(26)意図せぬ砲撃
ゼフィアの顔は蒼白に染まり、その瞳の奥では怒りと動揺が渦巻いていた。
彼女が誇りを持って操っていた召喚獣、グリフォン――それは、ダークエルフの長き研鑽の結晶であり、天剣の騎士すら圧倒していた。それが今、ただ一撃、しかも戯れのような蹴りで沈められた。その光景は、彼女のプライドを鋭く抉り、戦況の急激な変化に思考が追いつかない。
ラヴァンはただの獣人、南方から送り込まれた諜報員にすぎない。しかし、グリフォンは違う。それは血と時間を注ぎ込んで築き上げた一族の叡智――誇りそのものだった。だというのに、黒雷を纏う男は、それをたやすく打ち砕いた。まるで無価値な玩具を壊すかのように。
ゼフィアは力を失った足でよろめき、ただ戦場に立ち尽くすしかなかった。
その沈黙を破ったのは、無機質で冷徹な機械音だった。
『マナ抽出庫に対する強い衝撃を検知』
遺跡の壁や床を青白い光が駆け巡り、複雑な紋様が浮かび上がる。カーライルは双剣を握り直し、鋭い視線を巡らせた。ロクスもまた、異変の兆しを冷静に探る。一方、ゼフィアの呼吸は乱れ、焦燥に染まった瞳が宙を彷徨う。
『マナ抽出庫に衝撃を与えた存在のマナを解析…召喚獣グリフォンと推定。ダークエルフが持つマナの特徴と一致』
無感情な宣告が響く。青白い光が部屋全体を包み込むと、ロクスは眉をひそめ、静かに問いかけた。
「ゼフィア…お前はこの遺跡を掌握していると言っていたな。だが、この動きはどう見ても、お前の意図から外れているように見える」
その言葉に、ゼフィアの表情はさらに曇る。彼女は答えを探すように視線をさまよわせ、かすれた声で反論した。
「ありえない…この遺跡は三十年かけて解析し、管理者として私に書き換えたはず…それなのに、何が起きている…?」
『ダークエルフを敵対勢力と認定。マナ抽出庫のフロアに一体を確認。他にも残存勢力が存在していないか索敵を開始』
無機質な声が告げるたびに、ゼフィアの血の気が引いていく。その瞳には、明確な動揺と混乱が浮かび、彼女は震える唇で叫んだ。
「な…何を言っている!? 我らダークエルフが敵だと!? 敵はルーチェリアの王家だ! 秘石を奪った魔法使いの子孫ども、そしてその繁栄を享受する者どもが、我らの敵のはずだ!」
ゼフィアの叫びを無視するかのように、部屋の壁に青白い光が渦を巻き、大陸全体を模した地図が浮かび上がる。その地図には、北の雪国、南の砂漠の国、東の広大な大地、西の果てしない海が描かれ、その中心にはこの塔が位置していた。そして、南西の一点が赤く明滅し始める。
その光を目にした瞬間、ゼフィアの息が詰まる。
「あ…あの位置は…! 我らの隠れ里…!」
蒼白になった彼女の表情に恐怖と混乱が浮かぶ。状況の急転、制御不能に陥った現実が、鋭い刃のように心をえぐっていく。彼女はこの遺跡を掌握しているはずだった。しかし、遺跡はあたかも意志を持つかのように、自らの意思を拒絶した。
『砲撃に必要なマナは確保済み。目標座標を北西から南西へ修正完了。到達予想時間、三秒から五秒に修正。大気中マナとの干渉による威力損失は誤差範囲内と計算完了。マナキャノンへの充填を開始。充填完了まで約千秒』
冷徹な宣告が響くたび、壁に刻まれた紋様は激しく脈動し、塔全体がかすかに揺れ始める。緊張感が張り詰め、時間が急速に収束していくかのような圧迫感が、遺跡全体を覆い尽くす。
ゼフィアは一歩、後ずさる。しかし、すぐに足を踏みとどまり、震える拳を握りしめた。
「…こんなはずでは…こんなはずでは…!」
声は掠れ、絶望に染まっていた。
焦燥と恐怖が混じり合う中、彼女は魔法陣へとマナを注ぎ込む。制御を取り戻すために、必死に己の意思を刻み込む。しかし――遺跡はそれを冷たく拒絶した。
バチッ!
青白い光が弾け、反発する力がゼフィアの手を弾き飛ばす。床に刻まれた魔法陣が揺らぎ、甲高い異音が塔全体に響き渡る。
「な…っ!」
ゼフィアは歯を食いしばり、顔を歪めながら再び叫ぶ。
「やめろ…! 私の命令に従え!!」
だが、その叫びに応えるのは、無慈悲な機械音だった。
『ダークエルフからの命令を遮断。当初設計から書き換えられていた部分の自動修復を完了』
ゼフィアの瞳が見開かれる。
「…な、なんだと…!?」
『敵対勢力の殲滅処理を継続。また先程の衝撃により、マナ抽出庫への一部マナ逆流を確認。しかし、影響は軽微。砲撃準備に支障なし』
淡々とした報告が響くたび、ゼフィアの顔から血の気が失われていく。
支配していたはずの遺跡。彼女の意志で掌握したはずのシステム。それが、今まさに目の前で、無慈悲にも彼女を切り捨て、自らの本来の目的へと動き出している。
「そんな…」
ゼフィアの膝がかすかに震え、拳を握り締めたまま立ち尽くす。その指先から流れ落ちた血が、床の魔法陣へと落ち、小さな赤い染みを作る。しかし、彼女にはそれを気にする余裕すらない。
遺跡の奥深くから響く冷徹な機械音、魔法陣を脈打つように駆け巡る光、そして――止める術を持たぬまま、ただ見つめるしかない己。
彼女の世界が、音もなく崩れ去っていく。
ゼフィアは唇を強く噛みしめるが、現実は変わらない。悪夢のような展開は、無情にも彼女の目の前で進行していく。
その様子を見ていたカーライルは、黒い雷を纏う双剣を軽く回しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「…いいねぇ。面白くなってきたじゃねぇか」
その声には、圧倒的な余裕と危険な愉悦が滲んでいた。双剣を纏う黒い稲妻が不吉な光を放ち、彼の周囲の空気を揺るがせる。その姿は、ゼフィアにとってもはや人間の域を超えた存在のように映った。得体の知れない恐怖が、背筋を這い上がる。
「ふざけるな…!」
ゼフィアの叫びは、しかし無力な抵抗にすぎなかった。
『砲撃準備の障害となる可能性がある生命体、ダークエルフを含め、マナ抽出庫のフロアに四体確認。排除を開始します』
無機質な声が空間に響いた瞬間、床一面に無数の魔法陣が浮かび上がる。青白い光がうねりながら空間を包み込み、冷たい威圧感が場を支配する。
ロクスは眉間に深い皺を寄せながらも、冷静な視線をゼフィアに向けた。
「お前の手を離れたな。この塔は、私たち全員を敵とみなしたようだ」
静かに放たれた言葉には、容赦ない現実が突きつけられていた。ゼフィアの肩が、わずかに震える。
彼女は一瞬目を伏せる。しかし、すぐに深く息を吸い込み、拳を握り直した。
「何としても…何としても…我らの里を守らねば…!」
その声には、絶望に飲み込まれることを拒む強い決意が宿っていた。
遺跡全体が戦闘態勢を整え、青白い光が鼓動するように脈打つ。冷徹な輝きと緊迫した空気が支配する中、三人の視線が交錯する。それぞれが抱える目的と信念が、混沌の渦の中でぶつかり合おうとしていた。
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