九話 進路相談
ご夫妻の所から高校へ通い出し一年。
いよいよ高校三年を迎え、歩にも進路と言う問題に直面する事に成る。
御夫妻の元で暮らし始め一年もすると、高校の最終学年と成る三年生へと進級し、進路問題に直面する事と成った。
三年生に上がるや否や、進学か就職かのアンケートが為され、私は迷う事無く就職と回答したのだが、そのアンケートが為されて後三日程して、突然担任の下山先生に放課後職員室へ来る様言われた。
『何かしたやろか!?』
呼び出された事に思い当たる節が無かった私は、放課後、何事かと職員室の下山先生の元へ向かった。
職員室へ入った私に気付いた先生は、
「おう辻堂、お前進路アンケートに就職って書いとるけど、ほんまにこれで良いんか?」
職員室に響き渡る大声で話し掛けられた私は、自身が悪い事をした訳では無いのに、嫌と言う程の気まずさを覚え、伏し目がちに成り足早に先生へ近付くと、恥ずかしさと腹立たしさから声を落とす様に頼んだ。
だが、普段から威勢の良い下山先生には、その様な気遣いを求めても無駄だと私はこの直後に思い知らされた。
「何言うとるんや!?
お前に取って大事な話やし、隠す様な話でも無いんやからかまわんやろ!
それより、そないな事はどうでも良い。
話しはアンケートの事や!
お前なら、十分国立の大学だって進学出来る頭持っとるんやから、先生はお前が大学行く事を諦めてほしゅうは無いんや!
やっぱり進学を考えんのは、お世話に成っとる家に気い使うとるからなんか?
それとも、端から進学させて貰えんのか?」
声のトーンを下げる事も無く、相も変わらぬデリカシーの無さで話す先生に呆れつつ、私に取って唐突とも言える担任の言葉は、私がこれ迄受けた社長さん御夫妻の御恩からして、その様な心の狭い方々では無い事を訴えたい衝動に駆られた。
しかし、端から進学と言う考えを持って居なかったのに加え、金銭的な負担をこれ以上強いる事は出来無いと言う私の思いが、先生が抱く社長さん御夫妻に対する印象を悪くさせ面目を潰したのだ。
「そんな方々じゃ無いです!」
社長さん御夫妻が誤解されて居ると腹立たしさを覚え、ムッとした口調で言った私に、
「ならお前、居候先に気ぃつこうて何も相談せんと勝手に決めたんやろ!
やっぱり、そんな事やと思うとったわ。
お前は頭が良いし、気ぃ使いやから相談もせんで勝手に決めたん遣ろうけど、儂は多分そんな事やと思うて、お前には悪いけど保護者の方に連絡させて貰うた。
もう直ぐみえる筈やから、少し早いけど三者面談するつもりで教室で待っとってくれ。」
言われ、瞬時私は余りの驚きに返す言葉を失ってしまった。
私は動揺しつつも教室へ戻る途中、
『何で、俺に一言も無しに奥さんへ連絡するんや!?』
奥さんへ知れた気まずさから、担任の勝手な遣り口に沸々と沸き上がる怒りに、
『このままバックレたろうか!?』
そんな考えも頭を過ぎったが、どの道、家に帰ってから気まずく成るのは必至と、もやもやした気持ちのまま教室で待つ事にした。
黒板の上に掛かる時計が午後三時五十分を差した時、徐に教室の扉がガラッと音を立て開くと、普段の事務服とは違う紺のツーピースに身を包んだ奥さんが入って来た。
最後列にある自分の席に座って居た私を見咎めるや、
「歩君、何したの?」
奥さんが唐突に声を掛けて来た。
私はこの後、奥さんが心配する事柄とは違う意味での心配事に、どの様な結果が待ち受けるのか想像すると畏れ、返事を返す事が出来ずに俯き黙りこくってしまった。
奥さんは、そんな私の様子に更なる不安を覚えたのか神妙な顔付きで、
「本当に、何があったの?
一体どうしたって言うの?
先生に呼び出されるなんて初めてで、おばさんもう何が何やら心配で心配で・・・」
と、些か取り乱す様な素振りと成った。
そこへ、
「お待たせしてすいません。」
担任である下山先生が入って来た。
その姿を見咎めるや否や、
「先生、うちの歩君が何をしたんですか?」
私が以前ヤンチャだったからか、奥さんは端から私が何かやらかしたのだと、話を聞く前から決め付けて居たのであろう、間髪入れず問い掛けるや否や、
「この度はうちの歩君が御迷惑を掛けたみたいですいません。」
と、些か先走った感が否めない謝罪と共に頭を垂れた奥さんの姿に、私は釈然としない物を心の内に抱き憮然とした。
これに下山先生は、
「篠崎さん、勘違い為さらないで下さい。
本日、保護者の方をお呼び立てしましたのは、歩君の進路に付いて御相談させて頂きたいと思いましたので。」
そう言った下山先生の言葉に、
「進路!?
あら!
なら、歩君が何かやらかしたと言う訳では無いんですね?」
急に呼び出された理由を知らなかった奥さんは、何か事を起し呼び出されたものだと不安に思って居たのだろう、ほっとしたのか強張って居た顔が緩むと、全身から力が抜け腰から崩れ落ちそうに成るのを、私は寸でで抱き抱え先生が引いてくれた椅子へ奥さんを座らせた。
すると、奥さんは私へ向かい、
「歩君、御免ね。
おばさん、歩君が何か問題を起こすなんて思っては無かったけど、今迄一度として呼び出しなんて事無かったから、もうどうして良いか解らなく成って疑っちゃった。
ほんと、御免なさい。」
そう私へ詫びるや、今度は下山先生の方へ向き直り、
「それで先生、歩君の進路に付いてとはどう言った事なんでしょうか?」
この奥さんの問いに私は、
『アカン、遂に来た!』
担任がこれから話す事で、私の面倒を見てくれる社長さん御夫妻の思いを、私が無下にして居ると思われ無いか心配に成った。
先生は先生で、私が社長さん宅に居候して居る事は知って居たが、社長さん御夫妻が私の進学を望んでいる事迄は知らず、寧ろ居候に進学の道を与えて遣ってはくれないかと、無理を承知で頼み込むつもりであった様に見えた。
そうした状況の中、
「では、改めて面談と参りましょう。」
その担任の言葉で、三者面談は始まった。
落ち行く夕日が差し込む教室の中、向かい合う奥さんと担任が改めて挨拶を交わすと、早速担任は奥さんへ私の成績を説明した後、
「と言う訳で、私は歩君の成績なら進学しないのは勿体無いと思ってるんです。
ですが、先日提出して貰った辻堂君の進路アンケートには、進学では無く就職希望と成って居りまして。
そこで本人に聞いた所、どうやら保護者さんに相談せず決めた様なので、差し出がましいとは思いましたが、保護者の方はどの様に御考えなのか聞いてみたいと思いお呼び立てした次第です。」
そう言った担任の言葉に、奥さんは大層驚いた様子で話を聞き終わるや否や、
「ほんとなの、歩君!?
どうして何も言ってくれなかったの!
私達は、あなたを引取る時に言った筈よ。
高校を卒業するのは勿論、歩君が大学へ進学するなら応援するって!
もし、私達に負担を掛けたく無いと思ってるなら、それは大きな間違いよ!
まして、進学出来る成績なら尚更に言って欲しかったわ。
あなたのお母さんも、あなたが進学するのを本当に望んでたんだから!」
そう言った奥さんの瞳に、うっすらと涙が浮いて居るのを見た私は、御夫婦の思いを考え無かった事を恥じつつ顔を伏せた。
「奥さん、すいません。
高校を出して貰えるだけで十分有り難いのに、その上大学なんて行かして貰ったらバチが当たるって思ったんです。」
こう言った私に、
「歩君、ここで話す事はしないけど、帰ったら叔父さんと三人でゆっくり話しましょう。」
そう言った後、すかさず、
「先生、まだ進路の決定には余裕がありますよね!?」
奥さんの勢いに、返事と共に頷いた担任へ向かい、
「では、これから改めて歩君の進路に付いて帰って話し合います。
今日は一先ず、引取らして頂きます。」
そう言った奥さんが、私へ向ける剣幕に自身の思い違いだと気付いた先生へ、奥さんは挨拶と共に御辞儀をすると、私の腕を力一杯引っ張る様に教室を後にした。
手を引かれ廊下を歩く私が振り返ると、そこには教室の入り口に呆然と立ち、連れ立って歩く私達を唖然と見送る先生が居た。
帰りの車の中、奥さんは一言も口を利く事も無く、黙ったままハンドルを握り車を走らせた。
四月に成ったとは言え、午後六時半とも成ると陽は空に薄ら紅色を残しつつ、その姿は遠くに見える西の山並みの裏へ徐々に姿を消し、あれよあれよと言う間に夜の帳を下ろさせた。
すると、周りに見える色付いた景色の色は暗さに呑まれて消えて行く。
そうした時刻に、自分の部屋に居た私は階下から奥さんに呼ばれた。
いつもなら幾らか会話がある夕食だが、この日の食卓は水を打った様に静かで、私には嵐の前の静けさを思わせ、不安と緊張から体が強張るのを感じて居た。
御夫妻と向かい合う私は、針の筵に座る様な思いを感じて居た。
家に帰ると、社長さんが帰って来たら声を掛けるから、それ迄は自室で待つ様にと言われ、私は一時間程過ぎた頃に階下から呼ぶ声で下へと降りた。
神妙な面持ちで食卓に座るご夫妻の前に座ると、一気に息苦しさを感じ今直ぐにでも逃げ出したい気持ちに成ったが、兎に角、今はこの場で自身が思う事を正直に話すのが最良と覚悟を決めた。
私が座ると、暫くジッと私を見て居た社長さんが徐に口を開いた。
「飯は、話が済んでからで良いか?」
これに頷いた私へ、
「なら、話を始めようか!」
言った社長さんは、一呼吸置くと奥さんへ目線を送りつつ、
「うちの奴から聞いたんやけど、歩は進学出来る頭持ってるのにせんて言うてるんやて?
何でや?
先生かて、歩の成績やったら十分大学に行けるから、進学を勧めてくれてるって話しやないか!
歩、よう聞いてくれな。
儂らは、歩を叱ろうってんじゃ無いんや。
只、そんだけの頭があるのに、何で進学しようと思わんのか不思議でしょうが無い。
もし、儂らに迷惑掛けたく無いって思ってるんやったら、それは大きな間違いやで!
歩の母さんが言ってた様に、儂らも歩が大学に行ける実力があるんやったら、喜んで行かして遣りたいと思うてるんやから。」
一緒に暮らす様に成ってから、他人行儀な接し方を止めた社長さんの言葉から、私の進学や将来に付いての話し合いは始まった。
呼び捨てで私を呼んでくれる様に成った社長さんの思いは、私なりにも十分に理解はして居るつもりであったが、ここ迄面倒を見て貰っただけでも十分な私に取って、これ以上甘える訳には行かないとの思いが強かった。
そうした私への社長さんの言葉は、嬉しくとっても有り難い事なのだが、
「ですが、ここ迄して貰ったので十分です。
これ以上は、勿体ない事です。」
言った私を暫く見て居た奥さんが、スッと席を立つや夫妻の部屋である奥の間へ姿を消すと、暫くして何かを手に戻って来た。
「歩君、これを見てくれる!?」
奥さんはそう言うと、手にして居た物を私の前にスッと差し出した。
それは、これ迄に一度も見た事が無い私名義の預金通帳と、学資保険の証書であった。
それらを手にした私に向かい、
「中を開けてご覧なさい。」
そう言われ、私は通帳のページを開き中を改めた。
ページを一枚ずつめくり、最後に印字された行を見た時、驚きの余り言葉を失った。
その最後の行には、母が亡く成る前日に預金をした証しと成る、真新しい印字が為されて居たからだ。
そして、学資保険迄契約してくれて居た。
それらを見て驚く私に、
「歩君。これはね、あなたのお母さんがあなたの産まれる前から、産まれてくる我が子の為にとコツコツ貯めて来たお金なの。
お母さんはね、自分の手元に置いておけば苦しく成った時、ついつい手を付けてしまうかも知れないって、普段は私に預けて決して手を付ける事はしなかったの。
だから見たら解ると思うけど、引き出しの欄には一つも記載は無いでしょう。」
そう言われ、改めて通帳を見直すと、引き出しの欄には一度たりとも記載された跡は無く、反面入金の欄には小まめに記載が連なって居た。
『母さん。』
胸に去来する母の想いに、胸を熱くする私へ向かい、
「歩君。
私達に負担を掛けると思ってるかも知れないけれど、あなたが思う様な事には全然成らないからね。
その二つを合わせれば、国公立は疎か学部にもよるけど、私立大学でさえ進学出来る金額なのよ。
だから、あなたは私達に気兼ねなんかする事なく進学すれば良いの!」
そう言った奥さんに続いて、
「そうやで、歩。
儂らがお金を出す迄も無く、歩のお母さんが大学卒業出来るだけのお金は貯めてくれてたんやから、それだけの実力があるんやったら何の遠慮もせんで進学したら良いんや。
それが、お母さんの望みでもあったんやからな!
けど、留年なんかしたら、お母さんが泣かはるで!」
と、私が既に心変わりをし、進学する物と言う前提で話し大笑いするのだった。
私は社長さん御夫妻と話す迄、進学する気など毛頭無く、母の思いを汲み進学させる事が使命と取る御夫妻へ、どの様にすれば進学する事を諦めて貰えるかだけを考えて来た。
しかし、母の想いを十分に理解されているご夫妻の想いに、私は進学する事を決めた。
母やご夫妻の想いを知り、頑なだった歩の気持ちにも変化が起こる。