二十話『家族』
縁あって、一つ屋根の下に住まう事に成った者達。
新たな暮らしはどの様な物か!?
一家と共に暮らす様に成った真由美には、篠崎家と言う家は居心地が良い物であった。
食卓に座って待つ御夫妻へ、
「ただいまぁ。」
の声と共に勢い良く抱き付く晴夏を、夫妻は満面の笑みで迎えてくれた。
晴夏をだっこする社長さんに、
「今日は、母や妹弟の為にあの様な席を設けて頂いて、本当に有り難う御座いました。
母から、良くお礼を言っておく様にと、言付かりました。
今日から、私と晴夏がお世話に成る事、重ね重ね有り難いと、どうか宜しく御願いしますと言付かりました。
改めて、私からも不束者で何かと御迷惑をお掛けすると思いますが、此れから何卒どうぞ宜しく御願い致します。」
彼女が深々と頭を下げるのに、それを真似る様に晴夏も社長さんの腕の中で頭を下げたのへ、これに答えるべく、
「こちらこそ、宜しくね。」
返した奥さんと、優しく微笑む社長さんが其処には居た。
暫く御夫妻と話した私達に、
「さぁ、今日は疲れたやろうから、少し早いかも知れんけど休んだらええ。
特に真由美さんには、明日から色々と覚えて貰う事があるさかいにな!?」
言われ、私はいつしか寝入った晴夏を抱えると、彼女と共に挨拶を残し二階の部屋へと上がった。
我が家で初めて三人で迎える夜、寝入った晴夏を布団に寝かせ、私と彼女は寝る前に少し話しをした。
「歩君、私ね。
何かこの数ヶ月が怒濤の様に過ぎて、気が付いたら今こうして歩君と一つ屋根の下に居てるのが、何か夢を見ている様で信じられないの。
でも、ほんとに今日からあなたと私、そして晴夏の三人で家族として遣って行くのね。
それに、社長さん御夫婦が傍に居て下さるのも心強いし。
只、私工務店の仕事ってどんな物か知らないから、御迷惑掛けて役に立てないんじゃないかって、今はそれだけが心配なの。」
穏やかな寝息を立て、眠りについて居る晴夏の頭を撫でながら言った彼女へ、
「大丈夫。
真由美さんなら、絶対大丈夫!
奥さんが、優しく教えてくれはるし。」
彼女が抱く不安は、これ迄の働きぶりを見れば直ぐに解消されると確信して居た私は、その思いを根拠に彼女を励ました。
案の定、翌日からの新生活は、その漠然とした根拠を立証させるに十分であった。
「おはよう御座います。」
奥さんが台所に立った所に、丁度階段を降りて来た彼女は声を掛けた。
「あら、真由美さん。
まだ、ゆっくり寝てて良かったのに!」
振り向き言った奥さんに、
「いえ、少しでも早く家の事に慣れないと、折角一緒に暮らさせて貰うのに、いつ迄経っても役に立て無いままに成ってしまいますから。」
神妙な顔付きで返したのへ、
「真由美さん。
気を使わなくて大丈夫!
あなたはお母さんの代わりに、家の事やら妹弟の面倒を見て来たじゃない。
そんなあなたは、普通以上に家事はこなせると思ってるから心配なんてして無いわよ。
私は、あれやこれや、一昔前のお姑さん見たいに五月蠅く言うつもりは無いから。」
依然黙る彼女に、
「そうね、基本的に遣るべき家事は解ってるんだから、互いに抜けた所を補う様にすれば良いんだからね。」
そう言われた彼女は、
「そんなに買い被られると、もし思って居られる程に出来無ければ、唯々御迷惑に成るんじゃ無いかって不安に成ります。」
思わず漏らした彼女の本音に、
「あら、変なプレッシャー掛けちゃた!?
御免なさいね、大丈夫よ。
それなりでも、出来無くても、追々覚えて行ってくれれば良いんだから。」
そう安心させるべく言ったのへ、真由美さんはホッとしたのか「はい。」と返した。
私はその遣り取りを後に聞いて、普段訪れる彼女の部屋や生活がきっちりしている事を思えば、奥さんが楽に及第点を出すのは当然と思ったが、知らぬ事とは言え出来無い前提で言った奥さんには些か腹が立った。
しかし、いざ働き出した彼女の様子に、奥さんは彼女の要領と働きぶりに感心し、自身が思ってた以上の女性だと自分の見る目を密かに褒めた。
彼女の初日は、慣れぬ環境でこなす事柄の連続に忙殺された。
朝、奥さんと立った台所では、社長さん始め家族の分の朝食は元より、若手である江島君と時街君と言う若手の朝食も用意し、更に社長さんと若手の二人に歩君の弁当と、一頻り用意すると表の工務店店舗へ出る。
そして、それから本格的な事務の仕事を始める事に成る。
そうした日常が始まる工務店勤務初日。
現場の朝礼に間に合う様に出勤した社員が出発する前、その日の作業内容を事務所で確認、打ち合わせた後に工務店の車へ乗り合わせ現場へ向かう。
そうした事務所で先ず行うのは、希望する社員へお茶を提供する事から始まる。
打ち合わせの間は、黙って様子を見ておく事しか出来無いが、いざ出発する時には社長始め希望者へ弁当を渡し送り出す。
社員が現場へ向かった後、奥さんと二人きりと成った彼女は、事務所や表の掃除を皮切りに事務作業を行い、その合間を縫って炊事や洗濯などの家事も行う事と成る。
彼女は奥さんと共に、事務と家事をこなす内、
『奥さんはこれ迄、これだけの事を一人で遣って来られたの!?』
と驚き、思わず奥さんに聞いた。
「慣れると、案外しんどくは無いのよ!
それに、これからは真由美ちゃんが手伝ってくれるんだもの。
随分と楽に成るわ。」
顔色一つ変える事無く笑った。
そして早速、奥さんは普段遣って居る事を順々に見せ教えて行った。
彼女にしてみれば、家事は問題無いにしても、これ迄遣って来た倉庫の事務とは違うであろう、工務店の事務と言う物に緊張感を覚えるのだった。
だが、いざ蓋を開けてみると、パソコンで行う事務作業は大凡変わる物では無く、すんなり順応する事が出来た。
そして、対外的な付き合いである、隣近所や社員に対する接し方も穏やかで愛想良く評判が良かった。
「やっぱり、真由美ちゃんが来てくれて良かったわぁ~。」
奥さんの言葉を聞いて、彼女はこの家に来て本当に良かったのだと思え、更に自身が来た事を喜んで貰えた事に感謝した。
篠崎工務店は、社長さん御夫妻に番頭的な古参の天谷淳一郎、それに中堅処の田中佳樹に君原幸次、そして若手の江島圭造と入ったばかりの時街日色と言う、総勢六名の小規模な街の工務店であった。
そんな小さな工務店であったが、社長はじめ社員の腕が良いのであろう、仕事はひっきりなしに舞込み途切れる事は無く、常に忙しい日々を送って居る会社であった。
そうした事で事務の仕事も忙しく、彼女は後に奥さんがあれだけの仕事量をこなして居たのだと驚く事に成った。
そうした中で、奥さんは彼女が入社した事を喜んでくれたが、それ以上に彼女が働き出すと奥さんを驚かせ喜ばす事に成った。
最初、彼女は慣れない事だから迷惑掛けると言って居たが、いざ蓋を開けると一を聞いて十を知る程の仕事振りであり、それは奥さんが思う以上の物で、工務店の仕事は元より家事に迄余裕が出来る様に成った。
その働きぶりは早々に、奥さんは元より社長さんはじめ社員にも喜ばれた。
そうして始まった二人の新生活は、変らず学業と倉庫でのアルバイトを続ける私と、工務店での仕事と家事をこなす彼女と言う形で始まった。
ものの一月もすると、彼女は篠崎家にとって無くては成らない存在と成って居た。
私と違い、奥さんと同じ様に起き朝食の用意をすると、私と晴夏や社員の弁当を作り晴夏の仕度を整え、事務所へ出るや掃除に事務処理の準備と朝から忙しい物であった。
それでも彼女は、
「何言ってるの歩君!
奥さんは、ずっとこれだけの事を一人で遣ってらしたのよ。
それに比べたら、私なんて随分と楽させて貰ってるのよ。」
そう言って笑うのだった。
篠崎家へ自然に溶け込んだ彼女は、篠崎工務店の花と言って良い程に華やかに映り、社員は勿論の事、近所でも奥さんの跡を継ぐ評判の看板娘として周知される様に成った。
そんな対外的に賑やかな母同様に、娘の晴夏も彼女一人増えただけで、それ迄から想像出来ない程に家の中を明るくさせた。
一つ例を挙げるならば、ある夕食の風景は以下の様な物であった。
食卓に彼女が座り、その横に晴夏がちょこんと座るだけで、これ迄男臭かった食卓がパッと明るく成り、
「おばちゃん、これ美味しいね。」
「おかあちゃん、これ好きやわ。」
こう言う晴夏の言葉に、一家と夕食を共にして居た独身組の江島は、結婚に憧れ羨ましがる様に成り、時街は明るい食卓での食事を楽しんだ。
そして驚く事に、それ迄ほぼほぼ夕食を共にする事が無かった強君迄もが、高校入学迄は時間があるからと共にする様に成り、そして晴夏を可愛がってくれるのだった。
そうした日々の食事や弁当、一家の物と共に洗う社員の洗濯物をはじめとした、工務店で働く他の者達の世話も、篠崎工務店で働くならば当然の事と勤めたお陰で、彼女は奥さん同様に頼られ好かれる様に成って行った。
そんな彼女は、篠崎家で募る信頼や好感の度合いが大きく成るにつれ、
「良いんでしょうか!?
歩君がこちらでご厄介に成るのは、お義母さんとの関わりを考えれば、ちょっと可笑しい気もしますが解る気がします。
でも私達母子は、血の繋がりは勿論、私は歩君とも正式に夫婦にも成って居ない、言わば赤の他人です。なのに、こうして受け入れて貰うのは本当に良いのかって思うんです。」
彼女はそう言い、心苦しいと言った表情で奥さんへ尋ねるのだが、奥さんはその都度笑いながら、
「そんな事、気にせんで良いのよ!
あなたが歩君と一緒に成るって決めてくれた時から、あなたと晴夏ちゃんはうちの家族なんやから、何も遠慮せんと大きな顔で堂々としてらっしゃい!
それに、うちで働いてくれてる皆も、今じゃあなたの事を頼りにしてるじゃない。
寧ろ、これであなた達を追い出したりしたら、皆にどれだけ恨まれるか解ったもんじゃ無いわよ。
それだけ、あなたが皆に親切で思い遣りがあるって事なの。
だから、気にしなくて大丈夫!」
と、笑い飛ばすのだった。
彼女がくどく聞く度、奥さんは面倒臭がらず、何度も何度もそう言ってくれるのに、彼女は心の底から有り難く嬉しかったと、結婚して暫くしてから私に教えてくれた。
そんな日々が続いて行く中、晴夏も小学校へ上がり友達が出来ると、家に同級生の友達を連れて来る様に成り、日々篠崎家を明るく賑やかな物にするのだった。
一年後、卒業を控えた私であったが、幅広い職業選択がある学部を卒業する割に、この時を迎えても未だ、私には遣りたいと思う仕事がある訳では無かった。
『取り敢えず、大学行けば遣りたい事が何かしら見付かるかもって思うたけど、結局今に成っても遣りたい物が何一つ見付からん!』
そう思いつつ、兎に角自分のスキルを生かせる職種に就こうと、公務員に食品会社や製薬会社と業種を絞り、四月にはエントリーシートを提出した。
六月に入り、梅雨を迎え様かと言う頃、エントリーして居た数社から、有り難い事に内々定を受ける事が出来た。
内々定を貰えば、次に面接が待って居る。
私は、それらの面接を順次受けクリアして行くが、それでも就職先を決めきれずに十月を迎え、三社から入社承諾書の提出を求められて居た。
この頃、私は社長さんの息子勉君がラグビーでの将来を見据えた事で、工務店の将来やこれ迄の恩を返す為にも、工務店を手伝う事も選択肢に入れる様に成って居た。
其処で彼女を伴い、社長さんご夫妻と面と向かい話し合う事にした。
私が一頻り考えを示すと、
「折角、そんだけの会社から採用の返事を貰ってるんなら、そのどれかに就職した方が良いんとちゃうか!?
歩は儂らに恩があるって、気を使うて言うてくれてるんやろうけど、お前の人生なんやから儂らの事より自分の事を考えたら良い。」
本心から、言って下さったんだと思う。
それでも私は、
「いや、そうしたいんです。
僕は大学行ってる間も、自分が何をしたいんか、何に成りたいんか、結局見付ける事が出来んかったんです。
就職活動で、良い返事を貰えたのは嬉しかったし、正直こう成ったら就職しよかとも思ったんですけど、どうも自分の気持ちがしっくり来なかったんです。
そんな時、強君の事を知ったんです。
勉君、ラグビーでプロ目指すんでしょ!?
それなら、社長さんを手伝う方が、自分に取っても意味があるんや無いかって思うたんです。
こんな事言ったら強君に怒られると思うけど、将来万が一にも怪我とかでプロを諦めなアカン様に成った時、僕が強君に会社を引き継ぐ事が出来ます。
僕は、それ迄の繋ぎで構わへんのです。
ほんで、その後は強君をサポートして行ければ良いと思ったんです。
それが、御夫妻に受けた恩に報いる、自分なりの恩返しに成ると思ったんです。」
そう言った時、御夫妻は暫く黙った後、
「そう言う風に思ってくれてたんやな。
歩の気持ちは、ほんまよう解った。
ありがとうな。
なら、儂らにも少し考える時間くれるか!?」
そう言った後、数日の間、ご夫妻がこの話に触れる事は無かった。
後に彼女から聞いた話しだと、その日の夜にだけ奥さんが、
「ねぇ、歩君の話、どう思う?
私ね、歩君がうちで働いてくれれば良いと思ってたの。
正直、強が家を継がなくても、歩君がうちを継いでくれても良いんじゃ無いかなって。
ほんと言うと、私は歩君がうちに来た時からずっと思ってたの。」
って言ったそうで、これに社長さんは驚きはした物の、何かを思うべくじっと奥さんの顔を見詰めたんだそうだ。
そして、私はと言えば、退路を断つつもりで、入社承諾書を出す事を止めた。
十日程経ち、十月も月末を迎え様かと言う日曜日の夜に、社長さんは私の思いと決断を受け入れて下さった。
私はその時始めて、既に入社を辞退して居た事を話し、これからは篠崎工務店に取っての自分を模索する事を告げた。
そうして、一先ず私の就職と言う物が落ち着く事に成った。
篠崎工務店での真由美は、奥さんの期待以上の働きであり、社員達からも頼られ慕われる存在と成った。
そうした中で、歩と篠崎家の息子強の将来に展望が現れる。