(36)懇願と決意
「砲撃まで、残り百秒…」
遺跡全体に低く響くカウントダウンの音は、戦場の空気をさらに重く縛りつけていた。迫りくる運命の分かれ目を前に、極限まで張り詰めた緊張感が支配している。その静寂を破ったのは、ゼフィアの揺れる声だった。普段は冷静沈着で威厳を纏う彼女の声が、今は切迫した感情に震えていた。
「お前にこんなことを頼むのは間違っていると分かっている…」
ゼフィアは苦悩と焦燥に揺れる瞳で言葉を絞り出す。その声には、自分でも押さえきれない切実さが滲み出ていた。
「けれども、もう時間がない。砲撃を…止めてくれ…でなければ、我らが里が滅ぶ…!」
その懇願は、威厳をかなぐり捨てた切実な叫びだった。彼女が背負う覚悟と恐怖が、痛々しいほどにその言葉に刻み込まれている。
「お前たちの国に…王都を滅ぼそうとした我が、逆に準備した兵器に滅ぼされようとしているのは、さぞ滑稽だろう…。ただ…三十年前に王家に敗れてからというもの、奪い返す戦意を失った一族に代わり、我だけが諦めきれず、この準備を続けてきたのだ…。」
ゼフィアの言葉は、自嘲と苦渋を交えながら続く。その声には、重い後悔と痛ましいまでの執念が込められていた。
「今回の件に無関係な一族を…失うのは…!」
彼女の言葉には、もはや敵としての威厳ではなく、滅びに瀕した者の心からの懇願が宿っている。その姿は、すでに敵という枠を超えた人間の必死の叫びだった。
ロクスは状況の深刻さを理解し、剣を握り直すと毅然とした表情でアルマを見つめた。
「アルマ様、先程のミノタウロスに続き、私たちを葬り去ろうとする兵器が迫っています。それは私が何とか食い止めます。しかし、砲撃を制御する術は残されていません。今、この場で止められるのは力技しかありません。」
彼の声には一切の迷いがなかった。冷静で確信に満ちたその言葉は、状況を的確に分析した上での提案だった。
「どうかお願いします。ミノタウロスを圧倒したその力で、砲撃を食い止めてください。」ロクスの視線は揺るぎなくアルマを捉え続ける。
「確かに彼女はあなたを誘拐し、王都を狙いました。しかし、ダークエルフの一族全てが滅ぼされることが、その罪への報いになるわけではありません。彼女には別の形で、その罪を償わせるべきです。」
その言葉は、真摯な願いと理性の光を宿していた。それはアルマに向けられた頼みであり、同時に一つの信念を示していた。
アルマはその視線を受け止めたものの、胸中には葛藤が渦巻いていた。深紅の瞳に浮かぶ迷いの色は、彼女の内なる混乱と戸惑いを如実に映し出している。それでも、ロクスの言葉が、次第に彼女の中に静かな答えを形作り始めていた。
彼女は敵だ。自分を捕らえ、王都を破壊しようとした。それでも――。目の前で滅びようとしているのは、彼女一人だけではない。その同胞たち、無関係な命が巻き込まれようとしている。その現実を、アルマはただ見過ごすことができなかった。
「……行きます。」
アルマの声は低く、しかし確かな決意を帯びていた。彼女の深紅の瞳には、迷いの欠片もなく、その場の空気すらわずかに変えたように感じられた。彼女は振り返ることなく、一直線に塔の屋上へ続く階段の入り口へ向かう。その背中には、すべての希望が託されていた。
だが、その瞬間――。
床を揺るがす轟音が、戦場全体に響き渡る。低く、鈍く、まるで地の底から響くようなその音は、不吉な前兆を思わせた。ゆっくりと開いていく巨大な昇降機の扉。その暗闇の向こうから、圧倒的な存在感を放つ影が現れる。
それは――ただのスライムではなかった。
異様なまでに巨大な半透明の体。アルマを十人以上包み込めるほどの規模を誇るその質量。その体内には、いくつもの遺物が漂い、不気味な光を放っている。遺物が発するマナの波動がスライムの身体を通じて広がり、まるで空間全体が歪んでいくようだった。周囲の空気は、ただそれが存在するだけで異様なほどの緊張感を孕んでいく。
『グランスライム、攻撃態勢に移行』
無機質な声が静寂を切り裂いた。その声が響いた瞬間、グランスライムが静かに動き出す。スライムのはずなのに、その動きには通常のそれとは異なる精密さがあった。粘性を持つ液状の体が波打ち、異様な柔軟性と質量が驚異的なバランスで共存している。
「アルマ様、ここは私たちが食い止めます!砲撃を止めることに集中を!」
ロクスが迷いなく叫ぶ。その言葉は確固たる信頼と共に、アルマの背中を押す。
「…わかりました!」
アルマは短く応じると、一気に駆け出す。その瞳には揺るぎない炎が灯っていた。階段へと向かう彼女の足音が響き、戦場の喧騒の中でさえはっきりと響いた。
彼女の後ろで、ロクスが鋭く剣を構え、目の前の脅威を見据える。
「ゼフィア、時間を稼ぐぞ!」
ロクスの言葉に、ゼフィアは僅かに笑みを浮かべる。そこには、かつての冷酷さではなく、どこか熱を帯びた意志が宿っていた。
「――あぁ、見えた希望を、失わせはしない!」
彼女の周囲で闇のマナが渦巻き、戦場の空気をさらに張り詰めたものへと変えていく。その黒い輝きは、これまでとは異なる決意を宿していた。
グランスライムは透明な体をゆらめかせながら、内部の遺物の輝きを増していく。それぞれが異なる波長の光を放ち、その不吉な発光は戦場全体に圧迫感を与えていた。その異様な光景は、見る者すべてに底知れぬ不安と恐怖を刻み込む。
一方、アルマは階段を駆け上がる。その耳には、ロクスとゼフィアの戦いの音が重なって聞こえてくる。その衝撃音、魔法の発動音、剣の激突音――それらが、彼女の背を押し続ける。
行かなければならない。止めなければならない。彼らの戦いを、無駄にはしない。 決意が、鼓動と共に高まっていく。彼女は拳を握りしめ、目を閉じることなくひたすら前を見据えた。
「待っていて…必ず、止めてみせる!」
その小さな呟きは、まるで誓いのように響き渡り、彼女の足をさらに速めた。
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