第41話失った者の重さ
二人がその館の前に立った瞬間、俺は理解した。
——ここは、一度足を踏み入れたら無事では帰れない場所だと。
「近くで見ると結構でかいな」
「だろ?じゃあ、入るか。準備はいいか?」
「ああ」
グレイは門の柱にぶら下げられてある、小さな鈴を鳴らした。
「よく気付いたな」
グレイは一瞬だけ、館を見つめて目を伏せた。
まるで、ここで起きた過去を思い出しているかのように。
「来た事があるからな」
その声は、過去を悔いているというより——
すでに取り返しがつかないと悟った者の響きだった。
そして鈴は心地いいような音が暗黒に響き、時間が経つと共に、その音は狂気に満ちているような気がした。
「"貪食"よ、よくぞ来た」
「入れ」
色気のある命令口調の女性の声が聞こえ、館の門がゆっくりと開いた。
門の向こうから漂ってきたのは冷気ではない。
生き物の気配そのものが削ぎ落とされるような感覚だった。
「じゃあ行くか」
グレイは警戒もなく、堂々と館の玄関へと向かった。
「ほら、遠慮しないで上がれ」
頭に直接語られているような声で話しかけられ、もう何処にも行き場のない俺はただ館に入るしかなかった。
ガシャ
二人が玄関の前まで近づくと、ドアは自動的に開いた。
俺が入ろうとするとグレイは俺の肩を掴み、引き止める。
「本当に行くんだな」
「もちろんだ」
そうして俺は館に一歩、踏み出した。
中は冷気で満たされた外と違い、かなり暖かい。
呪詛師がオシャレ好きなのか、色々な装飾がされていて、召使いの幽霊が廊下を綺麗に掃除していた。
床に映る影だけが、どう見ても人の形をしていない。
「あなたが呪詛師様がおっしゃっていた貪食者様ですね。それにお隣の方は……お久しぶりです」
「だな」
「また同じ運命を辿らせるおつもりですか?」
「きっと、俺の様にはならないさ」
グレイ―――一体お前はなんだ?
すると召使いに向けて手招きをし、俺は召使いに着いて行った。
廊下を歩き続け、部屋の扉には保管室1など、何処を見ても研究結果を保管している部屋だった。
二階に上がり、絶えず壁には消えない蝋燭に火がが付いている。
ここが二階なのか、三階なのか、同じ空間過ぎてなにがなんだかわからなくなってきた。
「大丈夫ですかな?お客様」
「平気だ」
少しの恐怖を感じつつ、明らかに雰囲気が違う部屋へと辿り着いた。
「呪詛師様がお待ちしております」
「お待ち?」
「はい」
俺がここに来るのを知ってたのか?
グレイといい、この召使いといい……罠かもしれない。
それでも引き返す選択肢は、最初から俺にはなかった。
——彼女を救うためなら、何を失っても構わない。
この目で確かめるしかなさそうだな。
俺は呪詛師がいる部屋の扉を開け、女と対面した。
足元までありそうな長髪に、真っ白で雪のような髪色。
そして、死んだように白い肌。
その美貌の裏に、闇が垣間見えていた。
「貪食、ここに来た理由は分かっておる」
その言葉に、胸を見透かされたような寒気が走る。
「呪いに侵された女を助けたいのだろう?」
「そうだ。助言を聞かせてくれ」
「未来を見通せるわけではない。ただ、人が選ぶ“業”の重さだけは分かる」
呪詛師は薄気味悪く微笑んだ。
あの男も趣味が悪いね……
「その女の命は、すでに呪いの一部」
「助けたいと思うほど、呪いは深く根を張る。愛とは、呪いに最も近い感情ゆえな」
「"貪食"は便利な能力。ただお主が呪いを喰らえばいい話」
俺のスキルでリリスの呪いを解呪できるのか?
「一つだけ助言を授けよう」
「救うのか、縛るのか、終わらせるのか」
「決めるのはお主じゃ。じゃが選んだ瞬間から、その罪は永遠にお主の名を呼ぶ」
「奇跡を期待するな」
奇跡を期待するな……
つまり、リリスは助けられない―――
「どの道を選んでも、何かを必ず失う」
「助けられないのか?」
呪詛師はこれ以上答えなかった。
奇跡を期待するな。
——分かっている。
それでも俺は、呪いを喰らう。
たとえ、その先で自分自身が何者でなくなるとしても。
そうして俺が部屋から立ち去ろうとした時だった。
「お主、目的は忘れてはいないな?お主は恋をしに来たのではない」
「恨みを、怒りを放ちに来たのだろう」
呪詛師の背後。
いつの間にか、そこにもう一人立っていた。
気配が薄い。
いや、最初から“気配が存在しない”ような——そんな違和感。
その人物と一瞬だけ、目が合った気がした。
不思議と恐怖はなかった。
ただ、胸の奥を静かに掴まれるような感覚だけが残った。
そして俺は黙って部屋を出た。
貪食は最強だ。
——そう、信じるしかない。
リリスはきっと助かる。
いや、助けなければならない。
それが嘘でも構わない。
立ち止まるよりは、ずっとマシだ。
壁にもたれかけているグレイを無視して、俺は先に進む。
グレイは俺が呪詛師に何を言われたのか、それを知っているのか、黙って俺を館に出させた。
山を降り、草原を駆け巡り、沼地を抜けて砂漠を走る。
リリスに言った通り、ほぼ半日で帰ってきた。
「おかえり……」
「……ただいま」
「どう?宛は見つかった…?」
俺はなんて答えようか迷い、咄嗟に言った。
「見つかった、見つかったよ。治せる方法」
それは希望の言葉だった。
同時に、俺自身への呪いでもあった。
呪いを喰う代わりに君は死ぬ。
そんなこと、言えない。
「ああ…クソッ……!」
感情がごちゃ混ぜになって、視界が揺らぐ。
その様子を見て、リリスはベッドからゆっくりと立ち上がり、俺の頬にソッと手を当てた。
「あたし…足手纏いだよね……?」
「そ、そんなこと!」
リリスは力を振り絞って言った。
「あたしが生きてたら…カイは一生復讐を果たせない……」
「あたし…!カイの為だったら、死んでもいいんだよ……!」
そう言い切った声は、震えていた。
本当は――死にたくない。
それでも、そう言うしかないと分かっていた。
俺は彼女の胸に手を当てる。
「すまない……すまない…!本当にすまない!!」
貪食を発動させ、彼女の胸から禍々しい黒い球体が引きずり出される。
それを喰らった瞬間、胸の奥で何かが“剥がれ落ちた”。
それが何かは分からない。
ただ、彼女の名前を呼ぼうとして、声が出なかった。
痛みはない。
だが――確実に、何かを失ったと分かった。
取り出された球体は、音もなく消滅した。
俺は力が抜けたように、彼女をそっとベッドへ戻す。
「どの道を選んでも、何かを必ず失う」
その言葉が、今になって胸の奥で反響していた。
数時間後。
夜明け前の砂漠は、異様なほど静かだった。
風にさらわれる砂の音だけが、耳に残る。
俺は無言で穴を掘り、彼女を横たえた。
布越しに伝わる体温は、もう戻らない。
それでも、手を離すことができなかった。
砂漠に埋めたのは、最初の想いだった。
次に向かったのは沼地。
足を取られながら、泥に膝を沈める。
ここでは言葉を失った自分を埋めた。
最後は草原だった。
風が吹き、草が波のように揺れる。
そこで、未来を埋めた。
三つを終えた時、胸の奥が空っぽになっていることに気付いた。
悲しみはない。
涙も出ない。
あるのは、底知れない怒りだけだ。
俺はもう、引き返さない。
何を喰らおうと、何を失おうと構わない。
世界が敵なら、世界ごと喰ってやる。
彼女を失った俺がすべき事は一つ。
復讐に向かう事―――
いいや、この呪われた世界を壊さなければならない。
この世界が彼女を殺したのなら、
その世界に、存在する資格はない。
そうして俺は、彼女に背を向け、館にいる呪詛師の元へと向かった。




