白いスイートピー
プロローグ
「はい、今日は複素数について…え~と、まずは虚数の説明から。では教科書の…」
は~、中学受験なんかするんじゃなかった。虚数や複素数って、ふつう高2か高3で学ぶんじゃないのか。まだ高1なのに。あ~数学なんて訳が判んない。何だよキョスウって。キョって、ウソとか実態がないとかの意味だろ。英語でImaginary number…イマジネーション、空想、空想の数字って何だ。現実にない数って事?何だよ、それ。中学の時は、それなりにというか学年でも上位の成績だったけど、高校では落ちこぼれ一直線。
死んだバアちゃんには、末は博士か大臣かって言われていたけど。それ、いつの時代の言葉だよ。そのバアちゃんも亡くなってもうすぐ2年か。理系コース選んだのも失敗だ。後悔先に立たず…か。現実逃避したい、できたらいいのに…空想の世界に浸りたい…
昨日みつけたキレイなお姉さんの動画を見たくなった。
1.夢の中の恋
バスは行ったばかり…次のバスは15分後か。早く家に帰りたいのに。俺はスマホ取り出し、昨日見つけたキレイなお姉さんの動画を見始めた。何度見てもキレイだなあ、歌声もキレイ、キレイなソプラノの歌声。
ラララ~、ララララ~。クラシックのメロディだ。この曲はなんだったけかな。そして途中で曲調が変わる。いや曲調ではなく曲自身が変わる。そう自然に変わっていく。JPOP、昭和の頃の曲に。この曲も何だっけか。
「ふ~ん、何を真剣に見てると思ったら、きれいな女の人ね。藤井道也センパイ!」
「何だマヨかよ。ビックリさせるなよ。人のスマホ覗き込むなんて失礼なヤツだな」
「何か覗かれて困る様なもの見てたの。いやらしい事でも妄想してたとか?」
「違うよ。」
「なら、いいじゃん」
「お前、学校の先輩、年上を敬う気ゼロだな」
「年上っていたって数日違い。厳密には1日とチョットでしょ」
マヨ。中村真代、産院からずっと一緒。幼稚園、小学校、そして真代も中学受験して同じ中高一貫校に通っている。
俺は3月31日の夕方に生まれた。真代は4月2日の朝方に生まれたそうだ。もう少し早ければ4月1日生まれになっていて同じ学年になっていたところだ。
「そうだ、今日、お前の家の花屋に寄ってから帰るんだった」
「うちへ…ああ、今日は月命日…おばあ様の」
「そう、今日、ママは仕事で遅くなるから、俺が買って帰る事になった」
「そうなのね、で、何の花がいいの」
「う~ん。何にしようかな」
「色は?赤がいいとか黄色がいいとか…」
「う~ん」
「花はどんな感じが?大きい花一つとか、小さな花がいっぱいとか」
「う~ん」
「特に希望がないなら私が選んであげる。そうね…うん、ニゲラなんかどう」
「ニゲラ?」
「青とか白、あと色が混ざっているのとかがあって、とっても綺麗よ。今の道也にピッタリ。3月31日の誕生花でもあるし。いいでしょ。」
「へ~誕生日の花か、それにしようかな。ン…今の俺?」
「ニゲラの花言葉、知ってる?」
「花言葉?そんなの知らない」
「密かな喜びとか、夢の中の恋。ピッタリでしょ」
「何だよ、それ」
「ちなみに、4月2日の誕生花は四つ葉のクローバーとか白いアネモネ。花言葉はね…」
「お前のは聞いてない」
「四つ葉のクローバーは幸福、白いアネモネは希望。いいでしょ」
「そうかい」
「4月1日はさくら。花言葉は優美な女性。1日早く生まれたかったな~。そうしたら…」
「そうしたら…」
「いや、別に。どうでもいい事だから」
2.この恋に気づいて
キレイなお姉さんの名はNamiという。ニックネームかな。動画サイトの案内に書いてあった。音楽大学で声楽を専攻していて、学生有志でJPOPとクラシックを融合した音楽を発表するグループを作ったそうだ。
Namiさん以外のメンバーは、ピアノ、弦楽器、打楽器など楽器を専攻している学生たち。それに作曲を専攻している学生もいるそうだ。編曲は作曲専攻の学生担当だろうか。だから、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなどの奏者がいて、そしてコーラスのメンバーがいる。曲により楽器、メンバーの入れ替えがある。あの曲は調べたら、トロイメライというシューマン作曲の曲だった。
トロイメライ=夢想…夢想にふけるのもいいな
「こんにちは」
「あら、道也じゃない、珍しいね。あの動画、キレイな女の人。まだゾッコンなの」
「うるさい。悪いか」
「別に悪くないけど…で、今日は何?」
「何って、花屋に来たのだから花を買いに来た。店番しているのか」
「そうよ、まあ小遣い稼ぎね。で、何の花にする。何がいいの」
「そうだな。何か珍しい花はないの」
「う~んとね…シラー、シラーカンパニュラータ、そこの淡い青の花はどう」
「何か長い名前だな…」
「アサガオなんかもいいじゃない、季節はずれでないし。青とか紫とか色々あって…」
「う~ん、朝顔は珍しくはないなあ」
「じゃあ、バラは。白いバラがある。素敵でしょ」
「バラも珍しくない…」
「そうねえ…え~と、じゃあリナリアは。そこにあるパステルカラーの。日本名はヒメキンギョソウ、金魚のしっぽに似ていて。私みたいにかわいいでしょ」
「最後が余計だけど、リナリア、それにしよう」
3.嫉妬
今日、新しい動画が公開された。動画はNamiさんがフルートを吹いている場面から始まる。吹いている曲はショパンの別れの曲。バアちゃんの葬式の時、メモリアルホールで流れていた曲だ。
Namiさんがソロで歌っている動画がいくつか公開されているけど、今回はフルートを吹いて歌も歌う。
確かピアノを弾いている動画もあったなあ。ピアノを弾きながら歌っていた。楽器を演奏して、そして歌を歌う。音楽の才能がハンパない、才能があるのって羨ましい。自分の才能…何の才能があるのだろう。
全く判らない、想像できない。
Namiさんは…Namiって本名かな? 漢字では奈美かな。いや名美、奈未、カタカナかもしれない。彼氏…当然いるんだろうなあ。いないってことはないよなあ。Namiさんの事を想像するのは楽しい、自分の心の中の世界ではあるが。でも、この想像は膨らむばかり。
は~、ため息しかでない。放課後、数学の補習授業がある。補習が始まるまでの時間、教室の窓の外を何気に眺めていた。空はスカイ・ブルー、芝生に寝転がっているのは何部だろう。気持ちよさそうだ。校庭を走っているのは陸上部か。何人か知っている顔が見える。あ~あれは真代か。真代だな。そう、陸上部、短距離の選手だった。県内で、そこそこの成績をあげているらしい。高校でも続けるのだろうか。走る姿、何だか綺麗だなあ。何か見ていて飽きないなあ、ずっと見ていられる。なんでだろう。
やっと長い補習が終わった。3次方程式の解の公式なんて何の役に立つんだ。2次方程式の解の公式だって、テスト以外で使う事があるのか。学ぶ事が何か虚しい、悲しい気分だ。悲しい夜っていうのか。
家に帰るとマリーゴールドが飾ってあった。真代が選んでくれたそうだ。
4.はかない恋
動画を色々検索していたら、Namiさんをみつけた。通っている大学のコンサート動画の様だ。定期コンサートなのだろうか合唱メンバーの中にいた。歌っているのはベートーベンの歓喜の歌。こっちが本職なのだろう。歓喜の花言葉を調べてみた。サフランやネムノキか、花屋にはなさそうだな。
朝方に降っていた冷たい雨はやんでいた。
「道也センパーイ。どこに行くの」駅のホームで声をかけられた。
「真代か。これから部活か?」
「そう、これから練習。道也は?」
「うん、参考書を探しに。都内の大きな書店で探そうと思って」
「そうなんだ。高校生は大変ね…」
「お前だって、来年になったら同じだよ」
「う~ん、そう…あれ、おしゃれな色のシャツ着てる。黄色?からし色っていうの」
「マスタードイエローって言ってくれ」
「黄土色かな?でも、何か、おしゃれじゃない。まさかデートとか?」
「違うよ、彼女なんていね~し」
「ふ~ん…。そう、ほんとに?」
「ウソついてどうする」
「こっそり後つけちゃおうかな…かくれて電車に飛び乗って。いけないかな?」
「バカな事言ってないで、部活に行け」
「そうね~練習サボれないもんなあ。ザ~ンネン」
「何が残念だ」
「そうそう…今日ね、とっても綺麗なオミナエシがお店にあった。黄色がすごく綺麗」
5.恋の楽しみ、ほのかな喜び
新しい動画が公開された。ボーカルは男女5名。新しいメンバーだ。今回Namiさんはコーラス担当、コーラスのリーダーを務めている。立ち居振る舞いが何か眩しい。今度、コンサートを開くらしい。コンサートの告知が動画サイトに載っていた。
結局、虚数ってなんだ。何のために存在する。大昔の世界、その世界は自然数のみだったはずだ。それで充分だったはず。その世界にゼロが仲間入りし、マイナスが出てきて整数の世界となった。温度とか時間、スポーツの得失点差もそうか、色んな場面でゼロやマイナスは、表現するのに便利な存在だ。
そして、分数、有理数、無理数が加わり実数の世界が出来上がった。分数も理解できる。物を分ける時、丸いケーキやピザを切る時に分数は便利だ。有理数は分数の表現を変えただけだし。無理数は…ルート、平方根…まあ、有っても無くても…どっちでもって感じだ。
そして虚数の出現、虚数の世界がでてきた。虚数は、電気や電子工学、電磁気学、物理学などを学ぶうえでは避けて通れない。経済学、例えば株価予測にも使われるらしい…どう使うのか、全く想像できないが。
ともかく、回転や周期的なものの計算にとても便利らしく、コンピュータグラフィックス、3Dの描画にも使われているそうだ。だから、スマホを使う事、電話、メール、ゲームをする事は、虚数がある事の恩恵という事になる。世の中、虚数がないと成り立たないという事か。そう、そもそも名前が悪いんだ。虚じゃない、現実に存在している。だれだ虚数ってつけたのは。そもそも数の概念そのものって想像ではないのか。
実数の世界…実数の世界が現実の世界とすると、虚数の世界が空想の世界になる?いや、実数も虚数も同じ世界だ、複素数がある世界では。そう、現実も空想も同じ世界なんだ、ひとつの世界、現実の世界…うん、そうだ、コンサートに行ってみよう。現実の世界でのNamiさんを見てみたい逢ってみよう。逢ってみたら何かが変わるかもしれない。逢いたいと思う事が何よりも大切だ。うん、今を変えるためにも。全てはそこから始まるんだ。始める、やり直してみよう。
学校から駅への石だたみの道、うららかすぎる日ざしの中歩いていた。
「道也センパーイ」後ろから声をかけてきたのは真代だった。
「ねえ。お願いがあるの」
「何だよ、お願いって」
「卒業祝いにプレゼント…お花でいいから頂だい」
「何だよ、突然、藪から棒に花を頂だいって。そもそも卒業って言ったって次に通う場所変わらないだろう。校舎は変わるが」
「制服が変わる。だから世界が変わる。大事なのは変わっていくこと」
「大事なのは…ね。何かハイテンションだな。で、それで自分ちの花を買えっていうの。押し売りか」
「いいじゃない、ケチね。別に何千円もする花を買ってって言ってないし」
「はいはいはい。いいよ、わかったよ。買ってやる。なんでもいいのか」
「わ~うれし~。めちゃうれし~。涙出ちゃう」
「なんか、ウソっぽい演技っぽい嬉しがりだな」
「う~んと、何にしようかな。リクエストすると…」
「人の話聞いてないな。まあいい。で、卒業だと何だ、お祝いの花か…門出を祝う花…」
「そうね…スイートピー、赤色の。花言葉が門出」
「そう、なら、それでいいだろ」
「うん、でも、ピンクと白のがいい。ピンク1本、白1本」
誕生花
誰が決めたかは所説あり厳密な定義は存在しない。国や地域によっても異なる。
誕生花の一例
・3月31日 ニゲラ。花言葉は夢の中の恋、密かな喜びなど
・4月1日 桜。花言葉は優雅な女性、精神の美など
・4月2日 四つ葉のクローバー。花言葉は幸福、私のものになってください。
白いアネモネ。花言葉は希望、期待など。
花言葉
花言葉は、その国の歴史や文化により意味が異なっており、複数の意味をもっている花もある。
公式な認定機関はなく、生産者や販売会社が命名する場合もある。
花言葉の一例
・シラーカンパニュラータ 変らぬ愛、冷静、恋の呼びかけ
・アサガオ はかない恋
・白いバラ 純愛、相思相愛
・リナリア この恋に気づいて、乱れる乙女心、幻想
・マリーゴールド 嫉妬、悲しみ、悲嘆、変わらぬ愛
・サフラン 歓喜、喜び、節度の美
・ネムノキ 歓喜、夢想、胸のときめき
・オミナエシ はかない恋、親切、美人
・赤いスイートピー 門出
・ピンクのスイートピー 恋の楽しみ
・白いスイートピー ほのかな喜び