STAGE5 生真面目な無法者
1
カーテンから漏れる朝日の眩しさに、目が覚めた。
端末の電源ボタンに触れると時刻は朝の8時を示している。
朝早く起きると何だか寝足りないような気がするのは、僕だけなのだろうか。
寝ぼけた目をこすり、大きな欠伸を1つする。
体を優しく包み込む毛布を取り払い、ボックスタイプのソファーから起き上がった。
信じがたいことに、トラばさみで負傷した右足には特に痛みはなく、ケガもきれいさっぱり無くなっている。
もしかしたら、あの空間でケガをしても現実世界では問題ない仕様なのかもしれない。
死ぬこと以外はなんとやら。最近、巷で流行っている書籍の名前みたいだと、ふと思った。
辺りを見渡すと、細長いレーンに佇む黒ずんだピンと、天井からぶら下がる真四角のモニターが視界に入ってくる。
恐らくここはボウリング場なのだろう。
しかし、何故こんなところに僕は居るのだろうか?
道化師との戦いの後、僕はあの正体不明のノイズに包まれ意識を喪失した。
今の時刻から逆算しても、8時間以上は眠っていたのかもしれない。
きっとその間に誰かが運び込んだのだ。
それにしても、これだけ寝ても物足りないのは生活リズムが乱れている証拠である。
ここから、無事に帰宅出来たら考え直そうと思う。
でも誰が、何の目的でここに連れてきたのかは、自分の頭では理解不能である。
もしかすると、あの狂った道化師の仲間からの報復なのかもしれない。
常識的に考えて、こんな潰れて廃墟になったようなボウリング場に、人を連れ込むなんてどうかしている。
こんな場所は、アウトローな連中が根城にするのには、まさにピッタリな場所だ。
最悪な話、ここで拷問されるか、監禁されるかの2択という展開も有り得そうである。
結局、昨日死ぬはずだった寿命が今日に延びただけだったかもしれない。
だが、命を賭けた墨浦の為にも、簡単に死ぬのはだけは勘弁だ。
そう勝手に意気込んでいると、奥から一人の女性が、腰まで届く長い黒髪を揺らして近づいてくる。
予想外にも僕のよく知っている人物だった。
「紫島さんなんでここに・・・」
「浅葱くん。君には聞きたいことがあるの」
紫島明音。僕と同じゼミに所属する女子大生だ。
社交的な性格と持ち前のルックスから男女問わず人気者だった。
特に西田の奴は、飲み会の時に鼻の下伸ばして見とれてたっけ。
「聞きたいことがあるのは僕のほうだ。なんでここに連れてきたんだ。君もあいつの仲間なのか」
「あいつ・・・やっぱり君は、あのピエロと戦っていたんでしょう?健吾君と一緒に」
何故か彼女の口から墨浦の名前が挙がった。
墨浦との接点に直接的な心当たりこそは無かったが、友人の知らないところで異性と親密な関係になることなんてありがちな話だ。
墨浦も意外とやり手だったんだろうか、と他愛もないことを考える。
「そうさ。僕は確かに墨浦と一緒に戦ったよ。でもあいつは死んで、僕だけが助かったんだ。」
僕が不甲斐ないばかりに、彼はこの世に帰って来れなかった。重苦しい自責の念が、胸の中で強情に居座っている。
「やっぱりそうだったんだね・・・つらかったよね。友達を目の前で失うなんて」
絹で包んだような優しい声色に、思わず涙腺が緩んでくる。
無力な自分に、泣く権利なんてないくせに。
「それで・・・なんで僕をここに連れてきたんだい。墨浦の敵討ちが目的なら僕は殺されても文句の言える立場ではないよ。助けられなかったんだから。」
「そうじゃないの浅葱くん。君には私達の仕事のお手伝い、健吾くんの引き継ぎをしてほしいの」
2
立ち話を長い時間するのも申し訳ないと、彼女は向かい合って話のできるテーブルに案内してくれた。
イスには丁寧にも柔らかなクッションが敷かれており、座り心地は抜群である。
「まず、私達が置かれている状況について説明しないと。君は多分、巻き込まれたばかりでしょ?」
そう言って、パーカーに入れていた筈の僕の手帳を取り出し、テーブルの上に置いた。
どうやら眠っている間に盗られたようである。
見かけによらず手癖が悪いんだなぁこの人は。
人は見た目が9割だなんて言ったのは一体誰なんだろうか?
「寝ている時に探っちゃったの。ごめんなさい。」
彼女はペコリと頭を下げた。
一応、罪の意識は人並みに持ち合わせている様だ。
ならば相応の常識も守ってほしいものではあるが・・・
「別に良いよ。ちょっとビックリしたけどね。それよりも、詳しい状況を教えてくれないかな?」
彼女は小さく頷き咳払いを1つした。
「私達は日本幸福機構という団体に、端末と手帳を与えられ、幸福者に認定されました。まずはそこからです。」
タメ口から一転、改まった口調に切り替わる。
真剣な空気が辺り一面を漂い始めていた。
「最初に端末についてお話しします。端末は超能力であるユートの発動からショップの利用まで、多岐にわたる使い方があるのですが、把握しておられますか?」
ん?何か違和感を感じる。
僕は確かに自分の置かれている状況について質問をしたのに、何故だかケータイショップの店員めいた説明が始まっている。
今は、端末の使い方を教わっている場合なのか?
話す以上、本筋との関係は必ずあるとは思うが、妙に気になる。
「ユートの発動は分かってるんだけど、ショップがよく分からなくて」
「そうですか。なら説明しなければいけませんね。私達が何故戦うのか、という問の答えにも直結する話です」
重大な話を目前にして、自分の鼓動が速まっているのに気がついた。
まだ話してもいないのにこんな緊張しては、話し終わった後に僕は倒れるかもしれない。
「実際にアクセスしてみましょう。買い物かごのデザインのアイコンをタップして下さい」
促される通りにやってみると、大手のネット通販サイトを連想するホーム画面が映し出された。
日用品から嗜好品まで幅広いジャンルの商品が紹介されている。
おおっ!新人賞を受賞した作家の本もあるじゃないか。
運営はズレた人達ばかりかと思っていたが、その評価を撤回する必要がありそうだ。
しかし、運営への評価を改めたのもつかぬ間、手の平を返さざるを得なくなった。
銃火器や刀剣と言った、如何にも反社会的な人が好みそうなラインナップが、絶賛セール中だからである。
やはり正常な神経ではない。
信じた僕が馬鹿だった。
「ここで肝心なのは商品ではなく、画面の上部にある数字です」
「数字?ああこれか」
確かに画面の左上に数字が記されている。
カウントは15000。
さしずめ、買い物の時に使う電子マネーみたいな物だろう。
「これはショピングで使うお金でもあり、私達の命をその物なんです」
「命その物?どういうことなんだい?」
「簡単な話し、そのポイント、通称ハピネスが0になった時に私達は死ぬんですよ」
今のところ西田の話とだいたい一致している。
あの時、聞きそびれた話とようやくご対面だ。
「死因には幅がありますが、数日から数週間で亡くなります。私の知っている限り、これを逃れた人はいません」
これが西田の言っていた恐ろしい事の正体か。
想像通りのベタベタな展開だが、実際、現実で降りかかるとこうも恐ろしく感じるのが不思議である。
冷や汗が一筋、額に浮かんだ。
「ハピネスには失効期限があり、何もしなければ必ず0になります。そこで、生き延びる為に行うのが・・・」
「紛争。幸福者同士の私闘行為なんだよね?」
図らずも、話の腰を折ってまで口を開いてしまった。
そりゃあそうだ。自分がデスゲームに参加させられたと知って黙っていられる訳がない。
焦燥感で胸が詰まってくる気分だ。
「その通り。だから私達は人知れず戦っているんです。この世界と良く似た異なる場所で」
「あの場所のことか・・・」
ノイズに包まれる感覚が蘇り、背筋に悪寒が走った。
これからの人生、あと何回あの気味の悪い感覚に襲われるのかと考えただけで、眼前に暗幕が下りてくる。
まさに最悪である。
「しかも、戦いに勝つことで、レーティングが上昇し、ショップで購入できる商品も増えるんです。だから戦いが白熱するんですよ」
「最悪だよ。これじゃあ勉強に集中出来なくなるじゃないか!落単決定だよ!」
「ふふっ。面白いね。君は」
開き直った苦し紛れのジョークに、彼女は、顔を綻ばせた。
傍から見れば、頭のオカシイ人間に見えるかもしれないが、こんな状況で平然としていられる方がおかしいのだ。
「じゃあ、戦う理由は説明したので、次に手帳を見ましょうか」
思い出し笑いを左手で覆い、手帳を僕の前に置き直した。
ルックスの良さと相まって、彼女の仕草が妙に愛らしく見える気がする。
図らずも、見惚れてしまう自分が居た。
「まずは、開いて見て下さい」
薄緑の手帳をパラパラめくってみると、何やら硬苦しい文字が羅列している。
幸福者規約?まさに生徒手帳みたいな代物だなぁ。
「規約の第55条です」
"幸福者規約第55条 幸福者は如何なる場合であっても、幸福者以外の人物にユートを行使してはならない"
「これが私達の活動の根本にある事です」
「と言いますと?」
「当然この規則を守らない輩がたくさんいる訳ですよ。しかも機構は、それに対して何のペナルティーも下さないんです!」
そう言うことか。
詰まるところ、彼女と墨浦のやっていた事は、警察役だったという訳である。
あいつは確かに正義感の強い人間だったが、それもここまでとは予想できなかった。
「それで、僕にも警察みたいな事をしろってことだね。自分のことで手一杯なのに・・・」
「お願いします!あのピエロに勝てるほどの実力があるなら大丈夫ですよ。それに健吾くんの知り合いなら信用できます」
彼女は一歩も引き下がるつもりが無いみたいだ。
確かに、僕が彼の穴埋めをやれば多くの人達が助かるのかもしれない。
でも、僕はそんなに勇敢な性格の人間じゃないし、墨浦に恩があるとは言っても、自分の命をさらなる危険に晒す事なんて出来そうもなかった。
「僕には荷が重いよ。じゃあ帰るから」
「待って!あなたも健吾くんに助けられたんでしょう?なら恩を返そうとは思わないの?」
「恩義は感じているよ。でも僕は、あいつみたいに勇敢じゃないんだ」
彼女の説得を背中で受け止め、歩みを進める。
彼らの仕事は、見知らぬ人達を守る誉れ高い仕事である。
だからこそ、自分のような腰抜けの凡夫に務まるはずなんてない。
立ち去ろうとしたその時だった。
「分からない人ですね貴方は。早い話、彼の代わりに生き残った責任取れと言ってるんですよ。そんなことも分からないんですか?よくその頭で大学に入れましたね」
「えっ!何なんだよいったい?」
普段の学生生活からは考えられない冷淡な口調と粗暴なセリフである。影で彼女のファンクラブに所属する男子生徒にしれたら号泣必至だろう。そんなくだらない妄想をしても、体に走る悪寒と胸のざわめきは止まらなかった。
「もういいですよ。どうやら見当違いだったみたいです」
またしても周囲の風景がグラつき始め、どうやら今度は同輩の紫島さんと血生臭い関係を持つことになりそうだ。一寸先は闇、敵は味方の中にいる。まさにその通りだった。いや、ただの知り合いに過ぎないから少し違うか。そうであっても、顔見知りと戦うなんて真っ平ごめんであるが……
「ちょうど、欲しいバッグがショップに追加されたばっかりなんですよ。でも手持ちが足りなくて……浅葱くんのハピネスを足したらピッタリなんです。勿論おごって下さいますよね?」
釣り上がる口角とは裏腹に笑わない瞳。僕はいい加減眼前にいる女性の評価を改めなくてはならないようだ。知り合いだからと躊躇うのは辞めよう。生き残るためにも。身を呈して助けてくれた炭浦のためにも。
「良いのか?僕が死ねば炭浦は無駄死になるぞ?」
「良いんですよ。恩人の手伝いもしない無礼者を殺めても罰は当たりませんから」
「まともじゃない……こんなの」
いい加減彼女の不気味な笑みに対して苛立ちが湧いてきた。新作バッグだか、警察の手伝いだか知らないが、こんな所で死ぬわけにはいかない。自分が訳の分からないネットショッピングに巻き込まれた理由も、目的も何もかも分かってないから。それだけは自信を持って言えることだ。
「分かったよ!恩人の友人でも親や家族が相手でも全力で戦ってやる!僕は最後まで生きたいんだ!!」
大見栄を切ってやった。戦いは相手と武器を向け合うだけだと思ったら大間違い。場外の心理戦から始まっているのだから。相手の驚く顔に満足して周囲を見渡すと、の輪郭の捻れは益々酷くなり、黒いモヤがモニターやレーンを覆い始めた。そろそろ転送の時間である。薄れつつあり意識を手放しつつ、いつか本で読んだ言葉が去来する。
際は投げられた