(23)銀狼の余韻
カーライルはその場に立ち尽くし、アルマの戦いの余韻に囚われていた。銀髪を夜風にたなびかせ、真紅の瞳で敵を射抜くその姿──まるで伝説の英雄の再来だった。彼女が舞うたびにマナの波動が空間を震わせ、圧倒的な力で監査官をねじ伏せた光景が脳裏に焼き付く。
思わず息を呑む。あの姿が、本当に"彼女"だったのか。
ふと我に返り、倒れ伏した監査官に目をやる。ゆっくりと歩み寄り、その胸がかすかに上下しているのを確認すると、小さく息をついた。
「生きてるな。まあ、死なれても困るが…」
皮肉交じりに呟きながら、肩の力を抜く。
視線をアルマへと戻すと、彼女はふらつきながらも立っていた。戦場を支配していたあの圧倒的な力は影を潜め、銀髪はゆっくりと金色へと戻り、紅く燃え盛っていた瞳も澄んだ碧へと変わっていく。まるで夜明けと共に闇が退くような、静かで穏やかな変化だった。
カーライルはその姿を見つめ、胸の奥に奇妙な痛みを覚える。
あれほどの力を振るった存在が、今はただの少女に戻ろうとしている。彼女の細い肩がわずかに揺れ、限界を迎えたことが明白だった。その姿は儚く、今にも消えてしまいそうで──
「後は…よろしく…」
か細い声と共に、アルマの体が崩れ落ちた。
「っと、危ない!」
カーライルは即座に駆け寄り、彼女の体を抱きとめる。その身体は驚くほど軽く、戦いの中で見せた力の片鱗すら感じられなかった。抱きかかえた彼女の体から、どれだけの無理を重ね、どれほどの代償を払ったのかが、彼の腕を通じて伝わってくる。
「限界まで酷使したってことか…」
低く呟きながら、彼はアルマが戦いの前に言っていた「動けなくなる」という言葉の意味を、ようやく実感した。力の代償は、こうして少女を倒れさせることだったのか。
監査官の方へ目をやり、カーライルは眉間に皺を寄せる。アルマを運ぶだけでも一苦労なのに、さらに監査官まで担ぐとなると、負担は倍増する。「こりゃ厄介だな…」と、苦々しく漏らした。
その時、遠くから微かなざわめきが聞こえた。
カーライルは顔を上げ、暗闇の中に揺れる灯火と人影を認める。戦いの喧騒を聞きつけ、誰かが駆けつけてきたのだろう。群衆の足音が近づくにつれ、周囲の静寂が次第に破られていく。
「運ぶ手間は省けそうだが…説明が面倒だな。」
ぼやきながらも、カーライルは近づいてくる人々を見据えた。
「嬢ちゃんが領主の娘だと知れば、丁重に扱ってくれるだろうが…」
そう呟きながら、どう説明すべきか思案する。戦いの経緯を話すにしても、ここまでの出来事を簡潔に伝えるのは難しい。だが、どのみちこのままでは誤解を招くことになる。
(やれやれ、また厄介ごとに巻き込まれたもんだ…)
カーライルは自嘲気味に苦笑すると、近づく灯りが墓地の薄闇を照らし始めるのをじっと見つめた。そして、押し寄せる面倒な展開を想像しながら、深く溜息をついた。
そして、時が流れ──
静寂に包まれた部屋の中で、アルマはゆっくりと目を開けた。カーテンの隙間から差し込む橙と紫の光が、夕暮れの訪れを告げている。肌を撫でるひんやりとした空気は心地よいはずなのに、胸の奥には焦燥感が渦巻いていた。
全身が鉛のように重く、鈍い痛みが彼女をベッドへ引き戻そうとする。
「ここは…?」
掠れた声が自然と漏れる。ぼんやりとした視界の中で、記憶が徐々に蘇る。激戦、監査官との対峙、そして力尽きた瞬間──その後の時間は、まるで闇の中に消えてしまったようだった。
視線を横に移すと、小さな置時計が目に入る。針はすでに夜を指していた。その時、扉がそっと開き、侍女が静かに姿を現す。
「お嬢様、お目覚めになられましたか」
穏やかな声に、アルマはゆっくりと顔を向けた。侍女は優しく微笑みながら、ベッドのそばへ近寄る。
「まだお体を休める必要がございます。領主様からも、決して無理をなさらぬようにとのお達しが出ております」
「どれくらい寝ていたの?」
アルマの声には驚きと焦りが滲んでいた。
「三日三晩です」
侍女の答えに、アルマは目を見開く。思わず身を起こそうとするが、全身が痛みに抗議し、再びベッドへと押し戻された。
「第三王子の儀礼は?監査官は?」
鋭い声が部屋に響く。侍女は少し困ったような表情を浮かべ、静かに首を横に振った。
「申し訳ございません。詳しい事情は私どもには知らされておりません」
アルマは息を吐き、握り締めた拳に力を込める。焦る気持ちを抑え込むように、侍女に小さく微笑んだ。
「ありがとう。少し一人にさせてくれる?」
侍女は一礼し、静かに部屋を後にする。扉が閉まり、再び訪れる静寂。
三日もの空白。
(その間に何が起きたの? 監査官は? 儀礼は?)
疑念と焦りが、胸の内で渦を巻く。
「…待ってられない」
アルマは静かに呟いた。そして、痛みに耐えながら、ベッドの縁に手をかける。鈍い痛みが全身を駆け巡るが、それでも彼女は意志を曲げなかった。
部屋を見回すと、壁に掛けられた黒いローブが目に入る。それは、戦いへと身を投じる覚悟の証。アルマはゆっくりと立ち上がり、震える手でそれを掴む。その重みが、彼女に責任の大きさを思い知らせるかのようだった。
前を留め、肩に掛けると、内に秘めた力が静かに燃え上がるのを感じる。
「行くしかない」
それは、自分自身への宣言だった。窓辺へと歩み寄り、外を見下ろす。夜風が頬を撫で、街の灯りが遠くに瞬く。月光がローブに淡い輝きを宿し、その姿を一層際立たせた。
「さて…酒場まで、ひとっ走りね」
迷いなく窓枠に手をかけ、一息つく。
そして──
アルマは静かに身を投じた。
ローブが風に揺れ、夜の闇が彼女を包み込む。軽やかに地面へ降り立つと、顔を上げる。揺れる街の灯りを見据え、疲労と痛みを振り払いながら、夜の街へと駆け出した。
向かう先は、カーライルの元。
そこに答えがあると信じて。
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