(10)監査官の影
アルマの青ざめた顔、震える拳――そのすべてが、彼女の心の中の恐れと不安を物語っている。
カーライルは静かに彼女を見つめた後、軽くため息をつき、首を振る。
「嬢ちゃん、落ち着け。」
穏やかながらも冷静な声音が、アルマの焦燥を引き戻すように響く。
「領主がそんなことを仕組むわけがないだろう。考えてみろよ。もし親父さんが犯人だったら、嬢ちゃんを王子の儀礼に同行させるはずがない。むしろ遠ざけるだろうさ。」
その言葉に、アルマは息を整えながら静かに考える。確かに、父は王子の儀礼を無事に終わらせるために、必死で手を尽くしていたはずだ。
「…そうね。」
ようやく落ち着きを取り戻したアルマが、深く息を吐き出す。
「お父様がそんなことをするわけがない…ありがとう、カーライル。」
少しだけ羞恥心を浮かべながら礼を言う彼女を見て、カーライルは軽く肩をすくめる。
「まぁ、焦るな。冷静に状況を見極めていこう。」
だが、彼の頭の中では鋭い思考が巡り続けていた。
表情こそ穏やかだが、推理のピースが次々とはまっていく感覚を確かに感じていた。
「一カ月前から特級ポーションの製造準備が始まっていた。そして最近のアイテムバッグの紛失…」
カーライルは指先でジョッキの縁をなぞりながら低く呟く。
「符号が多すぎる。これだけの偶然が重なるとは思えない。工房長が絡んでいる可能性は高い。」
その分析に、アルマの目つきはさらに鋭くなった。
握りしめた拳には、込み上げる怒りが凝縮されている。
「でも、今の段階では証拠がない。」
カーライルが淡々と続ける。
「問い詰めたところで、『王子様の儀式に備え、万が一の怪我に備えて特級ポーションを準備しました』なんて言い逃れるのがオチだろうな。」
その皮肉めいた言葉に、カーライルは小さく苦笑する。
一方、アルマは目を伏せ、低く呟いた。
「そんな言い訳、絶対に許せない…どうにかして証拠を掴まなきゃ。」
彼女の声には、冷たく鋭い意志が宿っていた。
「工房から直接証拠を掴むのは難しい。」
カーライルは静かに言葉を紡ぐ。
「だが、別の方法がある。」
アルマは顔を上げ、カーライルを見つめる。
「…どういうこと?」
「監査官だ。そいつを調べるしかない。」
「監査官…。」
アルマは言葉を繰り返し、視線を落として考え込む。
「タイミングが良すぎる。」
カーライルの声が、酒場の静けさに沈む。
「魔石屋やポーション工房の免許更新を担当する監査官が、第三王子と一緒にこの街に現れた。」
ゆっくりと、しかし確実に彼は言葉を続ける。
「この状況でそいつが無関係だなんて思えない。」
アルマの目に、ふっと小さな光が灯る。
「…確かに。」
決意を込めた瞳でカーライルを見据え、力強く言葉を紡ぐ。
「分かったわ。次は監査官の動きを追ってみる。」
カーライルは彼女の視線を静かに受け止め、軽く頷いた。
「監査官が王子と一緒に来たってことは、儀式が終わればすぐ王都に戻るだろう。猶予はほとんどない。」
そして、彼は静かに忠告する。
「嬢ちゃん、無理するなよ。」
アルマは少し眉をひそめ、不満げに言い返した。
「時間がないなら、カーライルも少しは動いてくれればいいのに。」
その頼るような声に、カーライルは肩をすくめて冗談めかす。
「愚痴を聞くのは銅貨三枚、アドバイスは銀貨一枚。一緒に動いてほしけりゃ銀貨五枚だ。」
アルマは驚きと呆れが混じった表情を浮かべる。
「ここで交渉なんて…少しは尊敬できるかと思ってたのに。」
カーライルは彼女の視線を軽く受け流し、薄く笑う。
「後払いでもいいさ。」
そして、ジョッキを傾けながら静かに言った。
「ここまできたら裏があるのは明らかだ。ポーションの紛失が単なる事故とは思えない。盗難も絡んでるとなれば、確実に犯罪だ。」
彼は言葉を続ける。
「これを解決できれば、領主様から報奨金の一つや二つ、金貨一枚くらい出るだろう。」
アルマは短く答えた。
「…成功報酬ね。」
「失敗したら何も払わない。それでいい。」
カーライルは軽く肩をすくめ、穏やかな笑みを浮かべた。
アルマは挑戦的な笑みを浮かべながら言った。
「明日の朝イチで魔石屋に来てくれる? 監査官の免許更新の話を考えれば、あそこにも必ず足を運んでいるはずよ。」
カーライルはジョッキを持ち上げ、一口飲む。
「了解だ。遊びでやってるわけじゃないからな。」
アルマは椅子から立ち上がり、歩き始める。カーライルは彼女の背中を目で追いながら、ジョッキを持ち上げる。エールを飲み干し、ふと最初の愚痴から始まった展開を思い返す。
(…ただの愚痴が、ここまで膨らむとはな。)
胸の中に蘇るのは、かつての冒険者だった頃の高揚感。その感覚を噛み締めながら、彼は静かにジョッキを置き、次に待ち受ける波乱を楽しむように目を細めた。
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