第1章 手紙 ⑵ 白河の戦い
林の中間に大砲をすえつけ、左右に枠木を打ちこんで横に丸木を渡す。
それに畳を二枚ずつ重ねて胸壁とし、銃を構えた。
正面に合戦坂を見下ろし、右手に南湖、左手に城下を見渡すことができる。
こうした態勢をとって4日が経とうとしていた。
五月一日 早暁
筋雲の間から薄紫の光が射し、南湖の輪郭が徐々に浮かび上がってきた。
ろくに睡眠はとれていない。銃を構えつつ頭は朦朧としていた。
薩長の奴らが腰砕けで兵を引いてくれればいいのにと、祈りにも似た思いがよぎった時だった。
草をかきわけながら、走って来る伝令の姿が見えた。
「敵が、合戦坂に向かって来ておりやす!」
隊長の瀬上様が直ちに吠えた。
「位置につけい!」
瀬上様こそは世良暗殺の立役者だった。
そんな隊長の元で戦えることを、私はどんなに誇りに思ったかわからない。
木にもたれかかって休んでいた良輔が、飛び起きて持ち場についた。
「目にものみせてやる時が、きたようじゃな」
瀬上様は刃を抜いて顔前にかざし、刃先をなぞるように見た。
手が小刻みに震えている。
「弾込めい! よいか! 必ず、打ちのめしてくれる!」
瀬上様の上擦った声が響いて、銃を持つ私の腕もぶるぶると震えた。
敵がアリのように続々とやって来るのが見える。
「もっと腰を低うせんかっ」
瀬上様が兵士の背を峰打ちしながら、うろうろしている。
「まるで、サカリのついた熊だな」
声のしたほう見ると、銃を構え直す辰蔵と目が合った。
水鳥が一斉に羽ばたく音がした。
銃声と共に敵兵の雄叫びが近づいてくる。
良輔が太鼓の枠の部分を、カ、カ、カと細かく打ち始めた。構えの合図だ。
瀬上様の顔が夜叉の如くに変わった。
「撃て!」
高く掲げられていた白刃が振り下ろされると同時に、ドンドンドンと太鼓が鳴り響き、一斉射撃が始まった。
私は心臓の激しい鼓動で的が定まらず、目を閉じたまま引き金をひいた。
からだ全体に衝撃が広がった。
すぐに胸壁に身を隠し、次の弾を装填する。
私達に配られたのはゲベール銃だった。
薬包を噛み切って銃口から装薬を入れ、弾丸を落とす。空になった薬包は銃口から詰め、槊杖で軽く突き固める。
さらに火門座に雷管をはめ、撃鉄を全部起こして発射可能となる。
最初ブーンという音に聞こえた敵の弾は、シゥッという音に変わっていった。
発射地点が近づいてきている。
もう躊躇する暇などない。
夢中で弾を込め、敵がいると思われるほうに向かって、がむしゃらに撃ちまくった。
半時を過ぎる頃には城下一帯に黒煙が上がり、生臭い風が斜面伝いに吹いてきた。
敵はさらに接近してきているらしい。弾は音もなく耳元をかすめていく。
竹藪に撃ち込まれた銃丸は、ガラガラと物凄い音をたてて竹から竹へ跳ねまわった。
地面に突き入った砲弾は爆裂音と共に石を粉砕していく。
畳の胸壁は、すぐにずたずたになった。
硝煙で、ろくに顔も上げられない。私は咳込みながら、わずかな窪地に身をかがめて弾込めをした。
目の前の兵士に銃弾があたった。
体が後ろへふっ飛び、口から血を噴いている。横には、うつぶせに倒れてピクとも動かない者がいる。
この間も弾は雨霰と降り注いできた。あちこちで断末魔の呻き声が上がっている。
介抱する者など誰もいない。
瀬上様は士気を鼓舞する怒声を上げ続けている。
私は装填を終え、次の射撃体勢に入った。
その刹那、味方の兵士数人が銃を捨て、叫喚の声を上げながら敵に向かって突貫して行った。
かざした白刃に陽光が煌めき、袖が風にふくらむ。
次の瞬間、敵から集中射撃を浴び幾筋もの血しぶきが上がった。
続いて四、五人がまたも抜刀して敵陣に向かって斬り込んでいった。
「やめろ!」という瀬上様の叫び声が後を追ったが、結果は同じだった。
味方の無残な死を目の当たりにして、今度は持ち場を離れて逃げだす者が続出した。
瀬上様は刀を握りなおすと、逃げる者たちに猛然と斬りかかっていった。
無茶苦茶に振り降ろされたうちの一太刀は、背後から良輔の首を切り裂いた。良輔は恐怖に耐え切れず、太鼓をさげたまま走り出していたのだ。
「逃げる奴は、儂がたたっ切る!」
かえり血を浴びて仁王立ちになった瀬上様は、地獄の使いそのものだった。
「申し上げます。立石山が陥落した模様です。参謀の坂本様がここは一時、城まで退却せよと」
稲荷山陣地からやって来た伝令の言葉も、今の瀬上様には何の意味もなさなかった。
「さに及ばず。我が隊はここで敵をくい止める!」
我先に退却しようとする兵に、瀬上様はなおも斬りかかろうとした。
その腕を、伝令が羽交い絞めして止めている。
あとずさりして良輔の元へ駆け寄った。
辰蔵が既に良輔の顔を覗き込んでいる。
首から肩にかけて夥しく出血しているにもかかわらず、良輔は右腕を震わせながら胸の上で何かしようとしていた
指に引っかかって出てきたのは、血に鈍く光る十字架だった。
口を動かして何か言おうとしているが、よく聞き取れない。左手はバチを握ったままだ。
「持ち場に戻れというのがわからんか!」
もはや叫びだった。
伝令の手を振りほどいた瀬上様は切っ先をこちらに向けた。
辰蔵が良輔の手からバチをもぎ取って走りだした。つられて私も走った。