「僕」
早朝、僕はゲーム機を取りに家に戻った。
和美ちゃんの部屋に小さなテレビがあったから、たぶんゲームもできるだろう。
もう一台テレビも持ってこようかと思ったが、重いのでやめた。
玄関を開けると、古い家の匂いがした。
少し前は僕の家だったところ。まだ僕の家財道具も服もあるはずなのに、不思議な感じがした。
郵便受けになにか手紙が挟み込んであった。
あの時と同じく、ハトの形をしたロウ。
これは・・・、これは・・・。
忘れろ、忘れろ、あの時みたいに、忘れろっ!
忘れる、できない、なぜだ、できない!
忘れろ・・・。お願いだから・・・、僕を思い出させないで・・・。
年、僕は生まれた。
小さいころ、暖かい公園でブランコをゆらゆらと漕ぐのが好きだった。
3人揃っての記憶はなかった。唯一物心がつく前の記憶はそのブランコの記憶だけだった。
5歳の頃に僕は諜報組織に入った。「国営諜報機関TERRA」。
子供スパイの募集とのことで、組織でのお父さんの立ち位置ゆえに僕も徴用されたのだろう。
友達もたくさんできた。諜報員としてのきつい練習もうけたが、紛いなりにも僕は小学生らしい生活を送っていた。
ただ、それもつかの間の幸せに過ぎなかった。
ソ連との冷戦が終わりそうになるとき、ソ連のスパイが日本に入国するということが発覚した。
目的は在日アメリカ軍基地に配属されていた秘密の核ミサイルの情報を盗み出すこと。
情報が渡れば、あわや核戦争になってしまう。
それゆえ、任務は絶対に成功しなければならない。
この日本、いや、この地球が核の炎に侵される心配があるのだ。
あれは冬の小雪がちらつく時だった。前日に大雪が降り、
私たちは雪遊びをしたいと寮母さんに頼んだ。しかし、許してはもらえなかった。
仕事が入っているという案件が入ったからだ。
港にスパイが来襲するということで、友達と一緒に任務を受けることになった。
「私たち、初めての仕事だね!」
よろこびを隠せずに、貴美子ちゃんは笑顔になった。
今までのきつい練習の成果が発揮できるなんて、これ以上うれしいものはないもの。
やっぱり任務は楽しい。
「うん!」
普通車に扮した軍用車のなかに入れられ、
防弾チョッキを配られた。
そのチョッキから一本の紐が伸びていた。
「これは?」
「敵に囲まれたらこの紐を引け。防犯ブザーの代わりだ。助けにきてやる」
「ありがとうございます!」
そして私たちは冬の寒い中、港の倉庫に隠れて、敵のスパイがやってくるのをじっと待っていた。
「来たよ!」と仲間の一人が耳打ちし、私たちは銃の安全装置を外した。
確かに耳をすましたら、モーターボートのエンジン音で海が波打つ音がはっきりと聞こえた。
「みんな、バラバラになって。敵はそんなに多くはないはず。しかも、今回は助けに来てくれるんだから、行くよ!」
「一人も死なないように!恵美ちゃんのように、ならないように!」
みんながゴクリとつばを飲み込む。
もちろん私だって怖い。死ぬのは、怖い。
沈黙の時間が流れた。誰も物陰から飛び出さない。
先陣を切って私が飛び出した。
後についてみんなも飛び出してゆく。
手を振って解散した。
ピピーッという笛の音が。銃撃戦が始まったのか。
しばらく続いた後、ズドン!という重苦しい響きが聞こえた。
敵の手りゅう弾か!
火の子がぱちぱちと飛んでくる。
避けようとしても敵に阻まれていけない。
もし三つ以上手りゅう弾を持っていたとしたら?
「うわぁー!」という断末魔を聞こえた。大人だ。
最大でも残るは4人、こっちは、最大でも7人。
勝てる。
またズドン、と響く。
敵の手りゅう弾か。
物陰に隠れ、敵の動向を探る。
トランシーバーに通知が入った。
「麻耶ちゃん、こちらは敏。見える限りだと敵はあと3人。いけるよ」
「ありがとう。私も探ってる」
ズドン、ズドン、それとともに敵の断末魔。
おかしい、自爆なんて無茶なことをするか?
ドンッ!
裏で爆発が!
何か飛び散ってる・・・。
うわあああああああああああああ!!!!!!!
「大人の顔」が私の元に飛び込んできた。
敵の顔、また自爆だ。
おかしい。私たちは手りゅう弾をもらっていない。
だから自爆だと思っていた。ピンを抜く。ピン、あの防犯ブザーは!
すぐさま爆発が起こったところまで走って、私は目撃してしまった。
死んだ人の顔は、とてもきれいな顔をしている。
何もかも忘れて、楽になった顔。
うらやましい、私も、私も楽になりたい。
間髪入れずに回、爆発音が聞こえた。
皆、死んでいく。敵の断末魔もそれにつられて微かにだが聞こえた。
大人を信じてるんだ。それで死んじゃうんだ。
スパイなんてそんなもんなんだ。
ただ目標に従う存在なんだ。
味方に騙されてまで、その作戦を遂行しなくちゃいけない。
敵が私の前に立ちふさがった。ピンを抜いた。これで楽になれる。
爆発、しない!私は楽になれることすらできないのか!
敵が少し離れたところに逃げた隙にコンテナの陰に隠れる。
その後、最後の爆発が聞こえ、事態は収束した。
へなへなと腰を抜かしたまま終わってしまった。
ポン、と肩をたたかれ後ろを振り向いた。
「お勤め、ご苦労であった。さあ、本部へ戻ろう」
呆然と立ち尽くしたままの私を連れて、車に押し込められ、本部への道を急いだ。
嘘と欺瞞にあふれるこの組織。
私はいつ、この組織から逃げられることができるのだろうか。
逃げたい・・・、逃げたい・・・、逃げたい・・・。
「1985年12月15日午後9時45分、横浜港にて爆発。
近くにいた小学生ら5人は病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認されたそうな」
「とのこと。しかし、囮としては成功したよ。子供に対しては誰であっても心を広げる。まさしく囮として最高の存在さ」
「事前に諜報機関がこんな計画をまんまと。それが敵はまんまと乗せられてしまったのさ」
「まぁ何はともあれ作戦は成功だ。この件について、唯一の生存者とともに祝おうではないか」
「しかも前面で指揮をとって早く決着をつけてくれた・・・。君は緊急時に頭が回る才能があるみたいだな」
「それにしても、君だけが生き残ったのにはなにか理由があるんじゃないかな?ううん?」
角ばった男性が私に話しかけた。
にやにやとうすら笑いを浮かべている。嫌な人だ。
「わかりません」
「まったく、ここは小学校じゃないんだから」
「お父さんはさぞ心配だったのだろう。偽物の爆弾を仕込んでそれを娘に渡すなんて」
「まぁいい、彼はあとで更迭する形で収まった。君も死なずに済んだ、全てが丸く収まったんだ」
「次も、よろしく頼むよ」
私は友達を見捨てた存在だ。裏切ったんだ。
それなのに、褒められている。友達がみんな死んじゃったのに、褒められている。おかしな話だ。
でも僕は、それを受け入れている。ジュースを片手に受け入れているんだ!
私はオレンジジュースを飲めなかった。これを飲んだら人として終わる。あの連中と同じになってしまう。
私は変わる。
だから長い髪を切った。
私は変わる。
だから僕は僕と名乗った。
僕は変わる。
だから・・・。
はっ。
ここは1985年でもない、1990年だ。
ソ連との冷戦も終わり、この組織も解体、縮小されるようになった。
だから、この手紙ももう送られることはないと思っていた。
震えた右手を左手で抑え、手紙を抜く。
ロウを破り、真っ白な便箋を見る。
マル秘マークが端に印字されていた。
視界の焦点がこの手紙に合わせないようにしている。
本能的にこの手紙は「イケナイ」と示していた。
太い明朝体で「森和美 殺害命令」
あぁ、やっぱり!やっぱりろくでもない内容だ。
嘘だ、なんで僕の一番の友人を殺さなきゃならないんだ!
目を落とすと、また文章が現れた。
「なお基本は銃を用いて殺害すること。銃は後に郵送される」
馬鹿な、そんなことはありえない。いや、あってはならないんだ。
こんな銃規制が厳しく敷かれた日本において、銃を使って人を殺せ?
ちゃんちゃらおかしい。おかしすぎる!
しかし、この赤い鳩のロウは、ただの冗談で済まないことを物語っている。
僕は手紙を地面に叩きつけ、足で踏みにじった。
「クソっ、クソっ!!」
何が命令だ!そんなことをして何があるんだ!!
そうだ、いつも命令にはまっとうな理由は存在しなかった。
ただ、行動を示すだけ。知らないことが多すぎる。
ここに来た理由も、こんな殺害のために来たのなら、僕はもう今からでも帰りたい。
すべてを忘れて、あの何もない病院の生活に戻った方がまだましだと思う。
引越しの時から、おかしいと思っていた。
やっぱり、なにか、ことが起こり始めているんだ。
僕の知らないところで、第二の冷戦がまた、始まろうとしているんじゃないのだろうか・・・?
共産圏ではない、また別の組織と表ざたにならないようにたたかう。
そのために、和美ちゃんを殺さなければならないような事になってしまっている。
それが、ここ社木地区での現実。
現実は常に過酷だというけれど、こんな話はひどすぎるんじゃないだろうか。
どうか、この世に世界を司る存在がいるのなら、僕を、この社木地区、いや、この地球を一からやり直してほしい。
そうだ!やり直すんだ。0から。人類がかたちつくられる前から。
そうすれば僕も・・・。




