恩師の木村
この攻撃的な僕が、なぜ、今の今まで生きてこれたのかを理解してもらうには、中学生の時の恩師の話をなければならない。
恐らく、木村といっただろうか。人の名前を覚えるのが苦手であるので、うろ覚えであるが、時代にそぐわない黒いフレームの眼鏡と、ポマードで固めたようなカッコイイ髪の毛、それから、180センチを越す身長と、コンパスのように細い手足を印象として覚えている。
木村先生は僕の担任だった。今、思い返せば彼もこちら側の人間で、仲間を探していたようにも思うのだった。多分寂しかったのだろう。彼の身のこなしは蝶のようでもあり、時に獅子のようでもあり、男女問わず生徒に人気があった。だが本当の意味での理解者は、僕に会うまでいなかったのだ、と筆者は思う。
木村先生は大変に僕を目にかけてくれていた。
当時から、というより、生まれてこのかた一人でいるのが心地よい性分であったので、友達は本だった僕のために、先生は沢山本を学校に持ってきていた。
黒板横の鳥の巣箱くらいの本棚は、僕の大好きな場所だった。
今、思えば、それが僕の大胆な行動の根底となっていたし、今日にまで及ぶ文章作成の材料となった。
木村という先生は、あろうことか、生徒数十名を受け持つ教師でありながら、とんでもない本を持ち込んでいた。
それは、学校の生徒が連行され、島で殺しあいをさせられるという近年まれに見る本であった。値段も数千円する、当時の感覚からすれば、大変高級な本でタダで読ませてもらえることは嬉しかった。こんな本は図書館の蔵書にはなかった。
木村先生はその本の感想をよく聞いてきた。
「とても面白かったです」
と僕が答えると、彼はニヤリと笑って、何も言わず次の本を持ってきた。
魔女を見つけ出し、処刑する方法まで示された本まであったのだから、異常だった。だれもその本棚に手をつけないのでその存在を知らなかったのだ。当時その本は日本にごく少数出回った全部英語の本でとても珍しいものだった。
先生は自分と同じ人を探していたのだ、と今は確信している。先生は本にお金を挟んで生徒がどんな反応を示すのか観察していた人だった。
その網に見事に引っ掛かったわけである。
僕は大変な本の虫であったため、良く本屋さんに行った。お店で同級生やその親に出会うことがこの上なく苦痛だったため、行くのは大抵夜八時を回った深夜帯、というのが常だった。
学校では中学生の夜遊びが問題となっており、お店にも先生が張り込むという状況に至っていた。
そこに木村先生がいたのである。
先生は僕を見つけると脇目もふらず、カツカツとした尖った革靴をならし、持っている本を取り上げようと手を出した。
とろうとする先生と、それを防止しようとする僕がグルグルと小さな円を描くようにまわり、やがて僕が折れるという形で小競り合いは終わった。
先生は僕が大人の雑誌を買おうとしているのだと思ったらしい。
その実態は、戦場の写真を写した写真集だったわけだが、関心が確信に代わり、先生はしばらく話したあと、僕にエロ本を買ってくれた。
先生なのに。当時の僕は中学生なのに。変な先生なのだった。