十六話 ご挨拶
どんなに反対されようが彼女を守り結婚する事を決めた歩は、社長夫妻が出した条件とも言うべき顔合わせをする為、真由美へ共に結婚の許しを乞う事を提案。
真由美はそれを受け入れ、晴夏を伴い歩の家へと遣って来た。
翌日曜日。
目覚めてから、私はずっと緊張して居た。
朝食を囲む食卓に、相も変わらず御夫妻の息子強君の姿は無かったが、それでも何かこれ迄とは違う空気が漂って居た。
何が違うのか、と言えば社長さんがいつにも増して饒舌で、奥さんはいつにも増してにこやかだった事であろうか。
そんな御夫妻とは対照的に、その時の私は目覚めてからの緊張を引き摺り、その顔は強張り血の気が引き口数も少なかったと思う。
正にこの時、淀むと言った心境が正にピッタリだった私は、腰に鉛でもくっついて居るのかと思う程の重い腰を下ろした。
席に着き朝食を食べ始めると、
「歩、栗原さんを駅迄迎えに行くんやろ?
昼前には、駅に着くんやんな!?」
社長さんに言われ、彼女達は十一時過ぎの電車で着く予定だから、家には半頃に連れて来れるだろうと言った。
それを聞いて社長さんは、奥さんへ何やら意味深な視線を送ると、二人して小さく頷いたのに私は胸騒ぎを覚えた。
朝食を摂ってから、私は御夫妻が歓迎の準備でもしてくれてるのかと、自室のある二階から下の様子を伺ってみたが、不思議と階下は静かで何事も起こって居ない様子だった。
その静けさに、私は彼女達が歓迎されていないのかと寂しく成ったが、いよいよ彼女達が到着する時間が迫り、私は駅に迎えに行く事を奥さんに告げ家を出た。
『結局、あぁ言う事を言ってくれても、いざと成ったらやっぱ反対って事なんやな!
けど、あーだこうだ難癖付けられても、僕がしっかり真由美さんを守ればええんや!』
そう心を強く持つと決め、駅へ向かうべく急ぎ歩を進めた。
駅には、到着予定の時間より十分程早く着いたのだが、驚いた事に彼女達は既に改札前で私を待って居た。
その姿に、
『えっ!
時間間違えた!?』
焦った私は、急いで彼女達の元へ行くと、
「御免、待たした?
時間、勘違いしてたみたいで御免。」
平謝りに、謝った私へ、
「違うの!
私達が早く着いたの。
歩君は何も悪く無いし、実際の待ち合わせ時間より早く来てくれたじゃ無い。
実は私、昨日帰ってから今日の事を考えると落ち着かなくて、今日は絶対遅れられないと思えば思う程寝付けなくて、結局まともに寝る事も出来ずに早く家を出ちゃったの。」
そう言った彼女は、それでも気が張っているのか寝不足感を見せる事は無かった。
しかし、これだけ気構えている彼女に、私はこれから酷な覚悟をさせなければ成らない事に気が引けた。
その心境は、勘の良い彼女には直ぐ勘付かれる事と成り、
「どうしたの?
浮かない顔ね!?」
と言わさせてしまった。
私は本来、彼女の不安を取り除き、心を軽くさせた後に、彼女を家へと連れ帰らなければ成らない筈だったが、今朝の様子を思い出すと、この後に及んではどう励ましても焼け石に水の様な気がし、
「真由美さん。
家へ行く前に、先に話しとかなアカン事があるんや!
正直に言うけど、実は社長さん御夫妻が、やっぱ許してくれて無いみたいなんや。」
そう言った私は、彼女から返って来る反応が『やっぱり!』と落胆する姿だと思って居た。
案の定、彼女はそう言われる事を覚悟して居たと前置きし、やはり離婚歴がある子持ちの女との結婚に反対なんだろうと言った。
そう言った彼女の言葉に、私は彼女が結婚を諦め帰ってしまうのかと心配したが、以外にも彼女は、
「でもね、歩君が本気なのと同じで、私だって覚悟を決めて今日を迎えたんだから、これ位の事で逃げ帰ったりはしないわ。
ちゃんと御二人と向き合って、私達母子の事を解って貰った上で、あなたとの事を許して貰おうと思ってるの!」
言った彼女の覚悟を見て、実際に社長さん御夫妻と会う事が、どんな形であれ最善の策に成ると思い直し、これ以上あれやこれや言わず迷わず家へ連れ帰る事にした。
駅から家迄、タクシーを使えば七・八分の距離であるが、私は敢えて路地を抜け近道を行き凡そ二十分程をかけ家へ向かった。
彼女に気持ちの整理をする時間を作りたかったのもあるが、私自身の心構えと共に彼女を守る為、御夫妻が言いそうな事柄を想像しつつ、それに対する答えをシュミレーションしたかったのだ。
歩くのを愚図った晴夏ちゃんを背負い、私は彼女の様子を伺いながら、ゆっくり歩を進め家へと向かった。
途中、頭の中を整理しようとする私へ、彼女は御夫妻との初対面への決意を話して来るのだった。
その中で、仕切りと彼女は許して貰えないと不安を口にするのへ、私は許して貰える様に二人で説得しようと力付けた。
そんな遣り取りをする内、気が付けば家である工務店の玄関先に立って居た。
途端に彼女は、緊張からか玄関先で一つ大きく息を吐いた。
その様子を見て、彼女が既に反対される事を見越し、覚悟を以て来てくれたのだと改めて気付かされた。
息を吐いた彼女は、それ迄不安そうだった表情が一変、凜とした顔付きと成り晴夏ちゃんの手を握ると、私に向かい覚悟が出来た事を伝えるべく頷いた。
それを受け私は、表戸を開けると社長さん御夫妻に帰った事を告げるべく、玄関の扉を開けると奥へ向かい声を掛けた。
すると、
「お帰り~。」
の声と共に奥へと続く扉が開き、中から奥さんの顔が覗くと彼女達を見咎め、
「いらっしゃい。
真由美さん、晴夏ちゃん、良く来てくれたわねぇ。
さぁ二人共、遠慮無く中へ入って頂戴。
ささ、どうぞ。」
との声と共に中へ招いてくれた。
表から入り、工務店の店舗を抜けたどん突きにある扉を開けると、社長さん一家と私が暮らす居住スペースと成る。
扉を抜けると小さな土間があり、上り框を上がった右側に台所が在り、住み暮らす私達は勿論の事、工務店で働く独身社員も夕食を共にする十二畳の食卓が目の前に拡がる。
社員が夕食を共にするとは、奥さんの思い付きで希望する独身者の為、一家共々人数分の夕食を共にするのである。
これは、奥さんがまだまだ収入の少ない社員の為、食事を作る手間や食費を浮かせられる様にとの配慮からであった。
そうした事から、十人程が座れる位に大きな食卓が置かれてあり、驚いた事にそれには様々な料理が所狭しと並んで居た。
私はその光景に思わず息を呑み、晴夏ちゃんは思わず「うわぁ!」と歓声をあげ、彼女は驚きの余り両の手で口を覆った。
「これは、どうしたんです?」
思わず聞いた私へ、
「そりゃあ、歩君の大事な人が来られるんだもの、おもてなしをするのは当たり前の事じゃない。」
微笑む奥さんに、
「けど、迎えに行く時には、奥さん何もしてはらへんかったですやん!?」
尚も驚き聞く私へ、
「ふふっ、サプライズよ、サプライズ!
どう、驚いた?」
奥さんが屈託の無い笑顔と共に言った。
私は素直に、驚きと嬉しさの感情がこみ上げ礼を言い、傍らに立つ彼女の様子が気に成り見遣ると、そこにはハンカチで涙を拭う彼女の姿があった。
それを見て、
「あらあらどうしたの?
もしかしたら、歩君から変な事でも吹き込まれてたんでしょう!?
御免なさいね。
歩君共々、ちょっと驚かそうと思ったの。
私の悪戯心が不安にさせたんなら、ほんとにほんとに御免なさいね。」
すまなさそうに謝ったのへ、
「いえ、嬉しいんです。
すいません。
余りの事に、驚いたのとホッとしたので力が抜けて。そしたら、急に嬉しさが込み上げて来て、何故だか涙が溢れて来てしまって。」
と彼女が返したのへ、社長さんが。
「真由美さん、ほんまに御免な。
母ちゃんの悪さを許したってな。
実わな、歩にバレん様に昨日から用意しとったんよ。
歩はたまぁに、真由美さんらの事を話すんやけど、真由美さんや晴夏ちゃんの好きなもんの話しとか無かったから、食べもんの好みが解らんって言うて、子供が好きなもんやら何やらを昨日から作っとった。
兎に角、喜んで貰いたいって一心でな。」
そう言うと、満面の笑みで彼女と晴夏ちゃんを見た。
その話に私は、昨日から色々と気を揉んで居た彼女の事を思い、瞬時腹立たしさを覚えはしたのだが、其の実、奥さんの人柄や思いを考えると純粋な心からだと深く感謝した。
現に、テーブルへ並べられていた品々は、ハンバーグやエビフライ等の子供が喜びそうな物から、刺身に焼き物、天ぷらに煮物等の品々が所狭しと並んで居た。
それらは普通に考えるだけでも、前日から腕に縒りをかけて用意をしたであろう事は容易に想像出来た。
「けどなぁ、この料理の数見て流石に笑ろうてもうたわ。」
言うや否や、社長さんは大笑いした。
その歓迎振りに、彼女は緊張から解き放たれ安心したのか、
「すいません。
私らの為に、これだけの物を用意して頂いて、本当に有り難う御座います。」
礼を言うと、力が抜けたのか目の前の椅子へ崩れる様に座った。その様子に、
「あらあら、大丈夫!?
驚かせてしまって、御免なさいね。」
彼女の様子を気遣う奥さんへ、
「こちらこそ、すいません。
まさか、こんなに温かく迎えて頂けるなんて思っても見なかった物で。」
そう返したのへ、今度は社長さんが、
「そうやなぁ、栗原さんは最初、儂が反対してるって聞いとったやろうから、今日ここに来るんはほんまに勇気がいったと思う。
そら確かに、儂は栗原さんがシングルマザーで子持ちって聞いて、初めの内は初婚に成る歩の相手にはって、どうしても引っ掛かるもんがあったんやけど、今日迄歩が話してくれたあんたの人柄を聞いて、許してやっても良いかなって思う様になっとった。
それで、今日はあんたちゅう人がどんな人かを知る為に来て貰ろうたんや。
けど、朝からかみさんが楽しそうに料理を用意してるん見てたら、何か儂もあんたらを迎えるんが楽しみに成ってなぁ。
その上、今日実際にあんたを見て悪い人じゃ無いちゅうんは直ぐに解ったから、もう反対する理由は無いわなぁって思ったんや。
まぁ兎に角、今日は顔合わせちゅう事で、かみさんが折角用意してくれた飯を食べながら、ゆっくりと話しをしましょうや。」
そう言うと、晴夏ちゃんへ顔を向け、
「晴夏ちゃんも大人の話なんか聞くより、早よ目の前のごっつぉを食べたいやんなぁ!?」
と晴夏ちゃんを引き合いに、何とか自然に打ち解ける様にと食事を勧めて下さった。
社長さんの思惑通り、昼に差し掛かってる事もあり、
「そうね、それじゃあご飯にしましょ。」
そう言った奥さんは私達へ席に着く様に促し、茶碗にご飯を装うと真っ先に晴夏ちゃんの前へ、そして私達大人へはビールをグラスに注いでくれた。
初対面と成る御夫妻と彼女が改めて挨拶を交わすと、その後何から話せば良いのか解らずと言った具合に沈黙が流れた。
特に、緊張の中に居る彼女は、横で無邪気にハンバーグを頬張る娘とは対照的に、並ぶ料理に箸を付けずにビールを嘗める様に口にするだけであった。
一方の御夫妻も、話したい事は色々あるのだろうが、一体何から切り出したら良いのか解らず話し倦ねて居る様に見えた。
そして、かく言う私も、双方の気持ちが手に取る様に解る故、どの様に切り出すのが最善かを考えると、話し出す話題や切掛を見い出せずに居た。
そうした空気に違和感を感じたのか、
「お母ちゃん、どないしたん?
食べへんの?」
晴夏ちゃんが言ったのへ、彼女は何でも無いから有り難く頂きなさいと言った。
その様子に、空気を破るべく口火を切ったのは、社長さんでは無く奥さんだった。
「真由美さん、あなた達の為に用意したんだから、晴夏ちゃんは勿論だけど、真由美さんも遠慮せずに食べて頂戴ね。
歩君からお父さんが反対してたのは聞いてたでしょうから、今日此処に来るのも不安でしょうが無かったでしょうに、態々来て下すってほんとに有り難いと思ってるのよ。
だからね、あなた達の事を応援する意味でも、あなたを労う意味でも腕に縒りをかけて用意したんだから食べて頂戴ね。
でね、お父さんが話さないみたいだから、私からちょっとだけ話をさして貰うわね。」
予想だにしなかった奥さんの言葉に、些か面食らった私と彼女は背筋が伸びる思いと成り、いよいよ踏み込んだ話しに成ると覚悟を決め、二人して居住まいを正した。
明らかに、緊張から喉が渇き声が出ずらい中、何とか返事を返さなければと言う彼女の思いが、どうにか絞り出させた返事は小さくともハッキリとした物であった。
そして彼女は神妙な顔付きと成り、しっかりと奥さんへ顔を向け言葉を待った。
私はその表情に、彼女が私との事をいい加減に思って居ないと意思表示し、その真剣さを伝えようとしてくれて居る様に見えた。
そんな彼女の表情に好感を持ったのか、奥さんは優しく微笑み返すと、
「そんなに緊張しないで、肩の力を抜いて聞いて頂戴。
私達はあなたと正直に向き合い、あなたと言う人がどんな人かが只知りたいだけなの。
だから、闇雲に歩君との仲を反対しようとしてる訳じゃないのよ。
でもね、歩君はまだ学生。
あなたと今直ぐ結婚したとしても、あなた達を養う事は到底出来無いわ。
そうした事を考えると、あなた達の結婚を許すにしても、それは経済的に自立した時の話しに成ると思って欲しいの!」
思っても見なかった歓待ぶりに、歩は驚き真由美は涙した。
そうして、会食は始まった。