第1章 手紙 ⑻ 投獄
迫害のことをロシア正教では窘逐という。
私はこうして多くの者に対し、祈ることを勧めてきた。
後でわかったことだが、他と比べると仙台では信者の数が飛躍的に伸びたそうだ。
これは戊辰戦争が大きく影響したと思われる。
西南雄藩の志士が殉国的精神をもって維新を実現したのは認めざるをえない。
かたや私たちは、敗戦で世の中から捨てられたような立場となった。
ならば我々も迫害に耐えて、今度は基督が説く神の国を実現しようというのだ。
そう考えて溜飲を下げた、とも言えるだろう。
だが私は途中で躓いてしまった。
きっかけは……
正直に言おう。明治七年三月、投獄されたのだ。
かねてから反目していた僧侶と口論となり、怒りのままに仏像を屋敷裏に投げ捨てたことを
登米県庁に訴えられてしまった。
―さてしもあるべき事ならねばとて 野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば
ただ白骨のみぞ残れり あわれといふもなかなか疎かなり
されば人間の儚き事は老少不定のさかいなれば誰の人も早く後生の一大事を心にかけて
阿弥陀仏を深く頼み参らせて念仏申すべきものなり あなかしこ あなかしこー
蓮如上人の御文の一節だ。貴女も聞き慣れていることだろう。
私はいまだに諳じることができる。
仏教は、襤褸をまとい苛酷な労働に耐えるしかなかった農民たちの心に安寧をもたらした。
だが、この文言の意味を今一度考えてみてほしい。
あの世のことばかりに目が向いている。
武士はこれに加え、主君のために自己を捨てることが忠誠の基幹であると教えられる。
これでは神の国を実現しようなどという意欲は湧かず、ただ運命に流される人間が増えるだけだ。
仏像を投げ捨てるなど軽率な行動だと今は思うが、当時の私は布教の使命に燃えていた。