(21)極光と深淵
アルマは静かに息を整え、両手を広げた。瞬間、彼女の左手には黒い霧が漂い始め、やがてそれは液状の闇へと変わった。触れたものを飲み込むかのように蠢くその闇は、深淵の冷たさを帯び、周囲の温度すら奪っていく。まるで奈落が彼女の掌に宿ったかのようだった。
一方、右手には正反対の力が宿る。温かく、柔らかな光が手のひらに集まり、脈打つように輝きを増していく。周囲の闇を押し返すその光は、生命の鼓動を感じさせるような穏やかさと力強さを併せ持っていた。
闇と光、二つの極が両手に同時に宿る。
まるで一方が強くなればもう一方が崩れるかのような、繊細な均衡の上に立つ力。アルマはそれらを慎重に制御し、わずかに笑みを浮かべる。
「監査官様、料理はされますか?」
突然の問いに、監査官の眉が僅かに動く。場違いな言葉に、しばし沈黙が落ちる。
「熱した油に水を入れると、バチバチと弾けるでしょう?」
アルマは遠い記憶を辿るように言う。
「あれが怖くて、小さい頃は鍋の前に立つだけで怯えていました。」
監査官は訝しげにアルマを見つめたが、彼女は意にも介さず続ける。
「魔法の世界でも同じです。相反する属性のマナがぶつかると、想像もつかない力が生まれる。」
そう言い終えた瞬間、アルマは両手の力を同時に放った。
光と闇が衝突する。
その瞬間、炸裂する閃光と暗黒の奔流が空間を引き裂き、耳をつんざく轟音が墓地に響き渡った。交錯する二つの力は暴風を生み出し、衝撃波が周囲をなぎ倒していく。
監査官の目が驚愕に見開かれる。光と闇が弾けるたび、火花が散り、空間が歪む。膨大なエネルギーの圧力が周囲を襲い、地面に亀裂が走った。
しかし、その混沌はやがて秩序を持ち始める。
暴れ狂っていた二つの力が、渦を巻くように収束し始めた。空間の中心に、透き通った球体が生まれる。外見は儚く、美しい。だが、その内部には圧倒的な力が奔流し、光と闇が互いに絡み合いながらも、絶妙な均衡を保っていた。
監査官はその球体を睨みつけ、低く呟く。
「…闇でも光でもない。純粋なマナの奔流か…?」
彼の声には、警戒と驚愕が滲んでいた。その異質な存在に、監査官ですら一瞬、動きを止める。彼の経験にもない、未知の力がそこにあった。
「心配しないでください、監査官様。」
その声音は軽やかで、戦場には不釣り合いなほど無邪気に響く。
「これをあなたにぶつけようなんて、まったく考えていませんから。」
彼女はゆっくりと視線を球体へと向ける。
「だって、この力は、私から少しでも離れたら消えてしまうんです。」
監査官の目がわずかに細まる。アルマの言葉は淡々としていたが、その場にいる誰もが感じていた。の空間を揺るがすほどの圧倒的な力が、ただ霧散して消えるはずがない。
「最初にこれを作ったときは、失敗作だと思いました。」
アルマはふっと微笑し、静かに語り出す。
「扱いが繊細すぎて、魔法使いの私には到底向いていない代物でした。」
彼女の言葉が夜の静寂に溶ける。その声にはどこか懐かしむような響きがあったが、瞳の奥には確かな決意が宿っている。
「でも、試行錯誤するうちに気づいたんです。」
アルマはゆっくりと手を掲げる。その掌の上で、奔流するマナが震え、次第に渦を巻き始めた。
「この力は、私の内側に取り込める──」
言葉とともに、球体がゆっくりと降下する。それはまるで彼女自身に導かれるように、その身へと吸い込まれていった。周囲の空気が張り詰め、震え出す。
圧倒的なエネルギーがアルマの体を満たし、変化が始まる。
彼女の金髪が、淡く、そして確実に銀へと染まりゆく。月光そのものを纏ったかのように、夜の闇に輝きを放つ。風に揺れるたびに細やかな光の粒が零れ、幻想的な軌跡を描く。
さらに、その碧眼がゆっくりと変化を始めた。かつての静かな湖のような色合いは、次第に深紅へと染まっていく。燃えるような赤が宿るその瞳は、まるで烈火を宿した魔の宝玉のように、すべてを見透かすような威厳を漂わせる。
銀の髪、紅の瞳。その姿は、もはや一人の少女ではない。荘厳な輝きを放ちながら立つ彼女は、まるで神話の戦士が今この場に降臨したかのようだった。
監査官は無意識に息を飲む。
「…何だ、その姿は。」
その声には、僅かな狼狽が滲んでいた。
アルマは静かに微笑む。
「私の切り札、魔力昇華よ。」
銀の髪が月光を浴び、紅い瞳が揺らめく炎のごとく輝く。その立ち姿は神聖さと破滅を同時に孕んでおり、ただそこにいるだけで周囲の空間を支配するほどの威圧感を放っていた。
「さあ…始めましょうか。」
その一言とともに、アルマの体から放たれたマナが波打ち、戦場に新たな嵐を呼び起こす。
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