(10)闇に蠢く影
カーライルは周囲を見渡しながら、冷静に状況を整理していた。アルマ――彼が「嬢ちゃん」と呼ぶ少女が、この深い階層まで追いつくのは簡単ではないだろう。彼女の魔法の力は確かだが、落下した距離やダンジョンの複雑な構造を考えれば、しばらくは一人で動くしかない。軽くため息をつき、呟いた。
「まったく、一人になるなんて冗談じゃねぇ。」
言葉には皮肉めいた響きがあったが、その目は鋭く周囲を観察していた。無闇に動けば、さらなる危険を呼び込む――それを彼は冒険者として何度も経験してきた。足元に散らばる崩れた岩や土を慎重に踏みしめながら、視線を走らせると、壁際に奥まった窪みを見つけた。安全を確保するにはまず身を隠せる場所が必要だと判断し、そこへ向かう。
「あそこなら、とりあえずしのげそうだな。」
窪みに入ると、予想以上に広く、外からの視線を遮るには十分なスペースがあった。地面も安定しており、短時間の拠点としては申し分ない。背中を壁に預けて一息ついたカーライルだったが、その表情に油断の色はない。わずかな異変にも対応できるよう、周囲の気配に神経を尖らせていた。
すると、突然肌に冷たい感覚が広がり、耳元でかすかな音が聞こえた。静かなはずの空間に、不自然な気配が忍び寄ってくる。カーライルは眉をひそめ、警戒心を高めながら腰の双剣に手を伸ばした。
「なんだ…?」
暗闇に目を凝らすと、遠くに半透明な影が揺らめいているのが見えた。それは霧のようにぼんやりとした形を持ち、岩壁をすり抜けるようにしてこちらへ近づいてくる。その動きから、カーライルはすぐにその正体を察した。
「ゴーストスライムか…」
その言葉は自然に口をついた。ゴーストスライム――闇属性の厄介なモンスターで、物理攻撃がほとんど効かず、壁や物体をすり抜ける性質を持つ。モンスターの死骸に残留したマナが凝縮されて生まれる存在であり、油断すれば背後を取られる危険がある。
「こんな初級ダンジョンでこいつに出くわすなんてな…」
声に浮かぶのは軽い調子を装った苦笑だが、胸中では異常事態だと認識していた。通常、この階層にこんな強力なモンスターが現れることはあり得ない。それが出現したということは、ダンジョンに何か異変が起きている証拠だ。
「どうする…逃げるか?」
カーライルは一瞬迷ったものの、すぐに首を振った。ゴーストスライムに物理攻撃が通じるのは、実体化したわずかな瞬間のみであり、通常は光属性の魔法での対処が定石だ。無計画に戦うのは愚策以外の何物でもない。しかし、すでにこちらの存在を察知したゴーストスライムが、ゆっくりと動き出している以上、戦いを避ける余地はなかった。
「ったく、こんなときに嬢ちゃんがいてくれりゃな…」
軽口を叩いてみたが、冷たい汗が背中を伝う。ゴーストスライムの動きは遅いが、その存在感は圧倒的だった。カーライルは深く息を吸い込み、決意を固めた。腰に手を伸ばし、双剣を引き抜く。その銀色の刃が闇の中で淡く光を放ち、彼の覚悟を映し出す。
「やるしかねぇな…」
静かに呟きながら、カーライルは構えを取った。双剣の重みが手に馴染み、かつて冒険者として駆け回っていた日々の感覚が戻ってくる。ゴーストスライムの動きを鋭く見据えながら、カーライルは深い闇の中で静かにその瞬間を待ち構えた。
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