五話 母
いよいよ歩の人生が大きく動き出す。
最愛の母を失い天涯孤独と成った歩、それを支える周りの人々との関係。
人生は何かしらの助けを受け、生きて行く物だと思うのです。
『“カラス鳴きが悪い”って、昔っから不吉やって言われてるよなぁ!?
ったく、縁起でも無い!』
何気に、そんな事を思った途端、居並ぶ屋根の上を遠ざかるカラスに腹を立てた私を、
「おい、辻堂!
ちょっと前へ来い。」
突然、受けて居た授業である社会史、その教師であり担任でもある鈴木先生が手招きし私を呼んだ。
普段と変らぬさっき迄の表情と違い、筆舌つくしがたい切羽詰まった表情に、何事かと教壇へ目を遣った私の目に、いつの間にか教室に入って居た教頭先生の姿も見咎めた。
二人して私を見る目に、何とも言えぬ不安を覚えつつ教壇の方へ行くと、
「辻堂君、お母さんが職場で倒れられ病院に運ばれたそうや。
私が病院へ連れて行くから、急いで帰る仕度をして一緒に来なさい!」
教頭先生に言われ、
『病院!?』
私の中へ一気に不安が拡がると、私は何処をどう走ったのか、どんな景色が流れたのかさえ覚えて居ない程、車中では動揺し生きた心地がしなかった。
病院に着くや私の不安は的中し、その足で霊安室へ向かう事に成ってしまった。
「ご遺体は霊安室の方に。」
病院のスタッフから、そう告げられた後の事を私は何も覚えて居ない。
気が付けば、母の遺体は荼毘に付され、私は母の骨を拾い骨壺の中へと入れて居た。
母の葬儀は通夜や葬儀を行なわない、限られた人達のみで火葬を行う火葬式、別名直葬と呼ばれる、それはそれは小さなお葬式であった。
母と子、これ迄二人だけで寄り添い生きて来た中、母は職場の人や近所の極僅かな人としか交流を持たなかった。
十七の私に取って、唯一の肉親である母を失った事は喪心であったが、感傷に浸る暇さえ無い程に様々な手続きや、それに伴う儀礼をどうするかと言う問題が待ち構えて居た。
差し当たって、世間を知らない十七の子供でも、人が亡くなれば通夜や葬儀と言う物を執り行う事位は流石に知って居たが、それをどの様に手配し掌れ(つかさど)ば良いのか迄は解らなかった。
只、葬儀を終え一段落すると、母の死から多忙を極めた日々をぼんやり回想する事が出来た。
そして、先ず思い出されたのは、霊安室で横たわる母の亡骸を眼下に、呆然と立ち尽くす私に話し掛ける人の姿だった。
私が声の主の方へ向き直ると、其処にはこれ迄に二・三度顔を見た事がある男性が立って居た。
私は直ぐに、その男性が母の勤めていた会社の社長、篠崎さんだと気が付いた。
母が掛け持つパートの一つ、昼の仕事として勤めていた会社は、梱包資材の製造販売を行う会社で、私達が以前住んでいた街に居た頃から彼是十五年程勤めて居た。
そうした事から、我が家の内情を知って居るのであろう社長は、横たわる母の亡骸を暫く見詰めた後、再び私の顔を見据え、
「歩君だね。
私は……」
そこ迄言った社長さんの言葉を遮り、
「覚えてます、母さんが働いとった会社の社長さんですよね。」
言った私に、諾う(うべな)返事を返すと、
「この度は、ご愁傷様です。
ほんとに何と言って良いか。
突然だったからねぇ、歩君大丈夫かい?」
社長さんはそう言って、私の肩へ手を置き優しく声を掛けてくれた。
これに、母が死んだ現実を受け入れられない私は、唯々憮然と母の亡骸を見詰める事しか出来ず、他の事を考える余裕などこれっぽっちも無かった。
「なんでなんや!?
なんで?
朝は、元気やったんです。」
私は、そう絞り出すのがやっとであった。
其処へ、病院のスタッフが遣って来ると、安置場が決まれば直ぐにでも遺体の移動をして欲しいと言って来た。
私は、『母の死を悼む事すら許して貰え無いのか?』と、容赦無く繰り出される世の不条理とも言うべき対応を恨み、そうした事で無理庫裡現実に引き戻される事に怒りさえ覚えたが、同時に、
『これからどうしたら良いんやろう!?』
と、現実にこうして押し寄せる問題へ、対処する術を知らない私は、心の中に湧き起こる不安に押し潰されそうであった。
そんな私へ、
「歩君、どうやろ!?
この後の事、おっちゃんらに任せてくれへんやろうか?
君も、突然お母さんを亡くして、何をどうしたら良いのか解らんやろうし、後の事はおっちゃんら夫婦に全部任せてくれへんか!?」
傍らに立って居た社長さんがそう言ってくれたのへ、私が余程に驚いた顔をしたのであろう。
社長さんは改めて私の心中を察してくれ、
「まさか、初美さん……
君のお母さんが、突然こんな事に成るなんて誰も思ってなかったから、皆、病院からの知らせを聞いて驚いてしまって。
君のお母さんは本当に面倒見が良い人やったから、社員の中には動揺して仕事が手に付かん処か、体調を崩したもんも居るんや!
私らでさえこんなんやから、息子の君は相当に堪えてると思うんや。
それに、歩君の年で葬式の出し方や手続きなんか解らん遣ろうし、今は余りの事で何も考える事なんて出来んと思うから、今はお母さんの傍に居ってあげてくれるか!?
後の事は、儂らが安生するするよって任して貰えんやろか?」
こう言ってくれた社長さんへ、この時何も考えられ無かった私は、その好意に甘える事を承知した上で、未だ信じられない母の死の様子がどうしても知りたく成り、
「母さんは……
母さんは、どうして死んだんですか?」
朝、母さんはいつもと変らん元気な姿で出掛けて行ったんです。
せやのに、何で!
何で母さんは死んでしもたんですか?」
私は、母が死んだ経緯をどうしても知りたくて尋ねた。
これに社長は、何とも言い様の無い暗い表情を浮かべると、申し訳成さそうにポツリポツリと話し出した。
「それが、余りに突然やった!
お母さんは、いつもと変らず仕事してくれてはったんやけど、ほんま突然、意識がのう成って崩れる様に椅子から滑り落ちて。
直ぐに救急車を呼んだんやけど、ここに運び込まれた時には意識は疎か脈も止まってたって言われたんや。
医者からは、疲れが溜まってた所に今日の寒暖差が引金と成って、虚血性心疾患を起こしたんやろうって言われた。
何とか助けられんかと急いだんやけど、どうにも間に合わんかった。
歩君、すまん。
ほんまに、君にはすまん事をした。」
そう言った社長さんは唇を噛み、躯は小刻みに小さく震え出すと、双眸からは堰を切った様に涙が溢れ流れ落ちた。
その姿に私は、母を助けられかった悔しさと、私への申し訳無さが心を揺さ振り、止め処なく流れる涙にさせたのだと感じた。
母の為に尽力してくれた社長さんに感謝こそすれ、私は社長さんに腹立たしさや恨みに思う気持ちは微塵も無かった。
それよりも、母の死に対しかねてより抱いて居た、私が働きに出ていれば母がこれ程に疲れる事も無く、まだ〳〵人生を送れたのではないかと言う思いで悔やまれた。
そうした後悔の念を抱く中、社長さんは母の死後に行うべき物事の段取りを手際良く執り行ってくれた。
人が亡くなり、真っ先に執り行うのが通夜と葬儀である。
これらをどうしたら良いのか!?
まさかに、十七の歳で喪主と成ろうとは思ってもみなかった私は、知識が無い上に何も考える事が出来ず、只漠然と社長さんご夫妻に任せるばかりであった。
そうした私に、社長さんは真っ先に、
「歩君、先ずはお母さんのご遺体をどうするか?
そして、お通夜や葬儀をどうするか!?
先ずは、こうした事を決めなアカン。」
教えてくれた社長さんは、私の意思を汲み取りながら段取りを執り行ってくれた。
社長さんは、知り合いの葬儀場での通夜葬儀を勧めてはくれたが、私は金銭面や生前に於ける母の交友関係を慮り、親しい人達だけで執り行う家族葬的な物で良いと伝えた。
社長さんは、金銭の事など気にせんで良いと言って下さったが、私はその御好意を丁重に辞させて貰った。
ならばと、社長さんは火葬式と言う物があると教えてくれた。
その火葬式とは、先にも記した通夜や葬儀を行う事無く、火葬場に於いて家族や親戚等身内だけで荼毘に付す葬式で、これを聞いた私は、友人知人も少なく派手な事を望まなかった母には似合いと御願いした。
そうと決まると、母の遺体は社長さんの御好意で一旦社長さんの家に安置させて貰い、法律上二十四時間は火葬出来無いとの決まりと、火葬場から翌々日の朝一からなら火葬出来るとの案内に、翌々日朝一番に荼毘に付すと言う段取りを付けた。
社長さんの御好意で母を安置する場を得た私は、祭壇も何も無い和室に横たわる母の脇に座り、向かい合って座る社長さん夫妻へ、
「この度は、ほんまに有難う御座います。
母さんが突然こんな事に成ってしもうて、どうして良いか解らんかった僕に、こんなに親切にして下さって有り難く思ってます。」
礼を言うと頭を下げた。
「歩君。
儂ら夫婦にしてみれば、これ位の事させて貰わんとバチが当たる位、君のお母さんには本当に長い間お世話に成ったんや。
お母さんには、儂らが会社を立ち上げた時から働いてもろうててなぁ、そらぁ~会社を軌道に乗せる為に、儂らとお母さんは死に物狂いで頑張った。
会社を今の様に出きたんは、陰に成り日向に成り支えてくれはったお母さんのお陰でもあるんや。
儂らにしたら、どんだけ助けて貰ったか解ったもんやあらへん。
お母さんがうちで働き出した時、歩君はまだ三つか四つ位やったかなぁ。
恥ずかしい話しやけど、その頃のうちはまだまだ満足して貰える様な給料を出してあげられんかってな、お母さんに仕事が終わってから他でアルバイトをさせて貰えんかって相談された事があったんや。
儂らは、それでも生活は出来る位の給料は出してると自負しとったから、それなりの給料を出してるのに何でやって、腹立たしく成ったんやけど、ようよう聞いてみたら。
そしたら子供、つまり歩君。
君の将来を考えると、この先学校に上がり進学して行くのに、コツコツお金を貯めて大学迄出して上げられるだけのお金を貯めときたいって言わはってなぁ。
確かに、儂らが思うてる生活する分の金額と言う物には足りてると思うてたが、子供の将来を考えると少しでもお金を貯めておきたいって言うお母さんの気持ちには、十分に応える事が出来てへんって、ほんまに申し訳無い気持ちに成って、お母さんのアルバイトを許す事にしたんや。
けど、そんな儂らの会社で、お母さんは一所懸命働いてくれはった。
うちのに子供が出来た時も、仕事以外にも子育ての手伝い迄してくれはってなぁ。
そんなお母さんに、儂らは公私ともに感謝しても仕切れん位にお世話に成ったんや。
せやから、これ位の事はさせて貰わんと、ほんまにバチが当たるって思うてる!」
そう言って、社長さんは母の顔に掛かる打ち覆いをぼんやり見詰めた。
社長さんから母の話しを聞き、生前の母がどの様な思いで働いて来たのかを知ると、親の心子知らずとは良く言った物だと、己の直情径行な物の考え方を情け無く思った。
社長さんが母との思い出を話し終えると、静寂に包まれた座敷の中で横たわる母の亡骸を前に、それぞれが母の亡骸へ目を落とすのは思い出を偲びたいからだと思った。
翌々日朝一番、母は荼毘に付された。
参列者は、母が勤めて居た会社の社長夫妻に、夜のアルバイト先である居酒屋の主夫妻と極少数の同僚友人達だけであった。
街中に在るとは言え火葬場の中は静かで、私達が啜り泣く声だけが静かに響いていた。
骨上げし、母の遺骨を骨壺へ入れると、社長さんが一先ず家に寄る様にと皆へ言った。
私は、その言葉の意味を推し量る事も出来無い程、この後どう遣って暮らして行けば良いのか、その不安ばかりが頭の中でグルグル渦を巻いて居た。
差し当たって、母の遺骨をどうするのか!?
本来なら、遺骨を墓へ入れるのがお定まりなのだが、私はこれ迄に母から親類縁者の話しを聞いた事が無かった。
幾度か母に尋ねた事はあったが、結局は煙に巻かれ有耶無耶にされて来た。
故に、母の郷里は元より、父が何処の出でどの様な人だったのかも知らずに育った。
そして、よくよく考えると、父の墓参りさえした事が無かった事に、今更ながらに気付くのであった。
そう成ると、母の遺骨を納める先が無い上に、新しく墓を建てるにしてもそれだけのお金も無い。
そうした事から、私はいずれお金が貯まれば墓を建てる事にし、一先ず自分が住むアパートに母の遺骨を安置する事にした。
道中、私がそうした思いを心に決した中、火葬場から一同が社長さん宅へ戻ったのは、まもなく昼を迎え様とする頃だった。
最も簡略化された葬儀と言って良い火葬式だった故に、参列者も母と極親しい少数の人達凡そ十人程であった。
皆と共に社長さん宅へ入ると、座敷には精進落としの仕出し膳が用意されて居た。
そうした事を知らない私の代わりに、社長さんは何から何迄段取りしてくれたのへ、私は唯々感謝し甘える事しか出来無かった。
会食が終わり、社長さん夫妻と私だけが残されると、徐に、
「歩君、これからどないする?
住むとこや学校、その他諸々、考えなアカン事がようさんある。
どうするか、考えはあるんか!?」
社長さんに言われた所へ、
「あなた、やっと葬儀が終わったとこよ!
歩君が考えるのはこれから。
今は、何も考えず喪に服す時間が必要なんやから、やいやい言いなさんな!」
すかさず奥さんが助け船を出してくれた。
母の死を乗り越え、人々に支えられ、新たな一歩を踏み出してゆく歩。
楽しんで頂けたら、幸いです。