(7)不気味な静寂
カーライルが第一階層に足を踏み入れると、自然と腰に下げた双剣の柄に手が伸びた。冷たい金属の感触に触れた瞬間、身体に染み付いた警戒心と、かつての戦いの記憶が蘇る。使われなくなって久しい双剣だったが、その重みは変わらず、彼に冒険者としての過去を思い出させた。
双剣は、ただの武器ではなかった。彼の相棒であり、幾度となく命を預けてきた存在だった。カーライルは周囲を警戒しながら慎重に歩を進める。ダンジョンの油断が命取りになることを、彼は嫌というほど知っていた。
だが、目の前に広がった光景は、彼の予想を裏切った。
地面を這い回る透明なスライムたち。丸く、小さなその姿は、子供のおもちゃのようで、かつて対峙した恐ろしいモンスターたちとは比べ物にならないほど無害に見える。その愛嬌ある動きに、カーライルの肩の力が自然と抜けた。
「異変ってのは、これのことか?」ぶっきらぼうに呟いたが、双剣の柄から手を離すことはしなかった。見た目に惑わされるな――長年の経験が警鐘を鳴らしていた。
隣でアルマが一歩前に出る。黒いローブが軽やかに揺れ、青い瞳が好奇心に輝いていた。「かわいいわね」と、無邪気に微笑むその言葉には、警戒心の影がまるでなかった。
だが次の瞬間、空気が一変した。
アルマの手にマナが集まり、鮮やかな炎の魔法が放たれた。螺旋を描く真紅の炎がスライムたちを一瞬で焼き尽くし、跡形もなく消し去った。
カーライルはその光景に安堵と同時に感嘆を覚えた。アルマの魔法は強力で、その腕前は確かだ。しかし、カーライルはなおも双剣の柄を握り続けていた。
「スライムならそれで十分だが、次はどうだかな。」低く呟くと、視線を周囲に巡らせた。表情には次なる脅威を探る警戒が滲んでいた。
アルマは焼け跡を見下ろし、満足げに微笑んだ。「ふふ、簡単ね。次はもっと手ごたえがあるのが出てくるといいわ。」その声には期待と興奮が混じっていた。
「次も楽勝だといいな。」ぶっきらぼうに返すが、アルマの自信に少しだけ引きずられている自分を感じた。彼女の無邪気な態度が、わずかに緊張を和らげる。
それでもカーライルの足取りは慎重だった。石壁に反響する二人の足音が、洞窟の静寂を際立たせる。彼の視線は隙なく周囲を探り、いざという時に備えた動きは一切変わらない。
スライムを倒した後、辺りは再び静寂に包まれた。湿った空気と苔むした岩が異様な雰囲気を漂わせる中、特に危険の兆候は見られない。二人は慎重に歩を進め、第二階層へ続く岩道に差し掛かった。それは「階段」と呼ぶにはあまりにも粗雑で、長い年月を経て冒険者たちが削り出した痕跡が残っていた。
第二階層に足を踏み入れると、冷たい風が肌を撫で、湿った空気が重くまとわりついた。階層ごとに変化するこのダンジョン特有の環境が、不気味さを際立たせる。まるで人工的に設計されたかのような構造だが、その理由は未だ解明されていない。ただ一つ確かなのは、下に行くほど危険が増すということだ。
カーライルは双剣に触れつつ、周囲を注意深く見回した。第一階層と同じく、モンスターの姿は見えず、静寂だけが空間を支配している。石壁に反響する二人の足音が、その静けさを際立たせていた。この異様な沈黙が、彼の胸にじわりと不安を呼び起こしていた。
やがて、小型のモンスターが現れた。見た目にはさほど危険ではなさそうだが、アルマは迷うことなく一歩前に出て詠唱を始める。彼女の手に集まったマナが鮮やかな炎を生み出し、モンスターたちは瞬く間に焼き尽くされた。
カーライルはその光景を横目で見ながら、内心で苦い思いを抱えた。(あれほどの魔法が必要だったか…?)モンスターは剣を抜く間もなく消え去り、アルマの強力な魔法に頼り切る展開が続いていた。
「楽勝ね!」振り返ったアルマは笑顔を浮かべていた。その無邪気さにカーライルは小さく苦笑を浮かべつつも、胸の奥に警戒心を抱き続けていた。(これだけで済むはずがない…)
二人は慎重に進み、やがて第三階層に到達した。湿気はさらに濃くなり、苔むした岩と滑りやすい足元が一層危険さを増している。アルマの軽やかな足取りは変わらず、その無邪気な様子は、初めてのダンジョンに挑んでいるとは思えないほどだった。
「何も起きないのか、それとも…まだか。」カーライルは胸の中で呟き、警戒を続ける。心臓が速く打つ音が自分にも聞こえるような気がした。
アルマは振り返ることなく前を進み、小さな魔法で周囲を確認する。その背中を見つめ、カーライルは思わず苦笑を漏らす。(堂々としているが、まだ子供だな…)
しかし、増していく静寂が彼の不安をかき立てた。嵐の前の静けさのように思えるこの状況――彼の経験は、この静けさの裏に潜む危険を告げていた。
「頼むから、この静けさが長く続かないでくれ。」低く呟いたその声に、アルマが振り返り、「大丈夫よ、きっと!」と無邪気に答える。その声に、カーライルは少しだけ肩の力を抜いたが、双剣から手を離すことはなかった。
ランタンの光が揺れ、二人の影を岩壁に映し出す。その影はまるでダンジョンの奥深くに吸い込まれるように伸びていく。何が待ち受けているのかは分からない。それでも二人は黙々と、未知なる深淵へと進んでいった。
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