(4)灯る希望
馬車は夕暮れの柔らかな陽射しを浴びながら、のどかな村へと到着した。円環の村――その名が示す通り、円形の湖を中心に広がるこの村は、美しい自然と穏やかな空気で知られている。だが、その景観にはどこか薄い陰りが漂い、村全体に疲労感と停滞した空気が満ちているようだった。活気に満ちているはずの村の中央広場も、人影が疎らで、どこか張り詰めたような静けさが漂っている。
馬車が村の中心に差し掛かると、年老いた村長が現れた。質素だが清潔に整えられた服に身を包んだ彼は、馬車を見て驚いた様子で目を丸くし、次いで落ち着いた笑顔を浮かべて歩み寄った。
「おや、これは珍しい。こんな辺鄙なところに旅人とは…どうぞ、お疲れでしょう。少しお休みになられてはいかがですか?」
村長の声は穏やかだが、その奥にはどこか申し訳なさそうな色が滲んでいた。
アルマは馬車を降り、軽く礼を述べる。その明るい態度に村長は微笑み返すものの、すぐに苦々しい表情を浮かべた。
「実は、村も今はあまり落ち着いておらず、こんな状況で旅人様を迎えるのは、少々申し訳ないのですが…」
アルマは首を傾げた。「どういうことですか?」
村長は深いため息をつき、遠く湖の方角を見つめながらゆっくりと語り始めた。
「数年前から、村の誇りだった円環の湖にモンスターが出るようになりましてな。とりわけ満月の夜、月光花が咲き誇る頃を狙うように…。そのせいで湖は荒れ、人々は近づけず、村の暮らしもすっかり変わってしまいました。」
語る彼の声には、深い疲労感が滲んでいた。続けて村長は、かつての村の様子を懐かしむように話を続けた。
「昔は建国祭に訪れた遠方の人々が、帰路につく前にこの村に立ち寄り、湖の荘厳な景色を楽しんだものです。村の者たちも張り切って観光客をもてなし、その笑顔を見るのが何よりの喜びでした…」
そこまで語ると、村長は再び深いため息をつき、肩を落とした。「それが今では、湖に近づくことすら危険だと言われるようになり、誰も訪れなくなりました。」
「王都に依頼は出さなかったのですか?」
アルマの質問に、村長は苦い表情で頷いた。
「もちろんですとも。何度も冒険者ギルドに依頼を出しました。けれど来てくれた冒険者たちは皆、モンスターを討伐できずに撤退するばかり。そしてつい最近になって、王都が死霊の軍勢に襲われたとかで…」
村長は唇を噛みしめるようにして、言葉を継いだ。
「ようやく派遣されるはずだったミスリル級の冒険者も、来賓の護衛に回されてしまい、こちらへは来られなくなったと連絡が…」
その声は徐々にか細くなり、最後には消え入りそうになった。村全体を覆う疲弊した空気が、より一層重く感じられる。
「そして、ちょうど今夜が満月…。村の者たちで見張りを固め、モンスターが村まで来ないようにすることしかできません。」
アルマは村長の言葉をじっと聞きながら、自分の胸の中に湧き上がる感情を押し込めることができなかった。繁栄していた村や街が時間とともに衰退していく姿を、彼女は領主の娘として他人事にはできなかった。そこに住む人々の失意と諦め、それでも何かを守ろうとする彼らの姿を想像すると、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「じゃあ、私たちがそのモンスターを退治します!」
アルマは勢いよく言葉を発した。その声にはためらいのない決意が込められていた。村長は驚いた表情を浮かべ、目を丸くして彼女を見つめる。だが、その横でロクスが厳しい顔をして口を挟んだ。
「アルマ様、あなたは領主の娘であり、王家から直接の護衛命令を受けた対象です。無用な危険を冒すことは許されません。」
ロクスの声には静かだが揺るぎない警戒心が滲んでいた。
その隣で、カーライルが壁にもたれながら軽い調子で口を開いた。「嬢ちゃん、モンスター退治なんて軽々しく言うけどな。ギルドが手を焼いてるってことは、相当な強敵ってことだぜ?」
そう言いながら村長をちらりと見やるカーライルの目は、軽口の奥に鋭い光を宿している。その視線が村長の動揺をしっかり捉えていた。
しかし、アルマは怯むことなく前を向いたまま、熱のこもった声を上げた。「それでも、この村の人たちが困っているのを見て、何もしないなんて!それに…」
彼女の言葉が途切れた瞬間、カーライルが顎を引いて促す。「それに?」
アルマは一度大きく息を吸い込むと、ロクスに向き直り、その瞳をまっすぐ見つめた。「それに、私一人じゃ不安かもしれません。でも、ロクスさんが一緒なら大丈夫です!天剣の騎士で、あの死神を一撃で倒したあなたがいれば、どんな敵だって乗り越えられます!」
その言葉にロクスは微かに眉を動かしたが、その表情は揺らがない。隣でカーライルが肩をすくめながら苦笑した。
「嬢ちゃん、情熱的なのはいいが、そう簡単にいくかね。まあ、どうしても突っ走るっていうなら、俺も付き合うさ。ただし、報酬はきっちり頼むぜ?」
アルマは顔を赤らめつつ力強く頷き、カーライルに向かって宣言するように答えた。「もちろん!」
ロクスは静かにアルマを見据え、その熱意を測るように一瞬の間を置いた後、深く息をつく。そして、低く落ち着いた声で告げた。
「私がいるから安心、というのは随分と都合のいい話ですね……。」
静かながらも、その言葉には厳しさが滲んでいた。だが、彼は少し視線を落とし、自身の青い制服に刻まれた金色の盾の紋様を左手でなぞるように触れると、言葉を続ける。
「しかし――天剣の騎士の本分は盾。人々を守ることが使命です。モンスターに苦しむ街を見て見ぬふりをするのは…本分に反しますからね。」
その言葉には、彼の確固たる信念が込められていた。
「いいでしょう。我々でこの任務を引き受けます。」
アルマの顔がぱっと明るくなる。だが、ロクスはそれを制するように、少しだけ険しい表情を見せた。
「ただし、条件があります。」
彼はまっすぐアルマを見据え、冷静に続けた。
「絶対に無茶をしないこと。そして、私の指示に従うこと。この二つを守れない場合は、その場で撤退します。」
ロクスの言葉には一切の甘さがない。その真剣な態度に、アルマは一瞬背筋を正すように姿勢を正した。
「…分かったわ。約束する。」
そう言うと、アルマは深々と頭を下げる。
「ロクスさん、本当にありがとうございます!」
感謝の言葉には、彼女の純粋な喜びが込められていた。そのやり取りを横で見届けていたカーライルが、ふっと笑い、肩をすくめながら軽く手を挙げた。
「さて、村長さん。ギルドを通さねぇ分、報酬のほうもそれなりに期待してるぜ?」
茶化すような口調だったが、目の奥にはいつもの軽妙さとは違う、鋭い光が宿っていた。村長はほっとしたように息をつき、何度も感謝の言葉を口にする。夕暮れの光が村を包み込む中、ささやかながら新たな希望の光が差し込んだように思えた。
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