(4)誓いの双剣
酒場を出た途端、冷たい夜風がカーライルの頬を撫でた。深夜の街は、宴の残響が微かに耳に届くものの、月明かりが石畳を照らすだけの静けさが広がっていた。歩みを進めるたび、足元の靴音が規則的に響き、闇に溶けていく。その音は一定のリズムを刻むものの、彼の揺れる感情を鎮めるには程遠い。
「嬢ちゃんなら大丈夫だ…」カーライルは低く呟いた。その声は夜風にさらわれ、自分の耳にも届かないほど弱々しかった。同じ言葉を何度繰り返しても、それが言い訳に過ぎないと心の奥で分かっている。だが、その痛みに向き合う勇気は今の彼にはなかった。
月明かりが赤いコートを照らし、その影を石畳に長く引きずる。その揺れる影は、不安と後悔に揺れる彼の心を映し出しているかのようだった。
ポケットに手を突っ込むと、指先が酒の匂いが染み付いた銅貨に触れた。それを無意識に弄るたび、微かな安堵と共に虚しさが押し寄せる。アルマの決意に満ちた表情が脳裏をよぎるたび、引き留めるべきだったのか、それとも尊重するべきだったのか、その問いが頭を離れなかった。
「自分には関係ない…」そう心の中で繰り返した。その言葉は、自らを守るための呪文のようだったが、呪文の効力は薄れ、代わりに胸に痛みだけを残していく。
家路に着く途中、夜風が肌を刺しても、彼はその冷たさを感じなかった。古びた扉を開けると、埃をかぶった家具と剥がれた壁紙、無機質に散らばった物たちが出迎えた。その空間は、彼が過去を断ち切ろうとして失ったものの残骸に見えた。
椅子に腰を下ろし、カーライルは深く息を吐いた。その吐息は静寂の中で消え、耳に届くことはなかった。目を閉じても、アルマを一人で向かわせた後悔が胸を締め付ける。
「逃げてるだけじゃねぇか…」彼は低く呟いた。その声は自らを責める刃となり、胸の奥をさらに抉った。
ふと、部屋の隅で揺らめく赤い光が目に飛び込んできた。それは埃をかぶり、時の流れに取り残されたような古びた水晶玉だった。魔道回路を通じて連絡手段として使われているその水晶玉が放つ光は、静かな部屋の中で不気味な存在感を放っている。その光に引き寄せられるように、カーライルの視線が向けられた。赤い輝きは、まるで彼の心の奥底に埋もれた記憶を呼び覚ますようだった。
光を見た瞬間、カーライルは悟った。――アルマが持ってきた建国祭への招待状と同じ、王家の証だ。赤い光には第三王子のマナが刻まれており、絶対に偽造などできない。それにもかかわらず、カーライルの表情に動きはなく、ただ無感動にそれを見つめ続けた。その瞳には、まるでそれが単なる無価値な石ころであるかのような冷たさが宿っていた。
だが、その時、視界の端に何かが映り込んだ。赤い光に照らし出された部屋の暗がり。その中にひっそりと置かれた古びた木箱が、不意に彼の目を捉えた。埃にまみれ、長い間放置されていたはずのその箱は、異様な存在感を放ち、まるで彼を呼び寄せるようだった。
無意識に足が動き、箱の前で立ち止まる。震える指先が木の蓋に触れると、封じていた過去が蘇る予感が胸を締め付けた。深く息を吸い、慎重に蓋を開けると、そこには双剣が横たわっていた。
冷たい刃を握った瞬間、封印されていた記憶が一気に溢れ出す。戦いの音、手に残る温もり、そして赤い血――それらは後悔と罪の象徴として、彼の胸を深く抉った。
浮かんだのはアルマの姿だった。酒場で見せた若さ、純粋さ、そして揺るぎない意志。それらが過去の守れなかった命の記憶と重なり、彼の胸に鋭い恐怖を呼び起こす。彼女が戻らない未来を想像するだけで、その重みが心を押し潰しそうだった。
「嬢ちゃんが戻らないなんてことがあったら…」
掠れた声が静寂に溶けた。その呟きには、恐怖と懺悔が凝縮されていた。十年前に失った命――その痛みが、過去の鎖として彼を締め付け続けていた。
「もう十年だ…剣を振ることも、誰かを守ることも忘れちまった俺に、何ができる?」自嘲混じりの声が虚しく消える。かつての力も自信も失った現実が、彼の胸に冷たく響いた。
それでも、カーライルの手は剣を離さなかった。冷たい感触は彼の無力さを痛感させるものだったが、手放すことは過去を否定することと同じだった。その剣には、彼が背負ってきた全てが刻まれていた。
「それでも…嬢ちゃんを一人で行かせるくらいなら、盾くらいにはなってやる。」
その言葉には、自嘲が薄れ、わずかな決意が宿り始めていた。それは、自らへの戒めと新たな一歩を踏み出す覚悟の証だった。
カーライルは剣を軽く擦り合わせた。鋭い音が静寂を切り裂き、部屋に反響する。その音は、過去への別れと未来への挑戦の始まりを告げていた。
「これ以上、誰も失わない…嬢ちゃんも、誰も。」
小さな声ながら、その意志は揺るぎなかった。守れなかった命の重さを背負いつつ、今度こそ守る――その誓いが、彼の胸にしっかりと根を下ろした。
深く息を吸い、カーライルは剣を握る手に力を込める。それは未来を切り開く始まりだった。
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