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抜け殻の群像

作者: しろくま

 

「向こうは晴れかな」

「分からない、多分曇りかな」


 午前9時45分、とある空港の搭乗口付近で私と彼は言葉少なに佇んでいた。どうでもいい話をどちらかが振って、それに適当に相槌をうつ、そんなことを繰り返しながら、二人そろって別々の虚空を見つめていた。ぬるくなった缶ジュースと缶コーヒーを手に、目も合わせないままその時が訪れるのを待っている。




 彼が遠く離れた大学を受験することは知っていた。去年の夏の日、偶然進路室でその大学の資料を見つめる彼を見かけたからだ。彼が去った後、こっそり真剣に見ていたた大学の資料をぱらぱらとめくり理解した。彼の学びたいことが、希求する物がそこにしかないこと、そして、彼がその道を進むと私たちはさよならをしなければならないということを。しかし、だからといって私に何ができたと言えよう。たかが高校生の恋人である私と、将来を約束された大学に進学することを天秤にかけたら、どちらに傾くかは明白であるし、そもそもたった一人の女と、彼の将来を比較対象にする時点で愚問なのだ。彼の将来を指図する権利など、私にあるはずもない。地元を離れる気のない私はどうしようもない焦りを感じた。彼の方はと言うと、夏が過ぎ、秋がきて冬になっても、志望校の名前を全く口にしなかった。


 そんな回想に浸っているうちに、いよいよその時間が来た。彼は観念したように、私の目をじっと見つめる。逸らしたくなるのをぐっとこらえて私は無理に笑って見せた。



「向こうでも元気でね」

「うん」

「風邪とかひかないで」

「うん」

「研究に夢中になりすぎて、生活を疎かにしないでね」

「うん」



 そして再び沈黙が訪れる。彼が何かを言いたそうに必死に言葉を選んでいるのは分かった。思いついた言葉をぽんぽんと発する私と違って彼の言葉はとても重たくて厚みがある。私はその重みを、私を縛る言葉を真正面からくらうわけにはいかなかった。ごめんね、もありがとう、も絶対に許さない。もしそれを聞いてしまったら、自分の理性が保てるかわからない。だからこそ、私は彼を傷つける覚悟を決めた。




「ねえ、私、本当はね、君と一緒に大人になりたかった」




 声が震えた。いつも思慮が足りない私の最高級の、愛と恨みとを込めた言葉だった。それは彼が一生懸命に繕っていた平静を瓦解させ、涙を誘った。けれども彼は結局最後まで私の前で泣いてくれなかった。唇を噛んで夢の地への切符を握りしめて搭乗口へと足早に去る。一度もこちらを振り向かずに、私に一度も優しい言葉をかけることを許してもらえずに。



 勉強の話がしたい、お互いの趣味の話がしたい。いろんな場所に出かけたい。たまには喧嘩をして、でもすぐに仲直りがしたい。どうでもいいことで馬鹿笑いして、どうでもいいことで泣きあいたい。そんな風にしてゆっくり大人になっていきたかった。けれどそれが叶う距離はあまりにも限定されている。君の新しい世界は遠すぎるのだ。



 私たちは恋人どうしだった。でも「結婚しよう」と無邪気に話せるくらい、子供ではなかった。そして「結婚しよう」を現実のものにできるくらい、大人でもなかった。そんな曖昧な存在である私たちにたった一つ残された選択肢は、繋いだ手を放すことだけだった。新たな世界で、別々に、懸命に生きることだけだった。





 あの夏の日から私の胸はずっとずっと痛いままだ。彼を乗せた飛行機は晴れ渡った空に飛び立っていった。


15.07.12に執筆したもの。

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