第1章 手紙 ⑴ 雷神山の夜
広田はるぢ殿
私は千葉卓三郎といい、貴女の父隆友殿の従弟にあたる。
養女の件は父君から聞き及んでおられるだろう。
面識ない者の娘になるのは、戸籍上のこととはいえさぞ心もとないと思う。
だが、私はかつて一度だけ貴女と会ったことがある。祖父栄之進の葬儀の時で、貴女は確か二歳。
私とてその時はやがてこのような事になるとは夢にも思わず、母君に手を引かれていた貴女をぼんやりと記憶しているだけだ。
すると今年は十八歳。さぞ大人びてきておられることと思う。
是非とも再会した上で、私の養女となってくれるよう依頼したかった。
だが残念ながら私に残された時間は少ない。
しかし、貴女に広田姓を捨てて千葉姓を名乗ってもらうからには、私について知らせておくことが義父としての責務であると思う。 ゆえにこれを書くことにした。
改めて筆を取ると、どの時点から書きだせば良いか迷うものだ。しかし、やはり、あの戦の話だけは避けて通れないと思う。
私は嘉永五年、陸前国白幡村に生まれた。
父、宅之丞は仙台藩士の格の中では最も低い組士の身分だったが、生後すぐに亡くなったため記憶にはない。
十一歳から、藩士の子を受け入れる養賢堂で学んだ。戊辰戦争が起こったのは十六歳の時だ。
藩主伊達様は新政府側から会津征討の命を受けていたが、むしろ会津救済に積極的だった。
よって奥羽では戦乱は起きないだろうというのが大方の見方だった。
しかし新政府軍参謀の世良修蔵が仙台藩士らにより暗殺されたのを機に、事態は開戦へと向かう。
世良は伊達様に対して非礼な態度を取り続け、会津藩が恭順の意を示した嘆願書も紙屑同然に扱ったそうだ。
以後、養賢堂における調練が急に厳しくなり、藩士子弟はひと月足らずで実戦に送り込まれた。
私は急激な身の回りの変化に戸惑いはあったが、出征を志願するのは至極当然と思われた。
強制されたという感情は微塵も無い。私のような地位の若輩者は疑念を抱くことすら不敬であると信じていた。
要するに選択肢など無かった。
慶應四年閏四月
陸奥国白河口を攻略しようとした新政府軍は会津軍に撃退され、南の白坂まで退却していた。
二十六日、私の属する隊は白河へ到着。会津軍に合流して城を背に直ちに陣を敷き、敵の再来に備えた。
農作業用のあバラ屋で仮眠をとっていると、隣に寝ている者の肩が小刻みに震えているのがわかった。
時折、鼻水をすすり上げる音がする。反対側に向きを変えたが、相変わらず振動が伝わってくる。
しゃくりあげて咳込む音が聞こえたところで我慢できなくなった。
「うるせえっちゃ! 泣ぐな!」
ところが嗚咽はかえって激しくなった。
私は、隣でむせび泣く岩田良輔に掴みかからんばかりに起き上がった。
「泣かせてやれ、卓三郎。十四になったばっかだっちゅうじゃねえか」
柏木辰蔵の声がした。壁際に坐って膝を立てたままこちらを見ている。
「武士らしぐねえ! 十四でも志願しで来たんだべ!」
辰蔵の肩が小刻みに動いた。笑っているらしい。
「本気で志願したと思ってんのか?」
「仙台藩士として戦うのは当然だべ。薩長のやつらに義はねえ」
「あいつらにはあいつらの義がある。義なんてのは所詮、上に立つ者に都合良く作られてるのさ」
「なら、おめえはなんでここにいんだ?」
「そうするしかなかったからさ。おまえと同じだ」
柏木辰蔵は私と同じく養賢堂で学んでいたが、同じ隊に配属されて初めて知った。
江戸訛りで目立っていた。父が江戸定詰めをしていた時に生まれ、育った故らしい。
父の名は茂庭元敏。組士より三階級も高い太刀上の地位にあり、柏木は養子先の姓だった。
先祖を辿れば一族と呼ばれる仙台藩重臣の家系に行きつく。
ひとつ年長で精悍な顔立ちをしているが、時折、斜に構えた狡そうな笑みを浮かべた。
総じて私は、この男が苦手だった。
ブーンと虫の羽音がした。
と思うと、辰蔵は目にも止まらぬ速さで手を動かし、虫を掴んだかと思いきや、ギュッと握って傍らの地面に投げ捨てた。
「見えて……たのが?」
「当たり前さ」
「馬鹿にしてんな! でもどうせ、明日は……」
言いかけて筵を頭から被った。
「ハハハ、自信たっぷりに言われると、そうかなと思うだろ。それも周りが繰り返して同じことを言おうものなら、聞かされてるほうはそれを信じるようになる。若けりゃなおさらな。そうやって、俺たちゃ今ここにいるってわけさ」
「お前に言われなくてもわかってっぺ!」。
むしゃくしゃして小屋を出た。
陣は城から見て東側の雷神山山頂に敷かれていた。
西には稲荷山、さらに立石山があり、それぞれ同盟軍の砲台が築かれ篝火が揺れている。
住民は逃げ出しており、城下には漆黒の闇が広がっていた。
月明りでようやくそれと認識できる小高い山の向こうに、敵が潜んでいるはずだった。
「静かだなあ」
振り向くと、辰蔵が斜め後ろに立っていた。
「おまえもこっちに来いよ」
辰蔵が手招きした先に、良輔が柱の陰に隠れるように立っていた。
やって来て並ぶと、良輔の小柄な体が目立つ。
良輔は太鼓役を世襲する家の出で、この戦でも隊の進退の合図を知らせる役目を担っていた。
私は、陣太鼓にも押(行軍)・攻(出撃)・懸(敵陣へ突撃)・備(陣形の再編)などいろんな打ち方があることを、良輔と出会って初めて知った。
「勝ち戦を知らせる時の太鼓の打ち方、あるんだろ? どうやって打つんだ?」
辰蔵の問いに良輔はしばらく記憶をたどっていたようだったが、顔を上げると「そんなのねえ」と呟いた。
「無い? じゃあ作ってくれ、今、ここで」
私は、辰蔵が何を言い出したのか意味がわからなかった。
言った当人は暗がりの中、腰をかがめて何か捜し始めている。
「だども……」
良輔は戸惑った様子だったが、少し下った所から辰蔵の「おーい」と呼ぶ声が聞こえて結局私とふたりして降りて行った。
「この岩が太鼓。それからこの枝がバチ」
辰蔵からホイと渡された二本の太めの枝を、良輔は落としそうになりながら受取った。
私は戸惑ったが辰蔵がさっさと坐って聴く態勢をとっているので、それにならった。
良輔はしばらく枝を見つめていたが、「よし!」と軽く気合いを入れると、足を大きく前後に開き、両腕を右斜め上に目一杯振り上げたかと思うと、渾身の力を込めて連続的に枝を振り下ろし始めた。
コツコツコツ ココン カカカカカカカ
コツコツコツ ココン カカカカカカカ……
木で石面を叩く乾いた音が、暗闇に広がっていく。
良輔は猛る如く「太鼓」を打った。間欠泉が熱湯を吹き上げるように……。
ひとしきり打ち終えると、良輔の呼吸は少し荒くなっていた。
「ほぉ! 祭りの時の打ち方でも思い出したんじゃないのか?」
「つぐった! 今、つぐったさ!」
辰蔵の冷やかしに、良輔は少しムキになったようだ。
「ようし、そんじゃなあ、今の打ち方、名前決めたぞ。雷神だ」
「そりゃ、ここん山の名前でねえが……」
「だからいいんだ、忘れない。良輔、この次は本物の太鼓で聴かせてくれ。陣太鼓のあんなちっせえやつじゃなくて、こんなでっかいやつでな」
辰蔵は立ち上がると、両腕を大きく広げて見せた。
「うん! うん! 雷神!」
良輔が頷きながら笑みを浮かべている。
養賢堂に通いはじめて六年。
蘭学・ロシア語から操銃術にいたるまで、私は誰よりも高成績を上げている自信があった。
だが辰蔵は、私に欠けている何かを持っている。
並んで城下を見下ろした。
このまま夜が続けばいいのに……心からそう思った。