第八話「二人の交差地点」1
「お嬢様、行ってしまわれるのですか?」
プリミエールが私を見て名残惜しそうにしている。
「もう十分でしょう? あなたはお父様のところに行くのよ、それがあなたの仕事でしょう?」
それはプリミエールにしか出来ないことだから、私は自分なりにプリミエールが父に信頼されていることを受け止めていた。
「わてぃしは、お嬢様のお世話をするのが幸せで、それだけは忘れないでいてくださいですよ」
「ええ、今はお互いするべきことをしましょう、来るべき日のために」
「はい、何かあればご連絡ください。迅速に駆けつけますので」
何だかんだ駆け付けてくれたことには感謝をしてその言葉に頷き、私はタクシーに乗り込んだ。プリミエールはそれをずっと見送っていた。
プリミエールと父がどんな会話を普段しているのか、想像も付かないので興味はあったが、何か裏の顔を見せられてしまうのではという恐怖もあり、私はこれ以上考えないことにした。
初日から事前に想定していた交通手段を使うわけにもいかなくて、私はタクシーで学園まで向かった。
*
今の時代では標準的な自動運転の無人タクシーに乗り込み、付属も含め、広大な敷地を有する、凛翔学園に辿り着いた。
高等部の校舎に入って、諸事情で最初に挨拶のために学園長室を目指さなければならないのでなんとか迷わないよう校舎の中を歩いていく。
外国の学校や大学を見習ってか、この学園にはスリッパや上履きに履き替えるという校則もないので、そのまま3センチ厚底のあるスニーカーを履いて校舎に入った。
ローファーを履いてくるかスニーカーを履いてくるか、そんな事を悩んで結局のところスニーカーを履いて来ている。
学園長室は他の教室と違って横開きではなく、ドアノブになっていて、私はトントンと扉を軽くたたいて、返事が返ってきたところでドアノブを回して校長室に入った。
そこで出迎えてくれたのは、もちろん学園長だが、私の親戚でもある稗田紀子さんだった。
「こんにちは、ご無沙汰してます」
久々の再会であったので懐かしい気持ちになりつつ、私は相手が学園長であることもあり丁寧にお辞儀をした。
「ようこそ、我が学園に。そう、ついにこの時が来たのね、思えば長くもあり、歳を重ねるのはあっという間でもあり、不思議な気持ちね」
紀子さんが感慨深そうに話す。私も紀子さんの言葉を聞いて同じような気持ちになった。
「最後にあったのは4年前ですね。少しは成長できているといいのですけど。自分を誇れるだけのものを手にするのは大変なことだと思い知りました」
「そうね、その責任感の強さは本当、姉に似たのかしらね。苦労をすればするほど、それは自分自身の自信につながっていくわ。自分を信じて、知枝さん」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、この気持ちも報われます」
立派な大人の言葉を聞くのは、まだ、今の私には心苦しかった。
紀子さんは祖母の妹で、祖母から学園を任されて以来、学園長をしている。
最後にあったのは、そう、祖母の葬儀の時で、葬儀が一通り終わってからは、私がアメリカに再び行ってしまったから会っていない。
「ここに来るまで、大変だったでしょう?」
「それはもう、恐ろしい剣幕で反対する人もいましたので……」
「それだけ、重大な研究課題に取り組んでいたということでしょう? 私はそこのところあまり詳しくはないのだけど」
「まぁ、そうですね、発想の原点は夢物語のようなものです。そこから、少しずつ現実のものにするまで試行錯誤を繰り返して、研究とはそういったものばかりです。だから、どれも酔狂な者の願望から生まれ出るものなんです。
それを途中で凍結するということは、大きな決断であり、多くの人を裏切ることでもあります、現に私が研究データを秘匿しなければ、多くの人がそのまま研究を続けていたでしょう。
無責任な話ですね。でも、私は思うのです、そうして遠回りをしたり、考え直すことも本当は必要なんじゃないかと。
研究者は生まれた赤子がどう育つかまでは面倒を見ることはできません、生まれてしまったものは、多くの人の意思に委ねられるものですから、どんな風に利用されるかは分からないのです。
それは一研究者として恐ろしくもあります、すみません、無駄話を話過ぎてしまいました」
つい、一方的に話し込んでしまった、どうしてだろう、私の中の情緒が勝手に狂い始めているのかな……。
「いいのよ、それだけ熱心さを忘れていないということですから、必ず答えは見つかると思うの」
「そう言っていただけると助かります」
「それだけ大切な約束なのでしょう? 姉さんとの約束は」
「はい、今を逃すと約束を果たせないということ、研究を続ける中でも気づいていました。でも、なかなか、この日を迎えることは難しくて、やっと来れたというのが私の本音です」
「その若さで、多くのことを抱え込んでいる、それは立派なことよ、誇っていて」
話せば話すほど、これまでの日々の苦労が蘇ってくる、それを私はなんとか押さえて前に進まなければならない。
「それで、手紙に書いていたことというのは?」
時代錯誤もいいところではあるが、セキュリティーの保証ができないこともあって、書面で紀子さんとは連絡を取り合っていた。
「はい、祖母の遺書に書いてありまして、《《厄災の記録がこの学園のどこかにあると》》」
「私は長くここにいるけど、そんなもの見たことないのだけれど……、私がここに来る前に、姉さんが置いていたものかしら……」
「たぶん、そうだと思います、”キー”もあるのです」
「鍵、ですか?」
紀子さんが訝しげに聞き返す。遺言書とは別に、遺書は親類縁者別々に用意されており、本人しか確認してはならない決まりだった。私にだけ書き残していた情報に紀子さんは驚いたようだ。
「はい、11桁の暗証番号、祖母はこれが記憶の扉を開く鍵だと書いていました」
「そう、もしかしたら、地下書庫のどこかにあるのかもしれないわね」
「地下書庫ですか?」
この凛翔学園に地下書庫があるなんて話は初耳だった。そもそも、この30年で多くの図書館は閉鎖され、本の多くは焼却されて残ってはいない。祖母にはそうした時代の流れの中で、何とか本を守ろうとしていたということだろうか。
「実際入ると大層なものではないのだけど、知っているのが私くらいなもので、掃除もしていないものだから、もう何年も入っていないのよね……。そういえば、姉の書斎もあったかしら」
その言葉には驚かされた、聞けば聞くほど怪しいじゃないか……。
「どうして、そんなことに?」
「それは、書庫自体が姉さんの趣味で収集したものばかりだったから、学園教育のために揃えている蔵書ではないとかで、姉さんも誰にも代わりに管理をさせることもなくって、結局、今では私くらいしか、存在を覚えていないというところかしら」
「はぁ……、そうなんですね。結局調べてみないことには答えは見つからなさそうですね」
「そうね、そう思うわ。このことは、また追々考えましょう」
「はい、お願いします」
すぐに真実に辿り着けるとは思ってはいなかったので、落ち込むことはなかった。
この学園に通う中で解決できればいい、私はそう思っていたから。
でも、手掛かりがあっただけでも、こうして朝早くから学園長室に来た甲斐があったといえる。
「それでは、もっと話したいことはありますけど、失礼します」
「ええ、またいつでもいらして、知枝さんの行く道に幸ありますように」
こうして紀子さんとの対話は終わりを告げ、私は学園長室を出た。




