第1章 手紙 ⑸ 忘れ形見
生家は、伊豆野城内と呼ばれるところにあった。
近づくと、畑だったところが更地になっている。
玄関から入ると、義母のが読経する声が聞こえてきた。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば
誰の人も早く後生の一大事を心にかけて
阿弥陀仏を深く頼み参らせて念仏申すべきものなり
あなかしこ あなかしこ
「母上、ただ今戻ってまいりました」
仏間に入って両手をつき、帰還の挨拶をした。
ゆっくりと顔を上げると、凝視する義母の視線とぶつかった。
「……お役目、ご苦労様にございました」
義母が袖で目頭を押さえる所作を見たのは初めてだ。
白髪が一層目立ってきている。
還暦を過ぎた割に伸びた背筋は健在だった。
私は、義母と共に仏壇に向かい合掌した。
父の正妻であった義母は子に恵まれず、妾として来た隣村の娘、知佳乃が私を産んだ。
妾をもらうよう申し出たのは義母だった。
家存続を優先するためで、こうした縁組は頻繁に行われていたと聞く。
実母は父の死後、暫くして実家に戻された。よって私は実の父と母の記憶が無い。
「卓三郎。ヤマガの木にも無事の帰還を報告して来なさい」
義母の提案に驚いた。
「……御存知だったんですか?」
義母は、頷きつつ微笑んだ。
「でも、前にあったところには無くなってるでねえですか?」
「嘉助にたずねてごらんなさい」
ヤマガは初夏に白い十字架型の花を咲かせ、秋には甘い実がなる。
私にとってヤマガは、実母、知佳乃の忘れ形見だった。
実家に戻される前日、実母はヤマガの苗を庭に植えた。
「赤子の卓三郎様を前に坐らせて、一緒に土いじりしながら……。
そん時、卓三郎様が鎌で手ぇ切られて、火ぃついたように泣き出されましてなあ。
おおかた、握って遊んどられたんでしょう。知佳乃様は、そりゃエライこと心配
しとられました。
私のせいでこの子が筆を持てなくなったらどうしようと。
こんこたあ貞様にゃあ内密にしで下せえよ」
私の左手の親指と人差し指の間には一寸ほどの傷痕がある。
幼い頃、その時の話をするよう私は何度も嘉助にねだったものだ。
十間ほど登った裏の丘にヤマガの木は植え替えられていた。
迫川氾濫の被害を避けるためだったらしい。
丈は七尺ほどにもなり、灰褐色の枝から伸びた葉は紅葉が始まっていた。
私は嘉助と共に、ヤマガの前に立った。
「雪囲いすんだったら手伝うべ」
「いんや、でかくなったがら大丈だあ。このまんま来年も、実ぃつげるにちげね」
確かに、枝ぶりも葉も大きくなってきている。
「成長なさいましたな、卓三郎様も」
嘉助がこちらを見上げている。微笑もうとしている目が赤かった。
「そうがぁ?」
急いで迫川の流れに目線を移した。
懐かしい古里の光景は、前より少し小ぢんまりとして見えた。