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あきまだき

作者: 深町 曾子

 ――目が覚めるような夢でした。


 ガードレールに腰掛けたまま出来る暇潰しって何があるだろう。一人で出来るというのは最低条件で、一切の道具を使わないものが良い。長い間楽しめるものだと尚良い。そんな魅力溢れる暇潰しが今の私には必要だ。

 必要は発明の母と言うけれど、必要がいつでも発明を生んでくれるかと言われればそうではない。現に私は、必要が産気を催さなくて退屈を持て余している。

 ああ、でも必要というのは必ず要ると書くのだから、死活に直結するくらい差し迫ってないといけないのかも知れない。なら、思いつかなかったところで退屈が続くだけの私には、魅力的な暇つぶしは必要ないということになる。それは困った。退屈で死んでしまう。

 そもそもガードレールに座ったままという条件が厳しい。ここまで行動を制限されると出来ることも絞られてくる。精々私に出来るのは、振り子よろしく足を揺らすことと、思い出したように焦点を合わせて空だったり足元だったりを見ることだけだ。言うまでもなくその間、頭の方は暇潰しの方法を考えることに尽力している。

 そうやってガードレールの上でどのくらい無為な時を過ごしたのか。気が遠くなるくらい長い時間な気もするし、あるいは思うよりずっと短い時間しか経っていないということもあるだろう。時計を持っていたら。あるいは誰かに訊けたら。ちらりと浮かんだ考えとは裏腹に私は身一つで、目の前の道には一台の車も通らない。というよりまず人影がない。

 もし、お尋ねしますが、私は一体どれくらいの間ここで暇を持て余しているのでしょうか。

 誰かが居たとして、こんな馬鹿げた質問は出来ないし、されるほうもいい迷惑だろう。答えようがないのだから。もし、仮に、万が一、縦んばぴったり正しい答えが得られたって、退屈であることに変わりはない。そう思うと、ふと湧いた疑問はたちどころにどうでも良くなった。

 再三にわたって「暇だ」「退屈だ」と嘆いているくらいなら、さっさとどこかに行ってしまったほうがよっぽど賢いと私も薄々は気が付いているけど、それでもこの場所を離れないのには一応訳がある。

 人を待っているんだ。たぶん。

 当事者のくせに「たぶん」とは我ながらいい加減だと思うし、私だってはっきりさせたいところだが、待ち合わせの約束をした覚えがまるでないから断言のしようがない。

 ただ、ここで待っていれば誰かが逢いに来る。そんな漠然とした予感が錨となって私の腰を重くしている。


 これが夢だと感付いたのはどうしてだろう。

 いつの間にかこの場所に居たからだろうか。

 座りっぱなしでもお尻が痛くならないからだろうか。

 ちっともお腹が減らないからだろうか。

 思い当たる節は探せばいくらでもあった。

 でも、一番の理由はやっぱり、

「こんにちは」

 私の待ち人が、初めから居たかのように隣に座っていたからだと思う。


 急な声に驚いて目を向けると背の高い女性が私を見下ろしていた。自然のうちに持ち上げた視線を緩やかに下降させていくと、黒いベールで覆われた顔と全身を包む真っ黒いドレス。夕映えに染まった彼女の出で立ちは、全く景色から浮いていた。

 魔女みたい、という感想を抱いたのは直感に近かった。私の知っている魔女のイメージとは少し違ったので何がそう思わせたのかはわからないが。

「よく待っていたね。えらいえらい」

 魔女はそう言って、しょっちゅう男の子と間違われる私の短い髪を撫でる。

 冷たい手。だけど他人の体温には違いなくて、ずっと一人だったせいか妙に安心できた。もう幼い子供じゃないというのに。

「ごめんね随分待たせちゃって。じゃあ行こうか」

 魔女は私の小さな手を取ると、恭しく片膝を付く。

 どこに行くの。

 そんなことは尋ねもせず、私は散々揺り動かした足で大きく反動をつけて、ガードレールから飛び降りた。


 アスファルトに着地するはずだった両足を待ち構えていたのは、それとは違う柔らかな感触だった。訝しんで顔を上げると、動くことを忘れている太陽に照らされた芒が一面に広がっている。共に無聊をかこったガードレールや、まるで役目を果たしていなかった道路は跡形もない。

 さようなら、悪くなかったよ。

 などと心にもない別辞を胸の中で贈りながら、きょろきょろと周りを見回していると、くつくつ笑う声が聞こえてきた。

「驚いた?」

 問いかけにこくりと頷く。急な瞬間移動には流石に面食らった。

「こっちの方が気に入るかなって思って」

 魔女はベール越しでも分かる病的に白い肌に、茜色を溶かしながらまだ笑っている。

 私もそれに笑顔で返す。さっきまでの場所とは違い、ここはなんだか懐かしい感じがして好かった。

「さ、おいで」

 計らいの具合を悪くないことを確かめると、魔女はゆっくりと歩き出した。何処何処へ行くという話は魔女の口からは語られない。私もまた訊く気はなかったので、手を引かれるまま後を付いて歩く。

 芒は盛り時らしく私よりも背が高かったけれど、魔女はそれを物ともせず踏み倒していく。おかげで進むのに苦はなかった。

「寒くない?」

「疲れてない?」

「足は平気?」

「眠くない?」

 道中これといった会話はなかったけれど、魔女は時折振り返って気遣う言葉をくれた。短くて、でも一つ一つ温かい声音で発せられる言葉に、私はいちいち大きく頷いてみせる。逆光とベールが邪魔をして見えなかったけれど、その度に魔女は、一言も話さない私に優しく微笑みかけているような気がした。

 芒の海を抜けると一本の道が伸びていた。道の両側には田んぼがあり、重く実った稲穂がなびいている。ここまでだいぶ歩いたように思えたけど、しつこいくらいに空は赤く、冷めることを知らないようだった。

 この夢にきっと夜は来ないのだと、私は朧げに理解した。


 道の先を、魔女は立ち止まって見つめている。背中では稲穂色の長い髪が風に泳いでいて、私はといえばそっちに目を奪われていた。

「長いでしょう」

 独り言のように魔女が呟く。

 一瞬髪のことかと思ったが違うだろう。背中越しに顔を覗かせると、道は遥か先まで続いているように見えた。確かに長い。

「ねぇ、果てはあると思う?」

 首を横に振る。そんなこと分かりっこない。

「そうだよね。私にも分からないの」

 魔女は膝を曲げて目線の高さを私と揃える。ベールの向こうに透けた表情は柔らかかった。それから何を言うでもなく黙りこくっているので、風がよく聴こえてしまい、今更私は、ここが寂しい場所だと思った。

「お腹空いてない?」

 長い沈黙の後に魔女が訊いてきた。

 私はそれに頷く。

「寂しくない?」

 ここは寂しい場所だけれど、別に私は寂しくない。

 また頷く。

「怖くない?」

 こくり、と。

「忘れ物は、ない?」

 忘れ物。果たしてあるだろうか。すぐには思い当たらない。だけど、魔女を待っていたときと同じような予感が、首肯することを許してくれなかった。

 それを見た魔女は頬を弛めて、私の喉にそっと触れると、

「いいんだよ。じゃあ、取りに戻ろうね」

 やおら立ち上がり踵を返した。私は何となく、隣に並んで歩くことにした。

 ドレスの裾を踏まないように、半身を芒にぶつけながらさっき出来た小道を戻る。

 影法師に導かれて歩く二人。目的地のない帰り道。魔女に当てはあるのだろうか。随分と迷いのない足取りだけど。私には、少しの見当もついていない。これでは手を引かれているのとあまり変わらないかもしれない。それでも、誰かの歩幅で歩くのはちょっとだけ楽しかった。

 茫漠とした芒野原も、辿れば無窮ではなくなる。代わり映えしない景色の端々には乾ききらない記憶が見えて、それらが言うには、入り口が程近いらしい。身をよじって見返ると、ひたすらに夕陽が眩しく、畦道なんていうものはとっくに瞳では捉えられなくなっていた。

 しばらくして、私達は最初に降り立った場所まで戻ってきたけれど、先程と様子が変わっているはずもなく、ただ道が途切れていただけだった。魔女はそこで立ち止まって、物言わず宙を眺めている。

 この後はどうするの。

 伺いを立てるような私の視線に気付いたのか、魔女は見ていた方角を指し示す。

「ほら、蜻蛉だよ」

 ああ、本当に。

 芒の上、少しだけ空に近いところを蜻蛉が飛び交っていた。少しの間一緒になってその生き生きとした様子を見ていると、また魔女がしゃがんで顔を寄せてくる。

「大丈夫だからね」

 大丈夫って、何が。

 分からなくて首を傾げる。

「忘れ物は、ちゃんと見つかるから」

 忘れ物。

 ねえ、私の忘れ物って何なの。

 本当にあるのかも曖昧で、今は見つけたいとさえ思っていない。

 夢の中にあるのか。

 夢の外にあるのか。

 探さなくても見つかるのか。

 探さなければ見つからないのか。

 全部、面倒くさいな。

 何一つ解っていないから、頷いた。


 風が吹いて芒がざわめく。それを合図にして魔女が立ち上がると、

「いつか、もう一度だけ逢いましょう」

 最後にそう言い残して私の小さな手を離した。

 握られているだけだった手を慌てて握り返すけど、つかめたのは空だけ。

 もう、どこにも影はなかった。

 所在無く伸ばした手は秋風にさらされて、やがて幸せな温もりを忘れていく。

 それが惜しくて、私はうわごとのように魔女の言葉を繰り返す。

 約束じみた別れの言葉を何度も、何度も。

 芒の海が凪ぐまで。

 私が目を覚ますまで。


 それはまるで――

お読みいただきありがとうございました。

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