三十話『跡取り』
今回で終わる筈でしたが、もう一話伸びる事と成ってしまいました。
大詰めに成り、あれこれ纏めて行くと、どうしても伸びてしまい。
良ければ、最後迄お付き合い下されば幸いです。
前と一緒で、古暮さんの迎えで祖父の家へ遣って来た私達は、其処に初めて会う十数人の人達を見る事と成った。
「おぅ、よう来てくれた。
さぁ、こっちへ。」
以前の様に、ベッドへ横たわる事無く座って迎えてくれた祖父の元へ、私達が近付くと祖父は嬉しそうに椅子へ座る様勧め、
「態々、有り難う。」
言うと、急に顔を曇らせ、
「折角来てくれたのに、歩、真由美さん。
それに晴夏ちゃん。
今日は此れから、我が一族の恥とも言うべき者達と対面させる事に成る。
いずれは、面と向かわねば成らん者達やけど、会わせるのは少し先にしたかった。
しかし、何処で聞き付けたのか、初美の息子が来たと聞いて、直ぐ様様子を探りに、入れ替わり立ち替わり遣って来寄った。
ほんまに、あんなん見ると、無駄に財産があるとろくな事に成らんのがよう解る。
あいつらには黙ってたけど、初美の居所は知らないと言い続けて来たから、勝一郎一家が亡く成ってからは、儂が死ねば財産をどうにか出来ると、分配の方法でも算段しとったみたいでな。
それが、歩が来た事で慌てふためき、儂が長くないと思っとるから、財産はどうするのか、遺言書は作成してあるのか、根掘り葉掘り聞いて来よった。
何処迄、銭ゲバな奴等やと情けのう成ったが、まぁ元々、解り切ってた事やからしょうが無いわ!
そんな情け無い奴等が、今日歩が来るってんで此処へ集まっとるんや!
朝からギャーギャー五月蠅いから、応接間に待たせて居るんやけど、歩が会う気が無ければ追い返すぞ!?」
祖父の言葉に、私は前の訪問から二週間の間に、己の心へ決した思いを話す時が来たと思い、初めて、
「お爺さん。」
との言葉を使い話し出した。
「実は、初めて来た時に、僕に取って二度目の不思議な体験を此処でしたんです。」
そう切り出すと、母が夢枕に現れた事を話し、それが人生の分岐点とも言える時だった事で、母の言う通りに篠崎家で世話に成る事を選び、その後知っての通りに幸せな生活を送る事が出来た。
そして今回、こちらに伺った時に再び母が夢枕に立った事を話した。
私の話を黙って聞いて居た祖父は、話しを聞いて居る途中から涙し、私が話し終わった時に、
「そんな事を言ってくれたんか?
初美、すまんかったなぁ。
てっきり、家を出てからは、この家の事を顧みる事は無いと思って居った。
それが……嬉しい事や。
贅沢言うなら、儂の所にも出て来て欲しいもんやなぁ。」
そう、しみじみと言った。
その様子に、私は初めて母の事を親不孝者だなと思った。
親不孝とは、世では概ね親に迷惑を掛ける事だと言われて居るが、親より早く死ぬ事も親不孝だと言われて居る。
自然の摂理では、親は子よりも早く逝く物であるから、子は自然に親を看取る事を覚悟出来るが、親は子が先に逝く事等毛頭考えては居ないから、覚悟も無ければ受ける衝撃は計り知れないのである。
そうした事を考えた時、母の事を常に案じて居た祖父の事を思えば、親不孝な上に親の心子知らずを地で行って居るなと思えた。
そんな母は、私に親孝行の肩代わりをさせるべく夢枕に立ったのかとも思えた。
が、そんな私自身も、この時には祖父の事が案じられ家を継ぐ覚悟を決めて居た。
そして、いよいよ話そうとした時、
「いつ迄待たせるつもりや!」
との言葉と共に、人影が十数人部屋へと雪崩れ込んで来た。
流石に、それに驚いた私達に向い、
「お前か!
初美の子供って言うのは?
ほんとに、お前が初美の子なんか!
証拠はあるんか?」
人影達の内の一人が言い放った。
『魑魅魍魎』
と言う言葉が当て嵌まる様な、邪気に満ちた者達の余りに不躾な物言いに、頭にくる所か呆れた私は言葉を発する気にさえ成らなかった。
「お爺さん、此れが言うてた……」
思わず、小声で祖父に聞いたのへ、
「そうや!
情け無いが、此奴らが言ってた親類や。」
悲観的に言った祖父に、私は気の毒な思いを抱き、反対に其処に群れる親戚達へは憎悪を覚えた。
そんな私の感情などお構い無しに、親類達は口々に好き勝手捲し立てる。
『此奴らは、馬鹿か!?
正真正銘、祖父の娘である母の子である僕の存在は、祖母や母に叔父一家が亡くなった今、祖父が亡くなれば遺産の相続権は僕一人に成る。
それなのに、この有様はどうした事か!?
私が、そんな風に呆れて居ると、
魑魅魍魎達の中から一人、初老と見受けられる女性が歩み出て来るや、
「初美の息子か何だか知らないけど、叔父さんが死にそうに成ったら突然現れて!
あなた達が家に戻って来なかった間、誰が叔父さんの面倒を見て来たと思ってるのよ!
叔父さんが死にかけたら、ここぞとばかりに遺産目当てで遣って来て!
丸で、泥棒猫じゃない。
厚かましい!」
何とも憎らしい風貌で言って除けたのに、心底腹が立ち一喝して遣ろうと思った途端、
「良い加減にせんか!」
祖父が、病人とは思え無い程の大声を発したのへ、驚き祖父を見た私の目には、怒って居るのだが悲しみを湛えた顔があった。
「歩を探し出し、呼んだんは儂じゃ!
お前らみたいな強突く張りに、儂の跡を任せられると思うか!?
誰が儂の面倒を見てくれたって?
顔出せば、遺産の話しか遺言状を書いてるかって話ししかせんで、飯の一つも作った事無い奴が、どう世話出来るんや!
馬鹿も休み休みに言え!
まだ、小遣いせびる位遣ったら可愛いもんやけど、己ら才覚も無いのに人の金頼って商売して、どれだけ遣っては潰しを繰り返し、借金ばっかこさえて来たか解ってるか!?
勝一郎が、お前らを親戚や思うから、影ながらに援助し取ったのも儂が知らんと思うてか!馬鹿が!!
そんなお前らに比べたら、これ迄苦労して来た歩に継いで貰いたい、って思うのが当然やろうが。」
言った祖父に、場に居た親戚一同は閉口してしまったが、私と見た目左程年が変らないであろう男が、
「爺さんは、何故にそいつが苦労をして来たって知ってるんです?
それに、そいつの嫁は離婚歴のある女なんですよ。
お腹の子も、ほんとにそいつの子かも解ら無いから、跡を継いだらこの家の血は途絶える事に成ります。
それだけ、初美さんの子供やからって血に拘ってるなら、歩君の子供かどうか解らん子じゃ駄目なんとちゃいますか!?」
何とも理屈っぽい物言いの、この男。
後に祖父から聞いた処によると、祖父の亡くなった弟の孫で、名を日沖裕真と言うそうで、さっき祖父に一喝された女性の子供だと言う。
裕真の言葉に祖父は一同に向い、母が家を出てからこれ迄の事を話して聞かせ、幾ら一族とは言え、甘えに甘えて来た一同に譲る物は何一つ無いと言い切った。
が、一同の中に居た男が、
「そうは言っても、その人は跡を継ぐ気は無いと言ってるんでしょう?」
何処で聞き付けたのか、私が元は跡を継ぐ気が無かった事を言って来た。
この事を知ってるのは、限られた人だけなのに何故と疑問に思いつつ、私はこの日祖父に会った時に宣言した事を、この時改めてその場に居る者達に向け告げた。
「跡は、私が継ぐ事にしました。」
これに、その場に居た者達は驚き動揺を隠せ無く成り、口々に何やら言い合うも次第に言葉を無くし黙ってしまった。
そして、意気消沈と成った者達は、もうどうにも成らない事を悟ると、部屋から順々に渋い表情を連ねながら出て行ったが、最後に残った先程の男が部屋を出る前に一言、
「そいつが死んだら、又骨肉の争いに成るんやろうな!」
捨て台詞を残し去って行った。
その言葉に、
『もしかして、僕の命が狙われる!?』
旨の内に思うと、思わず身震いした。
法的には、彼等には相続の権利は無いのだが、あれだけ露骨に強欲さを出すのも凄いなと思い、それ程に執着する祖父の財産と言う物がどれ程の物なのかと思った。
そうした事を思いつつ、二回目の滞在は出だしこそ悪かったが、それ以外に関しては穏やかに過ぎて行った。
そうした中で、私は気に成った私と祖父の話が洩れてた事に、祖父の執事と成った古暮さんが漏らして居るのではと疑い、夕食時にそれと無く祖父に話してみたが、
「爺ちゃんも、可笑しいなと思って調べさせたら、まぁ出るわ出るわ、ほれっ!」
との言葉と共に、食卓の上へ黒い塊が十個程撒き散らされた。
見ると、それは盗聴器と思われ、屋敷の中で主要と思われる部屋に仕掛けられて居たと言い、それに驚いて居る処へ古暮さんが戻って来るや、
「やはり、ありました。」
との声と共に更に二個、私達が泊まる部屋から見付かったと言う。
祖父は盗聴器を見ながら、他の者なら話しが洩れたと古暮さんを疑うだろうが、祖父と古暮さんの長い付き合いから考えれば、到底有り得ない事!
ならば、他に考えられるのは、この様な事であろうと探させたのだそうだ。
そう話した後、祖父は、
「歩、儂の跡を継いだ後、何事も古暮に聞けば力に成ってくれるから安心したら良い。」
絶対の信頼を置く古暮さんに、私と後の事を託したのだと知り、そうした古暮さんを疑った事を恥ずかしく思った。
そうして始まった祖父との交流は、それから二年程続く事に成り、その二年の間で不思議な事に祖父の体調は回復して行った。
こう言う事を言えば、自意識過剰と思われるだろうが、私が跡を継ぐと言った事と祖父に会いに来る事で、生きる活力が湧いて来たのだと思われ、その後勧めた健康診断でも持病以外、特に命に関わる病気は無かった。
こう成れば、あの強突く張りな親戚達も、まだまだ祖父が死ぬ様な事は無いと諦めるだろうと思った。
確かに、大凡の者達は諦めたのだが、以前私が家を継ぐ事にいちゃもんを付けた、日沖裕真と母きわ、それに捨て台詞を残した男、日沖正二だけは諦める事無く、私が訪問しない時に影でこそこそ祖父の元を訪れて居た。
祖父はそれを「面倒臭い!」と言い捨て、そのしつこさと諦めの悪さに辟易して居た。
そんな私達の訪問は二年を重ね、その間に強君も無事大学を卒業する時を迎えた。
私と真由美の間に産れた俊輔も、一歳半と成り動き回る様に成った春。
この時既に、家業を手伝って居た強君をサポートしながら、私は変らず篠崎工務店の仕事に邁進して居た。
そして、いよいよ強君が正式に工務店で働くと成った時、社長さん御夫妻から、
「歩、真由美さん。
この春で強も無事卒業した事やし、どうやお爺さんとこへ行ってあげたら。」
そう言ってくれたのへ、
「僕は、社長さん御夫妻への恩返しが出来たと思う迄、強君を支えて行ければって思ってるんです。」
そう返した。が、
「歩が強の事を思ってくれるんは有り難いけど、もうそんな事は心配せんでえぇ。
強には、儂や天谷に岸田らが居る。
歩は強の心配をするより、お爺さんの心配や跡を継ぐ事が大事に成って来るやろ。
お爺さんも、もう良い年なんやから。
初めてお爺さんのとこ行ってから二年。
何も言わらへんけど、歩らが来るのを首を長くして待ってはる筈や。
儂らはもう十分、恩を返して貰うてる。
せやから、気兼ねなく行ったらええんや。」
行ってくれたのへ、正直その事に迷ってた私は真由美の顔を見た。
其処には、頷く真由美の顔があり、
「そうよ、歩君。
行ってあげて頂戴。」
と背中を押してくれる奥さんが居た。
その一月後、私達は祖父の元へ向かうべく駅のホームに居た。
御夫妻と強君の見送りを受け、私達三人は祖父が待つ家に向けて旅立った。
流石に、こう迄情が深く成ると、涙無しでは語れない別れであった。
「たまには、顔を見せろよ!」
「躯には、気を付けてね。」
「兄ちゃん、元気で。」
との言葉を贈られ、動く電車の車内から手を振り遠ざかる三人を見続けた。
『今迄、本当に有り難う御座いました。』
心から、感謝の言葉を刻んだ。
祖父の元に着いてからは、これ程に大きいグループ会社だったのかと驚かされ、この地方では知らぬ者が居ない多角起業だと知り、その業務全般や経営理念を学ぶべく、一新入社員として素性を隠し働き出した。
此れは祖父から言われ、一社員から働く事で組織の中が見えると同時に、社風を感じて自分なりの経営スタイルを確立して欲しいと言う、祖父の私と会社への強い思いからであった。
そうした事で、私は一部の社員しか知らない中、経営者と成るべく研修の日々を過ごして居た。
ある日の夕食時、既に床を上げて居た祖父から、
「歩、役員達から、良く遣ってるっと評判が良いぞ。
それを聞いて、爺ちゃんも安心してる。
で、歩はうちで働いてどんな感じや?」
聞かれ、私が見て社員達の纏まりが無く、役員以外遣る気が無い様に見えると、抱いて居た思いを素直に伝えた。
祖父は、私の言葉を聞いて、何やら思う所があったのか頷くと、
「その調子で、頑張れな!」
と言葉をくれた。
日々、会社で次期経営者と成るべく帝王学を学ぶ私に取って、家へ帰り真由美や晴夏、それにまだまだ幼い息子、俊輔と過ごす事が何よりのストレス解消に成り、何物にも勝る最大の癒やしであった。
そんな生活は、幼い頃の貧しい暮らしからは想像出来ない程、何事に於いても満ち足り恵まれた生活その物であった。
だが正直な処、私は昔も今も変らずに思ってる事があった。
幼い日は、確かにあれやこれや欲しい物があり、それらを手に入れる為に必要なお金が欲しかった。
しかし、それなりに物を手に入れられる様に成ると、私は物欲と言う物を徐々に失って行ったのかも知れない。
人の欲とは、際限が無い!
これが手に入れば、あれが欲しく成り、アレが手に入れば、更に、と言った具合に。
そして究極、人は二種類の人種に分けられる様に思う。
際限の無い欲を持ち合わせる者と、身の丈に合った欲で満足出来る者とに。
私には、母に楽をさせてあげる為に、金持ちに成ると言う夢があったが、母が逝ってからその目標は潰えた。
そうして後、篠崎家にお世話に成って、十分幸せな暮らしを送らせて貰った。
その時思ったのが、他人と自身を比べず、ある程度の物が揃って居れば、生きて行くのに事欠かないのだと。
人並みや平均と言う言葉があるが、何を基準にそれらの言葉があるのか知らないが、それで十分人並みな生活を送る事は出来る。
それに気付いて後、母の実家である資産家の日沖家で、何不自由無い暮らしを送る様に成りはしたが、改めて自分に取っての幸せと言う物に気付かされた気がした。
それは、必要以上に人に干渉されず、心を許せる者との暮らしがあり、食うに困らぬだけの金があれば、日々穏やかで心豊かな暮らしが出来ると言う事。
他人は、それだけお金持ちだから、その様に悠長な事を言ってられると言うだろう。が其の実、それなりに貧しい暮らしを経験して来た私の幸せは、その様な物で十分だったと気付かされた。
祖父を見て、財がある故に、業着くな身内や信用成らない者に囲まれ、片時も気が休まる暇が無い暮らしに、穏やかで心安まる暮らしがある様には思えない。
そうした暮らしの中に生きて来た母は、そんな環境に嫌気が差し家を出たのだろう。
そして、
『母さんはこの家を出て、幸せを掴む事が出来たの。』
と、父との暮らしを、そう言わしめた。
そして今、私は元より、真由美もその様に感じて居ると言う。
離婚歴があり子持ちの真由美が、財を目当てに私へ嫁ぐと言う事は考えられない。
何故なら、私がこの様な家に関わりがあった事すら知らなかったからだ。
が、親戚一同は、そうした事も引き合いに出してくる。
何とかして、家から追い出そうと!
真由美が口に出す事は無かったが、こうした嫌がらせに相当参ってた様だった。
私が居ない時には、祖父への見舞いと称し彼女へ嫌味を残して行く。
祖父もそれに気付き、気にせぬ様に言うのだが、来訪が止む事は無い。
出入りを禁じても、祖父に会わず彼女へ嫌味だけ残し帰る。
古暮さんが居れば、彼が上手く取り成してくれただろうが、そうした彼も祖父の命で会社での私を影ながら支えてくれて居る。
そうした事を祖父から詫びを以て聞かされた私は、彼女の事を思うと家から出て行くのが最善なのでは思う様に成ったが、
「私は大丈夫よ。
歩君、お爺様は勿論だけど、お母様の思い迄無下にするつもり!」
彼女からその様に諭され、思い直した。
流石に、祖父が健康を取り戻してからは、遺産相続の話しと言う物は影を潜めたが、それでも裕真だけは懲りずにちょくちょく遣って来た。
私の下積みも二年が過ぎ、遂に社員に公表し役職に就く事と成った。
社員の中には、慌てた者も相当数居た様だが、彼等がそれ迄に話した陰口等は不問にする事にした。
私自身、即社長と言う地位に就きたくは無かったから、中間管理職と言える部長へ就く事にして貰った。
跡継ぎがこの位置に居ると言うのは、周りに取って何とも遣り難いのだろうが、社内の風通しは随分と良く成った様に思えた。
更にそれから四年、順々に役職をあげ、遂に三十四歳の時、社長就任の運びと成った。
漸く、次回で終わりを迎えます。
後少し、お付き合い願えれば幸いです。