第二話「流れゆく季節の中で」1
―――始業式当日。
「”おにぃ、起きるですよ! あいるびーばーーーく!!!”」
真奈の元気な声が浩二の部屋に響き渡る。閉められていたカーテンは開かれ、馬乗りになって浩二に覆い被さって起こそうとする真奈。浩二は身体に襲い掛かる重みで目を覚まし、朝の陽射しを受けた。
「い、いてーーーー!!! 起きる、起きるから頼むから降りてくれーーー!!」
真奈は容赦なく浩二の腕を引っ張り、お腹に乗って立ち上がり、ぴょんぴょんとジャンプを繰り返したところで、浩二は猛烈な激痛と共に叫びながら目を覚ました。
「あさからねぼうなんて、いいごみぶんだぜベイベー、はやくおきる! はやくおきる!」
「やめんか、目覚めが悪いわ!!」
「だって、おにぃ起きてこないから……」
普段は浩二の方が先に起きるにもかかわらず、今日は真奈の方が先に起床を済ませている、一体どういうことなのだと思いながら浩二は時計を確認した。
「まだ目覚ましの鳴る時間じゃねえのに……、なんで起こしに来たし……」
まだ寝起きのままの気怠そうな声で浩二は言った。
7時にセットしておいた目覚まし時計はまだ鳴っていない、それもそのはず、まだ7時まで5分もある。
「昨日はおにぃが起こしてくれたから、そのおかえしなのだ、よにかんしゃするがよい!」
「んなこと頼んでないんだが……」
昨日、入学式だったというのに、真奈は朝からテンションが高い。何故なんだと考えた挙句、浩二の中に疑問が浮かんだ。
「真奈、ちゃんとお前寝たか?」
「今日が楽しみ過ぎてなかなかねむれなかったのにゃ」
浩二の問いに少し萎んだ様子で答える真奈。
昨日のパーティーでの盛り上がりから推測できたが、真奈は余程学校に通うのが楽しみで仕方なく、気持ちがずっと高ぶっていたようだった。
「やっぱりそうか……、今日から毎日通うことになるんだから、ちゃんと夜は寝ないとだめだぞ」
「……わかったのにゃ」
叱られると語尾がネコになってしまう真奈をなんとかベッドから降ろして、気づけば7時になってしまったので、浩二は朝支度を始めることにした。
今日の朝食は二人で済ませた。
真奈はお気に入りのイチゴジャムをパンにたっぷり付けてオレンジジュースと一緒に食べていた。
一方、浩二はパンにバターをたっぷり付けてホットコーヒーと一緒に食べながら、片手で携帯を手にニュースサイトを見たり、小説投稿サイトに更新されたお気に入りの小説の続きをチェックしながら朝の時間を過ごした。
登校する時間まではかなり時間があったはずだったが気づけば時が過ぎていき、隣りの永弥音家から唯花がやってきた。
「浩二、学校行くよ」
「おう、待ってろ、すぐ行く」
「真奈、準備は大丈夫か?」
「うん、おっけーおっけー、おにぃ、たぶんだいじょぶ」
浩二と真奈は玄関で待つ唯花と玄関を出て戸締りを済ませた。
唯花の声は今日もテレビキャスターのように澄んでいて、美しい目覚めを呼び起こしてくれた。
「なんだか、春休みもあっという間だったね」
唯花は息を吸い込んで、一言そう口にした。
浩二が隣にいる当たり前の日常が帰ってきたことに安堵して。
「ホントにな、学生はつらいぜ」
「ふふっ、偉そうに言っちゃって」
「いいだろ、今日くらい」
微笑む唯花に浩二はドキっとさせられながら三人揃って歩くと、また新しい日常が始まったような心地がした。
制服姿の真奈は新鮮で、それだけの歳を重ね成長してきたんだという実感を持たせてくれた。
「制服姿ってやっぱりいいね、背筋が伸びるというか、そこに所属してるって実感とか湧いて」
「そうかもな……。真奈、一人で登校できそうか?」
真奈は途中で分かれて一人で学校まで行かなくてはならない。
5分もかからないとはいえ、まだ6歳の真奈がひとりで歩いていくのは兄としても、親代わりとしても浩二は心配だった。
「うん、しんぱいしなくていいよ、たつやにぃと一緒にいってきて」
「ああ、それじゃあ気をつけろよ」
「真奈ちゃん、なにかあったら私でも浩二でもどっちでもいいからすぐ連絡してね」
「うん、りょうかいであります! それじゃバイバイ」
そう言って真奈は学校へと向かって駆けだしていく。
無邪気な真奈の姿を浩二と唯花は心配そうに、名残惜しそうに見送った。
「子どもの成長は早いね……」
唯花はずっと先まで続いている桜並木を見つめたまま、しみじみと言った。
「ほんとだな、すぐ泣き出して手に負えなかった頃が、遠い過去みたいだ」
思い出となった記憶が頭の中で蘇る。今だってわがままや理不尽なことも言うが、昔ほどではない。身体の成長と一緒に心の部分でも確かな成長を二人は感じた。
「お友達、出来るといいね」
「そうだな、その内にうちにも連れてくるさ」
心の底から子を持つ親の心境になって、年甲斐もなくそんなことを話しながら二人揃って先を行くことにする。真奈は健康面でも問題を抱えているわけでもなく、浩二にとってはこれからの成長が待ち遠しい限りだった。
「それじゃあ私たちも行こっか、きっと達也も待ってるだろうし」
「ああ、そうだな」
浩二と唯花は駅で待ち合わせている達也の元へ向かった。