて、デニース。ドレスが一着ダメになってしまったくらい……人の命と比べたら、なんてこと無い話よ」
正直、我が家の財政ではドレスの一着も苦しい。
しかし、そんなことを言っていられる状態では無かった。人の命が掛かっているのだ。
「事情を説明して、お茶会は参加を辞退させていただきましょう。このようなことがあったのだから、きっと理解していただけるわ」
「お嬢様……」
こちらを見つめるデニースの瞳が、じんわりと滲んでいる。
え、ひょっとして感動して泣きそうになっているの?
いやいや、そんな美談にするような話ではないからね。
周囲の騎士達まで感極まったように頷いているから、どうにも落ち着かない。
元々乗り気では無かったお茶会だし、ジェームズ様とお茶会の参加どちらが大事かと言われれば、そりゃジェームズ様に決まっているでしょう。
倒れた人を放置して、では自分はお茶会に行ってきま~すなんて、そんなこととても思えないわ。
お茶会に参加せずに済んでラッキーと思いそうになる自分の心を諫めて、ジェームズ様の手を握る。
彼はこんなにも苦しそうなんだから、喜んではダメ。
どうか、大事にはなりませんように。
そう祈りを捧げていれば、ようやく騎士に連れられて医師がやってきた。
医師が来た以上、私に出来ることはもう無い。
立ち上がり、ソファーから離れようとした私に、騎士の一人が声を掛けてきた。
「グレイヴズ伯爵令嬢、詳しい話をお聞かせいただきたい」
「承知いたしました」
騎士の表情は、とても険しい。
お茶会はどうにか避けられたけれど、屋敷に帰れるのはまだ先のことになりそうね……。
後から聞いた話によると、城内で毒殺未遂が発生したとあって、お茶会は急遽取り止めになったそうだ。
ジェームズ様はあの後医師の手当てで意識を取り戻し、現在は回復していると騎士が報告に来てくれた。
ちょっとした騒ぎにはなったものの、大事にはならなくて何よりです。
「いやぁ、話を聞いた時はミッシェルが疑われるのでは無いかと、気が気で無かったよ……」
「あら、私はお茶の用意すらしておりませんでしたもの。疑われようがありませんわ、お父様」
「そ、そうかい?」
私の父ニール・グレイヴズ伯爵は心配性だ。
毒殺未遂事件に私は関与していないと判明したにも関わらず、今も額から流れる冷や汗をハンカチで拭っている。
「捜査は進んでいるのかしら」
「先日登城した際に聞いてみたのだが、どうやら箝口令が敷かれているようだねぇ」
「まぁ」
捜査の進捗は、結局分からないまま。
あの時助けた従者――ジェームズ様が当家に御礼に来ると聞いたのは、それからさらに数日後のことだった。
「デニース、大変よ! ジェームズ様が来られるのですって」
「お嬢様、落ち着いてください」
「落ち着いてなんて居られないわ、どうしましょう、ドレスでお出迎えするのはやり過ぎな気がするし……ワンピースで良いかしら?」
「先日血塗れになったドレス以外、今あるドレスなんて全て流行遅れの物だけですよ。それよりは、シンプルなワンピースでお出迎えしましょう」
「そうね。そうするわ」
そわそわと落ち着かない様子の私に、デニースがため息を吐く。
「本当、お嬢様の趣味は良く分かりません」
「え?」
ワンピースに着替え、デニースに髪を結ってもらいながら、鏡越しに彼女の顔を見上げる。
「美形と名高い王太子殿下のお茶会に参加する時には、まったく期待していない素振りでしたのに……どうしてあんなに地味な従者を出迎えるのに、そんなに緊張なさるのでしょう」
「あら。ジェームズ様は素敵な方でしてよ!」
いくらデニースとは言え、今の台詞は聞き捨てならない。
「確かに長い髪のせいで少し野暮ったさは有りましたが、とてもお人柄が滲み出ておりましたし。チャームポイントのそばかすも、純朴そうで良いでは無いですか。低く響くお声も、とても色気があって……」
「おやおやまぁまぁ」
私の髪を櫛で梳きながら、デニースが小さく笑った。
「そうですね。王太子殿下なんて高嶺の花より、殿下のお側に仕える従者の方の方がずっと現実的で良い選択肢かもしれません」
「まぁ、デニース。貴女妙なことを考えているのでは無いでしょうね?」
「妙なことかは分かりませんが、今日のお嬢様をうんとお綺麗に見せなくてはと気合いが入りました」
別にジェームズ様相手に分不相応なことを考えた訳では無い。
ただ、良い方だなって思って……それだけなのになぁ。
宣言通り、デニースは私の髪を綺麗に結い上げてくれた。
庭に咲いていた白いオルレアの花を編み込んだ為か、ふわりと花の香りが漂う。
「おお、綺麗だよミッシェル」
「有難うございます、お父様」
お父様に一礼して、玄関先へ。
既にジェームズ様が到着していると聞いていたのだけれど……そこに立って居たのは、銀糸の髪を持つ目映いばかりの美形な青年だった。
うっ、美形は目に悪い!!
美しい物を見慣れてしまうと、美的感覚が狂ってしまう。
何より、一緒に並んで自分が惨めになってくる。
ジェームズ様、私好みの地味メンドストライクなジェームズ様はいずこ!?
「ミッシェル様!!」
美貌の青年が、こちらに掛けよってくる。
低く響く甘い声。
ああ、イケメンは声まで格好いいのね……って、ちょっと待って。
青年は私の手を掴み、ニコニコと笑顔を浮かべている。
短く刈り込まれた銀色の髪。
整った口元には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
チャームポイントだったそばかすは、今は浮いていない。
それでもこの声、この口元は……、
「え……ジェームズ、さま……?」
戸惑いながら名を呼べば、アイスブルーの瞳が細められた。
「あの時は偽名で失礼しました。貴女に助けていただいた、レックス・ダンヴァーズと申します」
ジェームズ様の声で、青年が別の名前を名乗る。
レックス・ダンヴァーズ。
このダンヴァーズ王国の国名を冠する、そのお名前は……、
「お……王太子殿下ああああぁぁぁ!?」
無理、無理!!!
王太子殿下にお会いするような心の準備なんて、とても出来ていない。
せっかく私好みの純朴そうな殿方と知り合えたと思って喜んでいたのに、それがなんと王太子殿下だったなんて。
あのそばかすは、メイクだったの?
長い髪は、お顔を隠すため?
私王太子殿下にあんな馴れ馴れしい態度を取って……え、不敬だと言って処刑されたりしない???
「あのお茶会で高位貴族の皆様にお集まりいただき、私は従者の振りをして、皆様の様子を窺わせていただいたのです」
「え……えぇ……」
なるほど……。
お茶会での様子なんて、誰しも取り繕っているに決まっている。
それよりは、素顔が見える待ち時間に相手のことを調べてしまおうという魂胆か。
だからと言って、王太子殿下が一人で令嬢の部屋を回るだなんて、凄い行動力だ。
「大事なお茶会が控えているというのに、ドレスが汚れるのも構わず私の手を握って励ましてくださった高潔なお心。差し迫った時間も気にせず付き添ってくださった貴女以外に、今後共に歩んで行ける女性は居ないと感じ入りました」
「え……殿下、それは一体どういう……」
ぱちくりと瞬きをして、ジェームズ様――もとい、王太子殿下を見上げる。
うっ、やっぱり眩しい。
美形過ぎて、目が眩んでしまいそう。
「ミッシェル・グレイヴズ伯爵令嬢、どうか私の婚約者になってください!!」
耳に響く、低く甘い声。
ああ、これがジェームズ様からのお言葉ならば、どれだけ嬉しかったことか。
没落寸前の貧乏貴族とは言え、私も一応は貴族令嬢だ。
そろそろ結婚を考えなくてはいけない。
それは分かっている、分かっているつもりだった。
だからと言って、王太子殿下の婚約者は行き過ぎじゃない!?
他にもっと釣り合う高位貴族のご令嬢が居ると言うのに、なんでよりにもよって私なのよ。
そう思いはするけれど、王太子殿下からの申し出を断るなんて、今後家がどうなるかも分からない。
困ったようにお父様を見遣れば、感極まったようにハンカチで目元を拭っていた。
お父様ああぁぁぁ!?
「殿下、不束な娘ですが、どうぞよろしくお願いします……」
「勿論。ご令嬢は、私が幸せにします」
お父様だけでは無い。
デニースも目元を潤ませ、使用人達からはパチパチと拍手が沸き起こる。
私一人が、この流れについて行けていない。
地味でも良い、純朴で優しそうな旦那様と一緒に、温かな家庭を築いて行きたい。
社交界のドロドロとしたしがらみから抜け出して、平和な生活を……
そう考えていた私の人生設計は、一瞬にして崩壊してしまった。
◇◆◇◆◇
「殿下、本当にやるんですか?」
「今更怖じ気付くな。お前だって賛成しただろう」
「それはそうですけど……」
今日は大事なお茶会当日。
父上からはもういい加減に婚約者を決めろと急かされている。
王太子である私レックス・ダンヴァーズにとって、婚約者の選定は何にも勝る最優先事項だ。
それは分かっている。分かってはいるのだが、貴族令嬢という人種に嫌気が差している私にとって、その中から誰かを選べなど苦痛でしか無い。
父である国王クラーク・ダンヴァーズは、それが王太子の運命だと私に言った。
父も婚約者を決めるにあたって、諦めに似た気持ちがあったのだろうか。
群がるご令嬢達の白粉の臭い。
ギラギラとした肉食動物の視線。
その中に放り込まれるのが、どれだけ苦痛か。
あんな中から生涯の伴侶を選ばなければいけないなど、悪夢としか思えない。
「令嬢達に囲まれた状態で、まともなご令嬢を選ぶなど、無理難題も良いところだからな」
「そりゃ、殿下はあっという間に囲まれますからねぇ」
そう。どうしても婚約者を選ばなければいけないと言うなら、苦肉の策で考えた本日の作戦。
従者のジェームズと成り代わって、私が事前に令嬢達の部屋を回る。
王太子としてでは無く、一従者として令嬢達を見極める。
ジェームズに扮する為の付け毛も準備した。
侍女の協力を得て、メイクも完璧だ。
最初に向かうのは、ジョスリン・マケルウィー公爵令嬢の控え室。
見定め以外に説明も兼ねているので、回る順番は高位貴族のご令嬢からだ。
ジョスリン嬢は、王太子妃の最有力と巷で噂されている人物だ。
当然、私にそんなつもりは微塵も無い。
ただ彼女の押しの強さと地位の高さから、そう思われているだけだ。
「失礼します」
「お待ちしておりました」
訪れた私を、ジョスリン嬢は落ち着いた態度で迎え入れた。
おや、と思った。
いつも見る彼女の姿とは、まるで印象が違う。
王太子として彼女と接する時は、あまりの押しの強さにいつも頭を悩ませていた。
他の令嬢達を押しのけ、強引に私の隣を陣取る。
腕を組もうとしたり、寄り添ってきたりと、とかくボディタッチが激しい。
公爵令嬢というより、高級娼館で働く娼婦のようだといつも思っていた。
だが、今はどうだ。
つんと澄ました表情は、いつもの媚びを売るような目線とはまったく違う。
こちらを見つめる視線に、熱が籠もってもいない。
いや、そもそも目が合わない。
面白くも無さそうな態度で侍女に指示を出している。
「どうぞ」
「あ、どうも」
カチャリと、目の前のテーブルに紅茶が置かれた。
私が紅茶に手を伸ばす間も、公爵令嬢は腕を組んでそっぽを向いたままだ。
なるほど、相手が王太子では無いと、彼女はこんな態度なのか……。
ジョスリン嬢のことは、幼い頃からよく知っている。
会う度に自分を売り込み、父親のマケルウィー公爵からも娘を婚約者にと何度も言われてきた。
私の顔を一番良く見ているのも彼女だろうに、私が王太子本人であると気付く様子も無い。
人が違えば、こんなにも態度が変わるのか……。
新鮮な驚きだった。
いつも王太子殿下と甘ったるい声を掛けてくる彼女が、こんなにも冷たい素振りになるとは。
女性の新たな一面を見てしまったようで、なんとも薄ら寒い気分になってくる。
他のご令嬢方の部屋も順番に見て回ったが、別人に成り済ますというのはとても新鮮な体験だった。
これ幸いと私の趣味嗜好を聞き出そうとする者。
王太子本人では無いからと、興味無さそうな者。
王太子に近い立場だからと、あからさまに取り入ろうとする者。
どれも私を辟易とさせる。
本当に、こんな中から婚約者を決めなければいけないのか。
ご令嬢方の部屋を回り終える頃には、途方に暮れた気分だった。
こんなことなら、結婚なんてしなくて良い。本気でそう思った。
どこの貴族も、親類縁者から養子を取って跡取りにすることが認められている。
どうして国王だけが実子を求められなければならないのか。
いっそ、私が王太子なんて立場でさえ無ければ――そうまで考えてしまった。
疲弊した末に、ようやく最後のご令嬢の部屋に辿り着いた。
ミッシェル・グレイヴズ伯爵令嬢。
伯爵家のご令嬢ということで招待されているが、グレイヴズ家はかなり落ち目だと記憶している。
だからだろうか、これまで見てきた令嬢達の華美な様子と違うセンスの良いシンプルなドレス姿には逆に好感が持てた。
「ミッシェル・グレイヴズ伯爵令嬢でございますか?」
「はい、私がミッシェル・グレイヴズでございます」
彼女が一礼すると、ふわりと花の香りが広がった。
これまで辟易してきた白粉の臭いとは全く違う、爽やかな匂い。
どうやら私は化粧や宝石で飾り立てるよりも、質素な装いの方が好みらしい。
グレイヴズ家のご令嬢など、今まで王太子妃の候補に名前が挙がったことも無い。
そんな彼女に今日一番の好感を得てしまって、自分で驚いてしまう。
「デニース、お茶を用意してくださる?」
「かしこまりました、お嬢様」
令嬢と侍女のやりとりに、思わず首を振る。
「ああ、いえ。実はここに来る迄にも他のご令嬢方のところで何度もお茶を振る舞われまして……」
そう。ここに来る迄に、十数人のご令嬢の控え室を回ってきた。
その度に茶を出され、最初こそちゃんといただいたものの、最後の方はほとんど口を付けることも無く部屋を辞している。
それに、既に時間が押していた。
お茶会の開始時間を考えれば、ここでの話し合いも早々に切り上げて、準備に入らなくてはならない。
「まぁ。大変ですのね」
断った理由は、それだけでは無い。
どうにも、先ほどから胃のあたりがムカムカとしている。
何かがこみ上げてきそうな、奇妙な感覚。
おかしい。
これは明らかに異常だ。
ぐらりと視界が歪み、世界が回り始める。
立っていることさえ出来ず、ソファーに腰を下ろそうとして、私の身体はそのまま沈み込んだ。
「ジェームズ様?」
令嬢の声が、どこか遠くに聞こえる。
胃の腑がぐるぐると旋回する。
臓器を直接掻き回されるような感覚。
遠のき掛ける意識をかろうじて繋ぎ止めていたのは、私の名を呼ぶ必死な声だった。
「ジェームズ様、私の声が聞こえますか?」
「う……」
言葉を返すことも出来ない。
私はこのまま死ぬのだろうか。
不安に押し潰されそうな中、確かな温もりを感じて、少しだけ意識が浮上する。
「今人を呼びに行かせました。どうか、お気を確かに……!」
令嬢の声。令嬢の温もり。
彼女の呼びかけが、どれだけ私の支えになったことか。
主役の私が倒れたのだから、当然お茶会は中止になった。
だが、もういい。
お茶会など開く必要は無い。
私は自身の伴侶となる相手を見つけたのだ。
沈み込む意識の中、令嬢の私を気遣う声だけがいつまでも耳に残り続けていた。
私の身に起きた異変は毒物によるものだと判明した。
真っ先に疑われたのは、倒れた時に一緒に居たミッシェル・グレイヴズ伯爵令嬢だ。
だが、私は彼女の部屋では何も口にしていない。
それどころか、彼女は王太子のお茶会に参加する機会を逸してまで、看病を続けてくれたのだ。
容疑は、それよりも前に面談を行った令嬢達に向けられた。
無味無臭で、遅れて効果を発揮する毒物。
その出所を探ったところ、購入者が判明した。
最初に面談を行った相手――ジョスリン・マケルウィーの従者だった。
公爵令嬢の狙いは、自分の後に面談をするご令嬢方に濡れ衣を着せてライバルを蹴落とす為だったと判明した。
私の従者――本物のジェームズ・ドノヴァンが取り調べたところ、王太子の近習とは言え所詮は下級貴族上がりの従者、毒を盛る程度何の問題があるのかと開き直っていたと言う。
自分に対する害意を取り調べることになったジェームズは、何とも言えない表情をしていた。
マケルウィー公爵家とそのご令嬢には、今後厳しい取り調べが行われることだろう。
知らぬこととは言え、王太子に毒を盛ったのだ。
無論、王太子では無いなら毒を盛って良いなどと言う道理も無い。
王太子妃の座。
こんな物の為に罪の無い者に平気で毒を盛ろうとする令嬢に、私は心底辟易していた。
もう社交界もお茶会もご令嬢方もうんざりだ。
毒の影響が抜け、床から起き上がれるようになって、私が真っ先に行った事。
それは、国王陛下にミッシェル・グレイヴズ伯爵令嬢に婚約を申し込みに行くという報告だった。