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断章:ヴェイト・バーグマン著『皇国の音楽史』より抜粋

 皇国における『音楽』とはつまり、そのまま『軍歌』という言葉に言い換えることが出来る。

 それ以外のあらゆるジャンルは淘汰され、価値を失った。


 では、その『軍歌』とは何か。

 基本としては旧世紀における戦意高揚のために作られたプロパガンダである。

 そこは変わらない。

 そのテーゼとは『興奮』と『共同体としての安心感』である。

 ゆえに、『厳しさ』『哀しさ』を時に内包することはあっても、『寛容さ』や『厭世観』を纏ってはならない。


 この時点で、多くの旧世紀の音楽は姿を消す。

 もはや鎮静や安寧のために音楽が聞かれることはなく、もっぱらスピーカーがけたたましく鳴らす興奮剤として消費される。


 最も重要なのは『わかりやすさ』である。

 まず、楽曲として重要なのは勇壮さである。

 多くの楽曲が生み出される――というより、『再生産』される際、その源泉となったのは、いわゆる旧世紀の『古典派』をはじめとしたクラシック器楽曲のオブジェクトであった。

 優美さを示す弦楽器、けたたましく鳴り響く金管楽器、血沸き肉踊らされるパーカッション。


 さらには、聴衆の心に広く訴えるため、楽曲構成は、旧皇国の国民にDNAとして刻み込まれた大衆歌の構造をとった。

 ヴァース、コーラス、ヴァース。つまりは、メロディがあり、サビがあり。

 一度ないし二度の転調を加えたのち、サビに戻るという構造である。

 この流れこそが人々を興奮させ安心させるという相反する要素を両立させるのだということを、皇国は熟知していた。


 では、壮大なクラシックミュージックとポピュラーミュージック。

 それらを融合させた楽曲を、いかにして幅広い層の大衆に広げるのか。


 その答えは、皇国が開発した『オートコフィン』という楽器にあった。

 不吉な名前を持つこの楽器は、基本的にはグランドピアノやチェンバロといった鍵盤楽器に酷似した構図を持つ。

 奏者が前に座り、人々がその音色に耳を傾けるというのも変わらない。

 では何が違うのかと言うと、それは、この楽器そのものが作曲者であり、奏者はそれに従属する役割でしかないということだ。


 さらにいえば、定まった鍵盤を押すことで、内部の人工知能が反応し、自動で他の楽器の音も鳴らしてくれるという機能もある。

 つまりは、鍵盤楽器による主旋律に相応しいアレンジやアンサンブルを、自動的に作り出し、流すことが可能ということなのだ。


 そして、その楽曲の装飾のパーツは、旧皇国の所有していた膨大な音楽アーカイブを研究し、アルゴリズムとして分析を加えて、『最適なかたちで再生産された』ものであった。

 ある楽曲からは勇壮さを。

 ある楽曲からは明朗さを。

 それぞれ、分析して全く新しいかたちで届ける。

 奏者は、それら複雑な、まるでプログラミングのように入り組んだ譜面を、いかに正確に『再現』するかどうかのみが求められる。

 もはやここにきて、音楽に携わる人間の役割は旧世紀から大きく変化したのである。


 機械が作り出した、誰かの曲に似ている、しかし誰のものでもない、良い部分だけを、その上澄みを組み合わせて作った、匿名の興奮剤。

 はじめから終わりが分かっているから安心して聴くことが出来るし、興奮することはあっても、傷つくことはない。


 この国の唯一にして最大の娯楽。


 それが、皇国の『音楽』の正体であった。


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