3、歴史について
少年の頃、大河ドラマが大好きでした。初めて大河ドラマの原作本に手を出したのは司馬遼太郎さんの作品でした。少年の私には少々難しかったけれど、初めて読んだ本格的な歴史小説に心を奪われました。
司馬さんの作品は司馬史観と呼ばれる歴史観に貫かれているといわれます。単に歴史上の偉人が何をした、ということだけではありません。その背景として何があったか、社会はどう変わりつつあったのか、その時代の思想とは何か。様々な視点から歴史を検証し、時代の精神を文字の上に定着させます。
これが大人の歴史小説かと驚いたものです。
大学時代に思想や哲学を学びました。そのなかで、司馬さんが書いていらっしゃったのはこのことだったのか、という驚きがありました。歴史と哲学が結びつくと思考や発想が重層的になります。
物語のなかで何度か近代というものに触れています。東アジアが近代において西欧諸国に遅れをとったのは何故か、これが物語の主題になっているからです。
ここから逆算して物語を創りました。
近代において現れる国民国家や市民という概念を主人公に語らせています。
国民国家は国民と国家が結びつき、国民のひとりひとりが国家の一員だということを自覚しています。わたしたちは日本人であることを自明のこととしていますが、信長たちが生きた時代はそうではありませんでした。戦国武将たちは領国の主ではあるものの日本人という感覚は持っていません。農民たちにしても惣村の一員くらいの感覚だったでしょう。
日本において国民国家が成立するのは、明治、それも憲法の発布の頃ようやくその萌芽が現れます。高校生の頃、自由民権運動の結社の名前が右翼団体みたいな「愛国社」だったことに違和感を覚えました。先生に聞いてもいいかげんな答えしか返ってきません。大学生になってようやく謎が解けました。これは民衆が「我々にも愛国をさせろ!」と訴えていたのです。支配階級だけでなく民衆が国民になろうとしていたのです。
鉄砲が市民社会を生み出したことも書きました。日本で市民社会が誕生しなかったのは、豊臣秀吉が「刀狩」と称して民衆から武器を取り上げてしまったからです。「刀狩」というと平和政策のように思われますが、自由な市民の誕生を阻むための政策でもありました。徳川政権もこれを引き継いだため、市民の誕生も明治を待たねばなりません。
むしろ、信長の時代の自由都市、堺の町衆のなかに市民の萌芽が見出せるくらいです。
さて、こういった歴史哲学みたいなのはどうやって勉強するのかというと、それなりの本を読む必要があります。連載のなかでいくつかの参考文献をあげています。
これらは、いわゆる大学レヴェルの本です。大学に行ったから読めるわけではなくて、高校までの勉強が知識を吸収するものだったのに対し、大学では知識をベースに考えることが必要とされます。(実際の日本の大学の全てがそうはなっていないけど)
こうした学問のなかでは歴史に登場する偉人の活躍は断片でしかありません。その背景には多くの無名の民衆がいて、科学技術や思想の発展が時代を動かしていくのです。これが歴史のダイナミズムなのです。
中国と日本では歴史の構造が違っていることも書きました。私たちは日本史から推し量って中国史を考えてしまいがちですが、歴史の成り立ちが違うということは、社会構造や文化も違うということになります。この違いを認めない限り私たちは異文化を理解することができないのです。私は何度かバックパックを背負って海外を旅しましたが、異文化はとても面白いものです。好奇心と少しの勇気があれば、この面白さに触れることができるのです。
いちおうラノベを目指して書いたので、こういっためんどうくさい話は最小限にしました。もう少し詳しく書きたかったのですが、誰も読んでくれなかったら困ります。
この稿はその憂さ晴らしなのかも知れません。