第1章 手紙 ⑶ 生きてやる!
すぐに一斉射撃が繰り出され、足元の石にいくつもあたった。
そのたびに石片が飛んでくる。だが一人じゃない。心に力が湧いてくるのがわかった。
黒煙に紛れて、町はずれの農家の屋根裏に身を潜めた。
土壁にわらじが掛かっている。
私は小躍りしたいような気持ちでさっそく履き替えた。
「隊長だ!」
隙間から外を警戒していた辰蔵に促され、私も外を見た。
牛小屋の前を小走りに通り過ぎた男は、紛れもなく瀬上様だった。
次の瞬間、私達は顔を見合わせた。
瀬上様は丸腰で、しかも粗末な農夫服を身に纏っていた。
身分を誤魔化して逃げ失せる気なのだろう。
「俺は必ず、これをあいつのお袋に届ける。そうでもしないと……」
辰蔵は、帯に挟んだバチを握り締めた。
私は死の直前の良輔の表情を思い出した。
そうだ! 良輔の口は確かに「はは、う、え」と動いた。
「俺がだめだったら、おまえがやれ!」
「お、おう」
深く考える前に頷いた。
辰蔵が耳の後ろを掻きながら、うろうろしている。
「暗くなるまで、ここに隠れてたほうがいいんでねが?」
「いや、棚倉街道まで出たら、桜町を守備していた味方が引き上げてきているかもしれない。
合流したほうがいい」
「いなかったら?」
「その時は川を渡って会津街道まで走る!」
土壇場でも状勢を客観的に判断する辰蔵に驚いた。
癪だが、ここは辰蔵の考えに従おうと思った。
数軒離れた所では略奪が始まっているようだった。
大八車で土蔵の入り口を破ろうとする掛け声が聞こえる。
私達は小屋を出て、豆畑の中を這うように進んだ。
なにも遮るものがない所に来ると、意を決して武家屋敷の通りを駆け抜けた。
異常に切り刻まれていたり、首のない死体があちこちに横たわっている。
中には女の死体もあった。
飢えた敵兵の餌食になったらしく、ほぼなにも身につけてはいなかった。
番士小路を抜けると、津島神社の鳥居が見えてきた。
前を味方らしい数人の兵士が歩いている。
手招きするので近づいてみると……敵だった。
あろうことか辰蔵は、敵にさらに近づいていった。
何ごとか語りかけ戻ってくると、「これから神社の境内で切腹するぞ!」と叫んで
私に目配せしてきた。
刀を捨てさせられ、銃を構えた敵の前を歩かされた。
切腹を見届ける気らしい。
階段下の石灯籠まで来た時、辰蔵が「逃げろっ!」と叫ぶと同時に素早く屋敷裏に
飛び込んだ。
私も必死に続くと、敵は「この、賊野郎!」と叫んで乱射してきた。
屋敷裏をどれだけ走り抜けたかわからない。
途中で辰蔵が振り返って、「馬鹿ッ! ついて来るな!」と叫んだので脇道に入ると、
別の敵兵が構える銃口に出くわしてしまった。
ズキューンという発射音と同時に、左腕が燃えるのを感じた。
次の瞬間、目の前の敵兵が呻き声と同時に、崩れ落ちるように倒れた。
辰蔵が横手にまわって、背後から刺していたのだ。
肩の痛みに耐えかねてうずくまっていると、目の前にコロコロとバチがころがってきた。
見上げると辰蔵が塀の内側に身を隠し、倒れた敵兵の銃を奪って弾込めをしている。
「行け! すぐ川だ!」
白い歯が、また見えたような気がした。
バチを掴んで帯の内側にねじ入れ、せせらぎの音がするほうへ走った。
富士見山が迫るように見え、その手前を阿武隈川が流れている。
川岸のあちこちで白刃が煌めき、双方入り乱れての戦いが続いていた。
私は切り立った崖の上に立った
水の流れは穏やかだが飛び込むのを躊躇していると、後方から敵が斬りかかってきた。
振り向きざま脇差で応戦したが耐え切れず、押し負かされてその場に倒れた。
だがその敵兵は「まだ、子どもたい」と呟くと、構えていた剣を下ろした。
「せ、仙台藩士、千葉卓三郎……」
ふらついて立ち上がりながら、絞り出すように言った。
「なぜ名のる?」
「殺す相手の名くらい覚えておけ」
陽が男の顔を照らし出した。
鼻筋がとおっていて下唇が小さい。
犬のような瞳が私をもの珍しげに見ていた。
男の後ろから、さらに敵が数名走って来た。もう助かる見込みはない。
妙に静かな気持ちで川風が顔を撫でるのを感じた。
「なら俺は井上多久馬だ。熊本藩士。ばってん、忘れてよか」
言い終わらぬうちに男は両手で私の上半身を強く押した。
ぐらついた私はさらに突かれて川に落ちた。
着水時、したたかに水を飲んで激しくもがいた。
だが楽になると、しバラくそのまま流された。
川中の石に袴がからんで踏んばると川底にあたった。
濡れた服が体にまとわりついてくる。
その重みで自分はまだ生きているとわかった。
あいつは私を助けたんだ。
流れのゆるいところを選んで対岸に渡り、崩れるように草地に身を横たえた。
朱色に染まり始めた空を鴫の群れが飛んでいる。
城下からはまだ砲声に混じって、狂ったような叫び声が聞こえていた。
脇を探ると、さしていたはずのバチがない。
川の中に落としてしまったか、それとも……と崖のあたりを見て愕然とした。
辰蔵が後ろ手に縛られて、敵の前を歩いている。
崖っぷちに立つと、そのまま跪いて頭を前に垂れた。
敵が太刀を振り上げた。
辰蔵の首に向かって振り下ろされる寸前、私は走り出した。
走って走って叫び続けた。
「生きてやる! くっそおー 生きてやっぞ!」