STAGE2 コンフリクト・スペース
昼下り、迫りくる睡魔と戦いながら、学生食堂のテーブルのイスにもたれている。
昨日の睡眠不足が原因でこの有様だ。
勝手に下がってくる瞼を震わせて、垂れてくる首にぎゅっと力を込める。
アラームを止めたところまでは良かったものの、腕時計が突如として外せなくなってしまったのだ。
ハサミやナイフで試してもベルトには傷は1つもつかず、メーカーの努力の結晶を身を持って味わうことになったわけである。
最初は開錠の替わりに金銭を要求する身代金詐欺かと勘ぐったが、それだと先方からの連絡が無いのは不自然だし、高価な端末を送りつけるのは道理に合わないだろう。
是非とも送り主の腹の中を見てみたいものだ。
その一方で、肝心の本体はなんの反応も示さず、相変わらず周囲の風景を、その真っ暗な画面に反射するだけだった。
「はぁ……どうしたもんか……」
思いもよらぬ厄介ごとの連続についついため息をこぼす。
しかし、こんなこと誰に相談すれば良いのだろうか?
消費者センターか?はたまた警察か?
適切な相談場所が分からない以上、身動きが取れないのは確かだ。
益々、悩みの谷がその深さを増していくように思えた。
「悠陽じゃん!!こんなところで居眠りするなよ!!」
「僕はまだ寝てない!!いつも寝てるみたいに言うな!!」
「まだってことは寝るつもりだったんだじゃねえか。寝るのは授業中だけにしておいた方が良いぞ。」
「どっちみち駄目だろ。授業中は起きろ」
少し小馬鹿にしながら、失礼な友人達は何食わぬ顔で空いている椅子に腰掛ける。
まさか数回寝ただけでこんな言われようになるとは、これからもネタにされ続ける覚悟をした方が良さそうだ。
でも、こう言われるのも案外悪い気はしない。
こんな軽口を言われるのは心の距離が近い証拠だろう。彼らは僕の数少ない友人なのだから。
友人達との砕けた会話に張り詰めた緊張が溶けていくのを感じていた。
もしかしたら腕時計のことも相談出来るかもしれない。そんな淡い期待を抱き始めていた。
「冗談はさておきさ〜面白い超常現象を仕入れて来たんだよ!!早速聞いてくれ!!」
「西田、今度はどんな話なんだ?」
いつも通り、彼のお得意のオカルト話が始まる。
彼は今のご時世にSNSのアカウントを一つも持たない僕と同じくらい奇特な人物だ。
本人曰く、超常現象・都市伝説・怪談の類のエキスパートらしい。
この前まで有志を募ってUFOを呼んでいたそうだが、今回はそれについての報告で間違いないだろう。
「今回はUFOの話しじゃなくて夢を叶える腕時計っていう噂だ。聞いたことあるか?」
「夢を叶える腕時計?」
予想が外れたのは隅に置いておいて、何やらいつも以上に胡散臭い単語が飛び出している。毎度のことながらいったい彼はどこからそんな話を仕入れているのだろうか。いつか、じっくり聞かせてほしいものだ。
「腕時計っていっても今どきの端末型のものなんだけどさ、それを使えば欲しいものが何でも手に入るって話なんだ。ブランド物のバッグやベンツみたいな高級車は勿論、日本じゃ絶対に手に入らないものだって……」
「そんな話があるのか!!もっと詳しく教えてくれないか?」
ついつい声量が大きくなる。まさか右腕に巻きつくこれと関係があるのだろうか。
彼の話に一層興味を掻き立てられた。
「ああ。この話はなぁネットで一ヶ月くらい前に話題になってたんだ。ある日突然知らない手帳と腕時計が送られてきた投稿者がブログで記事にしたのが始まりだったんだ」
やはりそうだった。見立て通りに彼の話には僕の取るべき行動への示唆があるかもしれない。
西田のオカルト話が役に立つとは考えもしなかった。
一方、隣に座る墨浦は眉間に皺を寄せて彼の話に聞き入っている。
「投稿者は端末内のネット通販アプリを使って豪遊したんだ。写真も掲載されてたんだげどさ、ホントに何でも売ってたんだ。日用品や雑貨、高価なブランド品から非合法な物まで。当然、誰も見たことないサイトだったんだけど」
「それで投稿者は、その後どうしたんだ?」
長い沈黙を破り、墨浦がようやく口を開いた。
どういう訳かこの話が始まって以来彼の表情は依然として硬いままである。
「投稿者はその後も買い物を続けたんだ。そのサイトに自分名義で聞き馴染みのない名前の電子マネーがチャージされてたそうだからな。でもな、うまい話には必ずからくりがある。遂に投稿者は最悪の形でそれを知ることに……」
ある意味良いタイミングで西田のポケットから軽快な着信音が鳴り響く。
耳を澄ませば、今流行りのアイドルソングであることが分かった。
まさかこういう方面にも明るいのか?
「多分、アルバイト先の店長からの電話だよ。悪いね。この話はまた今度。」
「えっ……」
続きが気になって気が気でない僕を横目に急ぎ足でこの場を後にした。
結局、肝心なことを聞けずじまいだ。
ふと窓の外に目をやると日が傾きかけている。
夕焼けの鮮やかな橙色がメガネ越しに僕の網膜に焼き付いた。
「悠陽。このあと空いてるか?話があるんだ。」
「ああ。良いよ。特にやる事は無いし。」
さり気なく嘘をついた。本当は学生生協で予約した本の受け取り日なのだが、こんなにも酷いお預けを喰らっては話が身に入ってこないだろう。
新刊はまた今度だ。
そして何より、いつになく真剣な顔をしている彼を無視することは出来なかった。
イスの向きを隣りに座る墨浦の真正面になるように動かす。
「話しって何だよ?」
「単刀直入に聞くがお前も手帳持ちだろ?俺と同じ」
上着の袖を引っ張って僕のと全く同じ端末を見せつける。
「その反応は図星だな。どうする?俺と『紛争』でもするか?出来れば身内とそんなことはしたくはないがな」
「なに意味の分からないこと言っているんだよ!!第一『紛争』ってなんだよ?送られて来たばかりで右も左も分からないのに。手帳だってまだ読んでないし……」
「それなら話は早い。俺が1から説明してやるよ。まず俺達は……」
墨浦が言いかけたところで、周囲の景色に違和感を抱いた。
まず、物や人にノイズが走り、徐々に半透明になって見えなくなっている。
しかし、それにもかかわらず周りの人達はなんの注意も示さない。
さながら世界の終わりの真っ只中にいるような心地がする。
「不味いぞ。場所を変えよう!」
いつも冷静沈着な彼らしく無い、少々ムキになっている口調だった。
それだけに、現状が切迫している状態であることは容易に想像できた。
墨浦に手首を引っ張られ走るも、ノイズは予想以上の速さで僕らを追跡してくる。
取り敢えず捕まったら不味いという事は本能的に理解できたが、僕のスタミナとスピードで太刀打ちできる相手とは到底思えない。
次第に息も切れ、脚はもつれてきた。我慢できず、墨浦の手を離す。
「何をしてんるんだ!!追いつかれるぞ!!」
「僕の事は良い。お前だけでも逃げろ。」
遂に追いつかれ体中がノイズに包まれていくのが感じ取れた。
全身に悪寒が走り、次第に意識が薄れていく。
瞼を開けて精一杯の抵抗しようにも焼け石に水だ。
意識を手放す前に最後に目に映ったのは、大きな口を開けて僕の名前を叫ぶ墨浦の姿だった。
「カァ〜カァ〜」
喧しいカラスの合唱によって再び意識を取り戻す事が出来た。
体に痛みはなく特に怪我はしていないようだ。
「何で外にいるんだ……」
辺りを見渡すと大学周辺の繁華街に出ていた。
なぜ勝手に移動していたのかはさておき、帰宅時間だというのにどうして人っ子一人いないのだろうか。
学校帰りの学生で賑わうハンバーガーショップにも、仕事帰りの社会人で混み合う居酒屋にも人影一つない。
まさかにこれが俗に言う異世界転生か?
いや違う。こんな現代チックなはずが無い。
理解が追いつかず、しばらく頓珍漢な問答を繰り返した。
すると少しずつ足音が近づいて来るのに気がついた。自分以外にも人がいるのかと少し楽観的に構える。
しかし、その相手が近づくにつれて、非情にも浮かれた考えが間違いであることを突きつけられた。
「今日のターゲットは君かぁ。お兄さんを楽しませてね♪」
心なしか刃の部分が赤く染まっている斧を携えた道化師が、ゆっくりとこちらとの距離を詰めてくる。
コイツのせいで、日頃の運動不足を見直すハメになるとはこの時は分からなかった。
〜現在〜
目を閉じて振り下ろされる斧への覚悟を決める。しかし、鈍い金属音が鳴り響き、刃が体に食い込むことはなかった。
助かった。
そう思って目を開けると双剣を逆手で構える墨浦の姿が視界に入る。
常識では考えられない出来事の連続に、脳はとっくにキャパを超えていた。
「何だよこれ?どうなってんだよ!!」
「説明は後だ。今は逃げるぞ。こっちだ。」
道化師に回し蹴りを食らわせ、動きを止める。無駄の無い一連の動きはさながら職人技だ。
痛みのあまりその場でうずくまる道化師を確認して、全力で駆け出した。
促される通り、新しいオフィスビルに避難した僕達はひとまずの休息を取る。
中央部が吹き抜けになっており、高層ビル特有の込み入った雰囲気はなく、心地良い開放感があった。
窓を眺めると辺りはすっかり日が落ちて、夜の帳が下りてくる時間帯である。
「戦うのは始めてか?なら色々教えてやらないとな。」
僕の右腕を強引に掴み端末に手を触れる。
すると今まで制御できなかったそれが、明るく点灯し始めた。
「まずは、武器を出して、それからURTを有効にしないとな。」
「ゆーと?」
「超能力みたいな物だ。」
端末を覗くと半分近くまでダウンロードの終えたバーが表示されている。
「それが終わったらURTが使えるようになるわけだ。それまでこの武器で頑張れ。」
さっき人が半透明になって消えたのと反対の要領で、黒い大型のアタッシュケースが徐々に浮き出てくる。
早速、開けてみるとその中身に愕然とした。
FPSゲームでよく目にする爆発物の詰め合わせだ。
手榴弾、ワイヤートラップ、指向性地雷、C4爆薬。何だこのラインナップは。
「爆弾か。癖の強いのを引いたな。」
目の前の危険物のリアルな質感や重量感に困惑する僕をよそに、墨浦は至って冷静だった。
「使い方はどうすれば良い?」
「もうお前のここに入っているよ。」
相変わらず真剣な表情のままで、こめかみを指差している。
俄には信じ難いが、それに縋るしかない現状だ。腹を括るしかない。
「この場所を選んだのにも理由がある。俺達なら大丈夫だ。必ず生きて帰ろう。」
「ああ……そうだね。」
多分今日は自分史上最悪の日で間違いないだろう。半ば開き直って、右手に握られた手榴弾に視線を落とした。
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