第34話祝祭の裏で
甘い匂いがフワリと鼻をくすぐり、俺は目を覚ました。
ベッドの横にはリリスがいる。
夜明け前の薄い光が、リリスの横顔を優しく照らした。
寝ちまってたのか……
体を起こすと、肩や背中に鈍い重さが残り、疲労を感じる。
それだけじゃない。
昨日、選ばなかった選択――
それがしつこく心に刻み込まれていた。
「おきたの……?」
リリスは眠そうに言う。
瞼は腫れておらず、あまり眠れてないのが分かった。
「どこか行くの?」
「いいや、二度寝するよ」
そう返した時には、もうリリスは目を瞑って寝息を立てていた。
俺はベッドから起き上がり、キッチンにあるポットで湯を沸かして、その間に適当な包みに入った茶葉をコップに放り込む。
リリスとは会ってからあまり経っていないが、お互いに特別な関係になった気がする。
彼女には帰る場所ができ、俺は安心感ができた。
こんな居心地のいい事があるのなら、ザイトライヒさえ諦めてもいいのかもしれない。
その瞬間、脳に"あの日"が鮮明に浮かび出す。
その時、俺は思う。
俺はこの復讐から逃れられない。
ずっとずっと、忘れようとしても、必ず殺さなければならないと思ってしまう。
これは"呪い"だ。
俺はザイトライヒをこの手で殺すのを望んでいる。
ポットの湯が沸き終わり、俺はコップに湯を注いだ。
甘い匂い、リリスが好んで飲みそうな物だ。
コンコンッ
玄関からノックの音がする。
ベンジャミン……俺を追ってるのか?
拳を握り締め、扉のドアノブに手を掛け、一気に開けた。
「朝早くにすまない」
そこにいたのはカールだった。
カールは握り拳を振り上げかざしている俺を見て、思わず鼻で笑った。
「お邪魔させたかな?」
「いいや」
「昨日の夜は楽しめたか?」
不気味な笑顔を見せるカールに思わず腹が立ち、扉を強く握り締めた。
「黙れ、用件はなんだ?」
カールは辺りを見渡し、前のように俺の耳元で囁いた。
「今日、通信石で呼び出したらロビーまで降りてきてくれ」
「"作戦"を実行する時がきた」
力帝を殺す時――
作戦とはそれを意味していた。
俺は後ろを振り向き、リリスを見ると、カールは連れてこいと言わんばかりであった。
「今夜はパレードがあるそうだ。カイ君も来てくれよ?」
わざとらしく俺にそう言い、肩をポンポンと叩いて土産の菓子を渡してきた。
カールは笑っていたが、その目は狩りを行う目をしていた。
「いつ頃連絡するんだ」
「パレードの準備が始まったら、すぐに連絡するよ」
そうしてカールは背を向け、俺は玄関扉を閉めた。
今度の作戦は一歩間違えれば、死ぬかもしれない。
毒帝の時はなんとかゴリ押しでいけたが、今回はそうとは限らない。
ヤツの権力があれば、俺を社会のどん底にいつでも突き落とせる。
選択もまともに決められない他人任せの俺が、社会を操る男に勝てるのだろうか。
きっと、俺が負ける時はどんな形でも死ぬ時だろう。
「リリス、起きてるか?」
「ん……なあに?」
「パレードが始まるそうだ。連絡次第、すぐ行くぞ」
「あー、なるほどね。了解したー」
意図を汲み取ってくれたのか、そうするとリリスはまた寝始めてしまった。
その無防備な寝顔を見ると、俺は一瞬、全てを投げ捨てたくなった。
しばらくして、時間は正午近くとなった。
リリスは暇潰しに部屋に置かれてある知恵の輪を解き、俺は考え事をただ頭の中で迷走しているだけ。
――自分は一体、何の為に殺そうとしているんだ?
家族の未練を晴らす為?それとも、ザビエクのように殺しが止められないだけ?
一生懸命答えを探るが、一向に辿り着けない。
それはまるで、出口のない迷路を辿っているようだった。
答えを導くように通信石が振動し始め、俺は石を確認した。
『ロビーで待ってる』
「リリス、起きろ。行くぞ」
「はいはーい」
ベッドに知恵の輪を投げ、猫みたいに背伸びをすると、俺の後ろに着いてくる。
部屋から出てエレベーターに向かい、ロビーへと降りた。
そこには、黒服を連れたカールとザビエクが立っていた。
周りにいる富豪達は立ち話をしているが、明らかにカール達を警戒している。
「全員集まったな?では、パレードへ向かおう」
カールは耳にイヤリングを付け、位置を確かめている。
きっとそれは、傭兵達と情報を伝達し合う魔道具なのだろう。
パレードに到着するとそこはかなりの大人数だった。
富豪の島と言われていたから、あまり人はいないだろうと思っていたが違う。
まるで、国の市場のようにパレードは栄えていた。
パレードの通りには、色鮮やかな布と魔導灯が幾重にも飾られていた。
昼間だというのに灯りは落とされておらず、夜を待たずして祝祭の熱気を演出している。
楽団の音が遠くで鳴り、笑い声と歓声が絶え間なく重なっていた。
そのどれもが、俺にはひどく現実味のないものに思える。
――この中で、人が死ぬ。
そう思った瞬間、胸の奥が締め付けられた。
「人が多いな」
俺が呟くと、カールは満足そうに頷く。
「そうだろう?だからこそこの中に紛れる」
その言葉に、リリスが一瞬だけ眉を寄せる。
だが何も言わず、俺の半歩後ろを歩き続けた。
ザビエクは周囲を見回しながら、まるで獲物を探す獣のように静かだった。
その沈黙が、逆に不気味さを際立たせている。
しばらく歩いたところで、カールが足を止めた。
「ここからは分断する」
そう言って、耳元のイヤリングに指を当てる。
「第一段階だ。予定通りだな?」
返事は聞こえない。
だが、カールは確信を持った顔で小さく笑った。
「カイ君。君は少し、別行動だ」
「……何?」
俺が聞き返すより早く、背後から視線を感じた。
ゾワッと背筋を撫でるような感覚。
振り向いた瞬間――
そこに“いた”。
人混みの中に溶け込むように立つ男。
黒でも白でもない、曖昧な色の外套。
表情は薄く、感情の起伏が読み取れない。
だが、分かる。
ヤツだ。
「ベンジャミン……」
俺の声に、男はわずかに口角を上げた。
「久しぶりだな、カイ」
その一言で、周囲の音が遠のいた。
楽団の音も、笑い声も、すべてが背景に沈む。
「ずっと監視してるぞ?逃げれると思うな」
その言葉に俺は返事を返さない。
俺は無言で睨み付け、ヤツは俺を嘲笑うような笑顔を見せた。
真面目に見えるその表情の裏に、明らかな闇が見える。
するとヤツの視線は急に俺の背後に行った。
カールと手を組んでいるのがバレたのか!?
後ろを振り返るがそこにはザビエクもカールも、黒服達もすっかり居なくなっていた。
俺の後ろにはリリスだけが居た。
リリスに手出しする気か?
そう思った途端、怒りがこみ上げ、半歩前に進んだ。
「勘違いするな」
「"俺の獲物"はお前だけだ」
ベンジャミンは人混みの中に姿を消す。
聴覚や嗅覚を変化させても、この人混みの中では役に立たない。
建物の上で、警戒している俺を監視しながらベンジャミンは考える。
あの女と目があった瞬間、ベンジャミンの身に変化が起きる。
殺しの快感とは違う……一体なんだ?この気持ちは?この高鳴る心臓は――
彼女は俺に、何か変化をもたらしてくれる存在なのか?
恋と呼ぶには相応しくない気持ちが、ベンジャミンの心を徐々に変化させていた。




