(42)王家の影
塔の屋上から続く長い階段を、アルマ、ロクス、ゼフィアの三人は静かに降りていく。砕けた石片が足元で音を立てるたびに、戦いの余韻が重くのしかかった。塔の中はひどく静かだった。響くのは三人の足音と、時折吹き抜ける風のうなりだけ。戦いの熱が引き、夜の冷気が肌を刺す。
ゼフィアは前を歩くアルマの背中をじっと見つめていた。何度か言葉を発しようとしたが、そのたびに喉の奥で詰まり、息を吐くように閉じる。
かつて敵として対峙し、自らの手で奪い去った少女。しかし――彼女こそが、里を救った。
ゼフィアは、ふと口を開いた。
「……なぜだ?」
かすれた声が静寂を裂く。アルマが歩みを緩め、ゼフィアを振り返る。
「なぜ、お前は我らを助けた?」
ゼフィアの瞳には、戦いの疲労とは異なる迷いが滲んでいた。
アルマは少し考えるように目を伏せ、それから穏やかに微笑んだ。
「…そんなに深く考えてなかったかもしれない。」
ゼフィアは思わず息をのむ。
あまりにも単純な答え。しかし、それがかえって偽りなく響いた。
「でも、放っておけなかった。それが一番の理由かな。」
アルマの言葉は淡々としていたが、そこには確かな確信があった。
「マナ抽出庫に囚われている間、ずっと考えていたの。憎しみだけを抱えて生きるって、どんな気持ちなんだろうって。」
ゼフィアは静かにアルマを見つめる。その横顔には、単なる理想論ではない、確かな信念が刻まれていた。
「私は領主の家に生まれて、政治や権力に囲まれて育った。果たすべき責任についても何度も教えられてきた。でも、それは選べるものだった。私が決めれば、降りることもできる。でも…」
アルマは一度言葉を切り、ゼフィアの瞳を真っ直ぐに捉える。
「自分の心が生み出した執念は、簡単には手放せない。どれほど苦しくても、抱え続けるしかない。それがどれほど、人を縛るものなのか……あなたを見て、痛いほど分かった。」
ゼフィアは息を呑む。
アルマの声には、どこか自身への問いかけのような響きがあった。
「憎しみが生まれる理由は、必ずしも間違いじゃない。けれど、それに縛られ続ければ、道はどんどん狭くなってしまう。あなたはその狭い道を進むしかないと考えていたのかもしれない。でも、本当にそれしかなかったの?」
ゼフィアは自嘲するように微笑んだ。
「…お前は強いな。」
アルマは首を振る。
「強くなんてないわ。私も迷うし、怖くなることもある。でも…私は領主の娘として、自分が生まれ育った土地を良くしたいと願う気持ちに導かれてきただけ。それがなかったら、何をすればいいのか分からなかったと思う。」
彼女の言葉には、一切の虚飾がなかった。
「もし、私がその気持ちを違う方向に向けていたら…あなたのように武器を求め、復讐に身を捧げていたかもしれない。結局、人の道を決めるのは、その人自身ではなく、どんな環境で生きてきたか。その選択肢がどれだけ広がっていたか、だと思う。」
ゼフィアは、目を伏せる。
「…お前は、我を否定しないのか?」
「あなたが選んだ道を責めるつもりはない。でも、その道を選ばせたのは、本当にあなたの意志だった?そう考えたことはある?」
ゼフィアは小さく息を吐き、ふと塔の小さな窓から外を見た。
夜空にはまだ戦いの煙が漂っていたが、風に流され、少しずつ澄んできていた。
「…それが、お前の力か。」
呟くゼフィアの声には、どこか温かみが滲んでいた。
アルマは柔らかく微笑みながら、静かに言葉を紡いだ。
「それにね、私はあなたの言っていることが嘘だとは思えないの。」
ゼフィアが微かに眉を動かす。アルマはまっすぐに彼女を見つめながら、静かに続けた。
「…王妃直属の天剣の騎士、ロクスさんの前で言うのは不敬罪になりそうだけど。」
小さく苦笑しながらロクスにちらりと視線を送る。ロクスは表情を変えずに話の続きを待っていた。
「でも、さまざまな事件の影に王家がいることを――私は、カーライルと共に何度も遭遇してきたの。」
ゼフィアの瞳が僅かに揺れる。
「今回の件で改めて気づいたの。ダークエルフの一族の歴史に、王家がどこまで関わっていたのか…それを私自身、確かめるべきじゃないかって。」
アルマの声には、確かな決意が滲んでいた。
「私の家は領主家。代々王家と繋がりがある。でも、それと同じくらい、この国の歴史を知る義務もあるはずよ。」
ゼフィアは沈黙した。困惑を滲ませながらも、アルマの真剣な眼差しを逸らさずに受け止めていた。
「あなたが求めていた秘石のことも、王家がなぜそれを返さないのかも……私は、私のやり方で確かめるわ。」
ロクスがわずかに目を細める。
「アルマ様…そのお考え、本気でおっしゃっているのですか?」
彼の声には、王家に仕える者としての慎重さが滲んでいた。
「本気よ。」
アルマの瞳には迷いがなかった。
ゼフィアは小さく息を吐き、夜空へと視線を向けた。
「…王家は、我らからすべてを奪った存在だった。だが…確かに、なぜ国を平定した後も秘石を持ち続けるのか、その理由は未だわからない。」
しばしの沈黙の後、ゼフィアはぽつりと呟く。
「もしお前の言う通り、王家の内側で何かが動いているのなら…それを確かめるのも、一つの道かもしれぬな。」
その言葉には、かつての憎しみだけではない、どこか新たな可能性を見出そうとする意思が滲んでいた。
アルマは、静かにゼフィアの言葉を受け止める。そして、前を向き直ると、ゆっくりと歩き出した。
やがて、三人は静かにカーライルが倒れ込んでいるマナ抽出庫へと向かっていった。
ページを下にスクロールしていただくと、広告の下に【★★★★★】の評価ボタンがあります。もし「続きを読みたい!」と思っていただけた際は、評価をいただけると嬉しいです。Twitter(X)でのご感想も励みになります!皆さまからの応援が、「もっと続きを書こう!」という力になりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
@chocola_carlyle