透明のガラス
僕が言うサイコパスというのは、テレビや映画に写る常人が考えたサイコパスではない。常人が考えるサイコパスの内容には偏見が多く、殺人鬼のように描かれるが、実際には人とほとんど同じだし、そもそも自分を普通だと考えて生きてきたので、きっかけさえなければ、気がつかずに死んでいたかもしれない。
僕はもう、孤独を感じられなくなってしまったが、もし、中学生か高校生の時に自分のような人が他にもいると知っていたら、きっとそうはならなかったと思うのだ。だから、同じ境遇の人にこの小説が届くことを願っている。
人は同じ霊長類という枠組みのなかにあるけれど、背が高い人や声のきれいな人、肌の色が綺麗な人など様々な特徴がある。恐らくサイコパスにも持って生まれた人や、後天的に成った人もいて、その程度は様々だと思う。
僕の場合は、かなりやばくて、学生時代、特に中学校の時は、常に誰かの役になりきっていないと息をするのもつらかった。
役というのは、言い換えれば擬態だ。
その頃、既にテレビでドラマやお笑い番組を見ることができたから、僕はテレビの中の登場人物の行動や言動を丸々コピーして日々生きていた。
皆が美しい色つきのガラスだとすると、僕は透明のガラスだった。飾り気も用途もないただの筒。
誰にもなれるし、誰でもない。話す相手によって人格を切り替え、仮面のように表情を入れ換えて生きていた。
こういう生き方は、他人からめちゃくちゃ好かれるか、あるいは、嫌悪され、拒絶されるかのどちらかの反応を得ることになる。
僕が虐められ始めたのは、ある4月の美しい日の事だった。