第漆話 禁じ手を行使する
そのマンションは、ワンフロアに4世帯の、比較的ひょろ長い作りで、後々の耐震性に問題が有りそうな印象だった。
エレベーターの表示的には12階まであるが、見た目は10階建て。
4階と9階の表示をしない、いわゆる昭和仕様のマンションなのである。
その5階のエレベーターすぐ横の501号室が、雪村の部屋だった。
「ちらかってるけど、どうぞ。あがって。」
雪村が雪子にスリッパを勧める。
「ありがとう。お邪魔します。」
短めの廊下の突き当りがリビング・ダイニングだった。
さらにその奥の襖の向こうにも二部屋ありそうだった。
「3LDKなんだよ。因みに他の家族は下に住んでる。」
なるほど。不動産会社社長の長男らしい扱いだ。雪子はそう思った。
「あと少ししたら、守山区に一戸建てを建てるって親父が言ってた。そうなったら、僕は屋根裏に住む予定。」
雪子にソファーを勧めながら雪村が言う。
「あら、素敵じゃない。断熱と雨漏り対策だけはしっかりね?」
「うん、ありがとう。」
「ところで、今から大切な話をしたいのだけれど、缶入りのクッキーとかは無いかしら?」
「あ、ああ、気が利かなくてごめん。お茶と一緒にすぐ用意するよ。」
雪村は慌てて、アールグレイのティーバッグで紅茶を入れて、30cm四方ほどのサイズのクッキーの缶を出す。
「この間、ちょうど入学祝いに、中学校の恩師から貰ったんだ。」
そんな雪村の言葉には相槌も打たずに、雪子は手近にあったティッシュを広げて、いきなりその缶の中身をぶちまけた。
「これで良しと。」
「ずいぶんとワイルドなことをするねえ。」
「ワイルドだろう?」
「???」
しまった。これもちょっと未来のギャグのフレーズだった。
「あと、メモできる紙と筆記用具をちょうだい。」
「ああ、コレ、どうぞ。」
雪村はすぐ近くの電話機の横から、メモ帳とボールペンを出した。
すると雪子は、箇条書きに次のようなメモを書き始めた。
4月29日 春の天皇賞 モンテファスト
5月13日 安田記念 ハッピープログレス
5月20日 オークス トウカイローマン
5月27日 日本ダービー シンボリルドルフ
6月3日 宝塚記念 カツラギエース
「まあ、こんなところかしらね。」
「あの、コレはどういう…?」
「明日からずっと、このメモの馬に賭けなさい。」
「えっ?」
「全部単勝で当たります。当たったら次の馬に全額賭けて。」
「ホントに?」
「観測済みの事象だからホントです。そしてその配当金の半分を、この缶に詰めて、この地図の場所に埋めてちょうだい。」
そう言いながら彼女は、メモの下に守山区のとある住所と地図を描いた。
「あとの半分はあなたにあげるから、好きにして。」