十五話 結婚の条件
歩は、真由美の元夫、史孝さんの人と形を知り劣等感を覚えるが、彼女を想う気持ちは元夫に負けないと気持ちを鼓舞する。
そうした歩に社長ご夫妻は、真由美との付き合いを責任ある物にするよう注意する。
『私は、元旦那さんの様に、彼女達一家の支柱と成れるだろうか!?』
そう思うと、史孝さんの大きな人柄に憧れさえ抱いた。
そして、こうも思う。
史孝さんからしたら、本当に不本意で心残りな死であったろうと。
しかし、彼女とお母さんは、心の支えとも言うべき史孝さんが残した思い出と、生活の糧と成る遺産を汚す事無く大切に使った。
彼女達が先ずした事は、それ迄暮らして来た一家で住むマンションを引き払い、彼女と晴夏ちゃんは2DKのアパートへ、母親と妹弟も又、別のアパートへと引っ越した。
「折角、私達が困らない様にって残してくれたお金だもの。
一円足り共、無駄に出来無いじゃ無い。だから、少しでも家賃の安い所で節約せんと。
私達と、母達が暮らすアパートの家賃を足しても、前に住んでたマンションの家賃よりは安く済んだし。
それに、未だ彼の存在が大きかった私達一家が、あのマンションにそのまま住むとなれば、其処此処に彼の面影を見る事に成って、私達は寂しさから抜け出せなく成るって。
それに、そんな私達を見たら、彼は絶対悲しんで成仏出来無く成ってしまう。
そんな想いを彼にはさせたく無いから!
だから、敢えてマンションを引き払う事にしたのよ。」
それが、彼女の説明だった。
そして、漸く彼が居ない生活に慣れて来た所だった彼女は、
「私はね、そんな彼の事を早々忘れる事なんて出来無いの。
だからね、正直、歩君の事は好きよ!
そして今、歩君と付き合ってる気持ちも嘘じゃ無いわ。
だけど、まだ結婚とかを考えるなんて事、心の整理も付いてないから、どうしても出来無いの。
それは解って欲しいの!?
そこで、お願いがあるの。
決して別れたいって事じゃ無いから聞いて欲しいんだけど、私はね、先ず歩君が大学を卒業する事が一番大事な事だと思ってるの!
でね、私が結婚を意識出来る様に成ったとしても、歩君が大学を卒業する迄は結婚を待つ事にしたいの。」
そう言う話しに私は、彼女へそれだけの想いを残す彼に、
『それだけ大きな人やったんなら、余程で無い限り勝ち目なんて無いかも知れん!』
弱気な気持ちに成りはしたが、私に彼女を諦める事など出来る訳も無く、ならば想いを伝え続けて行く事しか出来無いと思い、
「そんだけの人遣ったんなら、そんな簡単に答えが出せるなんて無理な話しやわ。
けど、僕の想いも、そんじょそこらに転がってる位のもんちゃうから、この先も想いは変らへん。
僕が卒業しても、まだ結婚を迷うなら、その先も心が決まる迄延ばしたらええ。」
この時の私は、彼女に変なプレッシャーを掛けたく無い一心と、精一杯の格好付けで言ったのだが、
「ありがとう、歩君。
そう言うあなただから、私も中途半端な気持ちで返事をしたく無いのよ。」
その返事に、私は彼女の誠実さと思い遣りに感謝し、想いを一層深めるのだった。
そうした二人の話は、気が付けば夜半を過ぎ深夜二時を迎え様として居た。
「もうこんな時間や!
それじゃ、そろそろ寝よか?」
私の言葉に、彼女も眠気が来て居たのか頷いたのへ、二人して晴夏ちゃんを挟む様に床へ就いた。
布団に入る時、私は晴夏ちゃんの為に用意していた事を思い出し、リュックの中から取り出したクリスマスプレゼントを、ソッと晴夏ちゃんの枕元へ置いた。
そして、今にも寝入りそうな彼女の枕元へも、ソッと心ばかりの品が入った小箱を置いて寝た。
翌朝の歓喜に満ちた晴夏ちゃんのはしゃぎ様と、静かではあるが感謝の念が籠もった彼女の表情を、私は生涯忘れる事は無いであろうと心に刻んだ。
それからの私は、彼女の心に負担を掛けまいと、結婚を意識させる様な話題を避けた。
実際、大学に進学してからの学生生活は、思いの外多忙な物で、結婚と言う事を意識する余裕も無い程で、勢いで結婚を申し込んだ私へ、卒業迄待つと言ってくれた彼女に感謝する羽目と成り苦笑した。
私の学生生活は日々の授業とアルバイト、それに彼女達との時間で多くの時間を割き、忙しさの中で一日が過ぎて行く様に思えた。
そうした日々の中で私と彼女、そして晴夏ちゃんとの距離は日一日と縮まって行った。
特に、晴夏ちゃんが通う幼稚園でのお遊戯会や運動会に揃って行く事で、いつしか私は晴夏ちゃんのパパと周知される様に成って居た。
そうした一つ一つの積み重ねは、いつしか彼女達のアパートで週末を過ごす様にさせて居た。そして、それが状態化する様に成った二年生の夏休み。
『さぁて、夏休み中はいつでも会いに行けるな!』
そう旨に秘めた矢先、それ迄何も言わず黙って居た奥さんが、
「歩君、ちょっと良いかしら!」
顔を洗うべく洗面所へ向かう私へ、突然声を掛けて来た。
朝の挨拶を返した私へ、
「ご飯の時に、私達からちょっと話しがあるから。」
その一言は、今迄何も言わずに来たのが不思議な位、もっと早くにあって然るべき話しだと思い、私は概ねどの様な話しが為されるか察すると、御二人から放たれるであろう小言に覚悟を決めた。
いつもの様に、バランスの良いおかずの数々が並ぶ食卓に、私は覚悟を以て座った。
夏休みに入り、社長さん御夫妻の一人息子強君も、中学三年生と成りクラブ活動も引退した事で、共に朝食を摂る物だと思って居たのだが、推薦でラグビー強豪校への進学が決まった事で、受験勉強をする事無く後輩達と朝練に勤しんで居るらしく、夏休みに入ってからも変らない三人での朝食であった。
話しをするのに、彼が居ないのは丁度良かったし、奥さんは話しをするタイミングを見計らって居た様だったが、私が席に着くと奥さんより先に社長さんが開口一番、
「歩、儂らが何を言いたいのか解るな!?」
と切り出した。
社長さんが折に触れ見せる、私をジッと見据えるこの顔の時は“怒られる”時である。
御夫妻一家と一緒に暮らし出してからも、そうそう怒られる様な事は無かった私だが、それでもこれ迄に二度三度は叱られた事があった。
普通に思春期を迎えた子なら、男女問わず親子関係に於いての小言や説経は、唯々煩わしいと思う様な事であろうが、父親と言う存在を知らずに育った私には、皆が煩わしいと思うそうした事も嬉しく思えて居た。
しかし、この時ばかりは、指摘される事が栗原さんとの事だと重々承知しており、彼女らとの楽しみを奪われるであろう事に、この時初めて社長さんを煩わしく思い、素直に受け入れる事が出来そうに無かった。
案の定、社長さんの口から放たれた言葉と言うのが、
「歩、お前が彼女と真剣な付き合いをしてる事は解って居るつもりや!
けどな、お前はまだ学生で、幾らバイトで稼いでる言うても、その程度で彼女らを養う事なんて出来んやろ!
そら、儂らは彼女の事を何も知らんし、彼女らの暮らしがどんなもんかも知らん。
只、儂が解る事は、母一人幼い子一人の母子家庭ってのが、どれ程に生活が大変か位はは、歩とお母さんの暮らしを見て来たからよう解ってるつもりや。
そんな家に、大の大人のお前が頻繁に行ったら、飯一つ取っても余計に金が掛かってる事位解るやろ!
お前が訪ねる度、食費渡してる訳でもあるまいしな!
けど、そうは言うても実際の所、儂らにも経験があるから言うんやけど、好きおうとるもん同士に何を言うても馬の耳に念仏!
実を言うとな、儂らも昔、一緒に成れるかどうか解らん時があったんや。
元々この工務店は、大工やった親父と一緒に働き出した儂が、これからは大工より工務店として遣った方が良いって、商売の形態を個人事業主から会社へ変えさせ始めたんや。
その時、儂はとうにこいつと付き合うとったんやけど、儂らには障害。って、こんな事言うたらこいつの親父さんにどやされる遣ろうけど、京都の老舗酒蔵のお嬢やったこいつは、三人娘の長女で婿養子を取って家を継がなアカン立場遣ったから、儂らの結婚処か付き合う事すら許して貰われへんかった。
それでも儂は、何度も親父さんの元へ通って、こいつとの結婚を許してくれる様頼んだけど、結局んとこ中々許して貰う事が出来んかった。
で、もうどうにも成らんって成った時、儂らは何処か見付からんとこ行って、二人だけで暮らそうと駆け落ちする事にしたんや。
そんな時、たまたまこいつの妹のかおりちゃんが、まだまだ若い蔵人遣った中村喜人君って言う人と、一緒に成りたいって親父さんに言うたんや。
そら、親父さんはえらいビックリしたみたいやけど、普段から喜人君の働き振りを見てた親父さんは、将来こいつと結婚させて家を継がそうと思ってたらしくて。
親父さんからしても、喜人君の相手がこいつからかおりちゃんに変っただけで、願っても無い跡取りが出来たって喜んだんや。
儂らにとっても、この話は渡りに舟な話しに成って、気が付いたら親父さんが儂らの結婚も許してくれてた。
あの時の事を思い出しても、許して貰えんかったら間違い無く駆け落ちしてたやろう。
そんな事思い出したら、お前らの事は無下に反対は出来んと思うてるんや。
けどな、彼女さんは働いてるとは言え歩は学生やろ。
幾ら学校へは、お母さんが残してくれたお金で行けても、まだバイト代位しか歩は稼げんのやから、彼女らの生活まで面倒見られる訳無いし、寧ろ負担にもなりかねんがな!
それに、結婚もしてない男がしょっちゅう入り浸っては、近所での彼女の評判にも関わる事位は歩にも解るやろ!
やから、そうした事のケジメを付ける為にも、一度彼女と娘さんをうちに呼んでくれへんか!?
歩、お前の気持ちはお前の口から聞いてるけど、お前がそれだけ言う彼女の気持ちも聞いとかんと、儂らは無条件で二人の事を許す訳にはいかん。
二人の気持ちが固いなら、ケジメとして儂らが言うてる事位は解るやろうし、それ位の事は出来ると思うんやけど、どないや?」
そう言われ、勿論私も惚れた腫れただのと言う、一時的な感情だけで結婚を申し込んだ訳では無かったが、その想いと同等の想いは彼女にもあると信じて居た。
しかし、その想いを直接彼女から聞いた事が無かったし、気持ちを知る上でも良い機会だと思い、彼女達を社長さん夫婦と引き合わせる思いに成った。
御夫妻と話したその日、こう言う事は面と向かって話すに越した事が無いと、いつも通り学校を終えアルバイトへ向かうも、その日はいつにも増して職場が慌ただしく、そう言う中で彼女と話す機会が得られず、私は仕方無く帰ってから彼女へ電話を掛けた。
「そうね!
社長さん方が仰るのは当然よね。
私も今は、歩君とのお付き合いは真面目に考えてるから、折を見て御挨拶に出向いて私の想いを話したいとは思ってたの。
だから今日、そうした話しを社長さん方がして下さったのは良かったし、私も良い加減に考えていなかったあなたとの事を、御二人に話すにも良い機会だと覚悟が出来たわ。
そうした事は早い方が良いわね!?
今度の日曜日、晴夏を連れて御邪魔して良いか聞いといてくれ無いかしら?」
こう言ってくれた彼女の言葉に、
『僕の独りよがりやのうて良かった。』
と彼女の気持ちを知る事が出来、私の心は救われたと同時に嬉しさが込み上げた。
週末、土曜日のアルバイトに行くと、朝礼前に彼女が私の元へ遣って来ると、
「いよいよ明日ね。
もう私、今から緊張してドキドキが止まらないの。」
緊張して居るのがありありと解る表情の彼女に、
「そんなに緊張せんでも大丈夫や!
端から反対しようってんなら、呼んだりせえへんのやから。
何も心配する事なんて無いし、万が一反対されたりしても僕が必ず説得するさかい。」
少しでも彼女の張り詰めた緊張の糸をほぐそうと、励ましたつもりで言ったのだが、
「いざ会ってみて、こんな女じゃ歩君の相手に相応しく無いって、そんな事言われるんじゃ無いかって考えると、私やっぱり怖くて怖くて。」
そう言った彼女は、今まさに泣き出しそうなのが解る程に青ざめて居た。
私は両肩を掴むと、
「君も覚悟を決めたんやから、ここ迄来たらまな板の上の鯉って腹を括ろうや。
万が一、社長さんらが反対しても、僕の気持ちはいっこも変らへんし説得もする。
それでアカンかったら、それこそ駆け落ちでもして一緒に成ったら良い。」
そう励ましたのに、
「ありがとう、歩君。
解ったわ!
今更、くよくよしても仕方ない物ね。
それじゃあ、明日。」
その言葉と引き攣った笑顔を残し、事務所への階段を登って行った。
社長夫妻から歩は、結婚するにはちゃんと真由美を紹介する様言われる。
そうして、顔合わせを迎える事に成る。