進んでいく人たち
1990年夏の終わり。
かなゑ家の長女、かなゑ悠里が警察署にて自首。
榎本家バラバラ殺人事件の犯人として逮捕。
かなゑ家からは、事件に用いられたとされるノコギリ、ナイフが発見された。
「お姉さま、嘘・・・」
「いいの。大丈夫。またすぐに帰ってくるわ」
いつもの屈託のない笑顔だった。
【大地主と村長の関係とは一体!?】
大地主で、今もなお全国に不動産業を営み、存在感を表しているかなゑ家。
そして、村長などを歴任している時守家。
両家には古くから確執があったと伝えられている。
それが特に顕著だったといわれる年代。この年は高度経済成長期であった。
隣の地区で製紙工場が立ち、人が多く勤めることになり、この社木地区にまで人が移住しはじめてきた。
そのため今よりも人が多く、住宅が増えていた頃、
かなゑ家はこの地区内で大規模な団地を作ろうとしていた。
しかし、その団地のためには、土地を切り開かなければいけない。
だが、時守家はそれを許そうとはしなかった。
切り開く土地の中に、古来から位置しているという神社が含まれていたからだ。
その名は「社木神社」
社木神社には古来からの文化が脈々と受け継がれている場所。
そんな場所を壊すことは、必然的に社木村の存在を壊すことになる。
時守家はそう考えて、かなゑ家のバッシングを強めた。
かなゑ家の家に石を投げつけたり、かなゑ家の長男に悪い噂を流したり・・・
そんな中、かなゑ家は時守家に対して書簡を送ったという。
その手紙の内容は謎だったが、それ以降時守家によるかなゑ家に対するバッシングはなくなったという。
また、その後に地区内の祭りが行われた際に、かなゑ家が以前より高額の出資をしたということが村役場の資料で判明した。
しかし、表面上は関係が修復したといっても、まだ地域でのしこりは残っていたようで、かなゑ家は今後一切の村内での土地開発は行わなくなったという。
【事件】
1972年、5月13日。
少年が行方不明になっていることが地元警察によって分かった。
名前はかなゑ光昭。身長174㎝。年齢は15歳。
近隣住民からの証言によると、隣町の学校から帰宅する際にさらわれた可能性が高い。
それにより、12日末から捜索が続けられている。
「パタン」と新聞の切り抜きが挟まっているアルバムを閉じた。
「私は、あなたの代わりじゃなかったのね・・・・・・」
彼女は一言、口にして、部屋を出た。
【自己啓発セミナーの悪夢:1990年特別号にて】
このところ、割と盛り上がっている自己啓発セミナーの話題。
しかし悪い話題もそれに比例して出てきてしまっている。
都市部で急速に拡大している自己啓発セミナーは、最近の好景気の裏腹に潜む
心の貧困の解決を求める人で賑わっているようだ。
そんなことで我々は、自己啓発セミナーとは何なのかという事を知りたく、とあるセミナーの団体にお邪魔した。
「こんばんはー」
受付の男性がにこやかに挨拶をした。
「こんばんは」
一見して、雰囲気としては宗教色は見えなさそうだが、果たしてどうだろう。
「今日はセミナーの会長にお会いしたく、来たのですが」
「はて?セミナーとは」
「えっ?セミナーやってないんですか?」
「ええ。そういったセミナーはここではやっていませんね」
どうやらその自己啓発セミナーを調べたところ、二ヶ月前に会長が不慮の事故で死亡、それから空中分解してしまったということだった。
このセミナーは以前から過激的な言動で一部マスコミが注目している団体で、解散した今は「会員」の所在、数は不明となっている。
最終的に彼らを救うのは国家権力、それとも彼らが「信仰」する会長なのか・・・・・・。
「うーん、田舎だなあ」
月間アトランティス、あの部下はついに社木地区に到達した。




