第31話静かな楽園
船は波に揺られ、夜の海を進んでいた。
海を見ていると意識まで引きずり込まれそうになる。
顔を上げて、夜空を見ると今夜は眠れずここに来たのをふと思い出した。
「眠れないのか」
隣から話しかけてきたのはカールだった。
「ちょっとな。お前は?」
「リリスとザビエクに話した内容を伝えに来たんだ」
「なんだ?言ってくれ」
カールは手に持っていた包みに入った板チョコを一口食べる。
「饗宴島は力帝がスポンサーとして支配している。表向きはリゾートだが……裏では人が物として流通する」
「実験台にされる者もいるし、死んでも“事故”で片付く」
「……殺しは?」
「娯楽だよ。見世物か、処理か。その違いしかない」
「ほんとクソだな」
冗談だと言い切れない重さが、夜の海に沈んでいった。
「力帝とはどうやってやり合うつもりだ?」
「君達が任務を終わらせた後、饗宴島にいる傭兵数百人を買収した。そいつらと連携を取って動く」
「信じられんのかよ?傭兵だぞ」
「力帝の護衛の給料より遥かに多い金を出した」
少し不安はある。だが、カールはそれを上回る男だ。
「……アンタだから信じるよ」
俺が1つの任務をこなしただけで力を貸してくれたんだ。
俺が彼を信じなくてどうする。
「ありがとう」
カールはチョコを食べ終わると、俺に笑顔を返してこの場から去って行った。
その笑顔はどこまで計算されているのかわからない。
俺は深淵のような海を見つめながら、眠れず時間だけが過ぎていった。
そのまま朝になると、日の光で向こうに島があるのがわかる。
潮風と波が加わり予定より早く饗宴島の港に辿り着いた。
白い石で組まれた桟橋はどこまでも整っており、海水一つ落ちていない。
波止場には色鮮やかな旗が並び、島国特有の甘い香りが潮風に混じって漂ってくる。
遠くには高く聳える建物群。
リゾート用に作られた白亜のホテル、円形の闘技場のような建造物、そして島の中心に突き立つ一本の黒い塔。
美しい。
それが第一印象だった。
だが――静かすぎる。
港には人がいる。
笑顔で客を迎える者、荷を運ぶ労働者、警備兵のような男達。
誰もがよく訓練され、無駄な動きが一切ない。
視線が合うと、全員が同じように微笑む。
角度まで揃った、不自然な笑顔だ。
俺は無意識に拳を握った。
ここでは、暴力は叫び声を上げない。
静かに、当たり前のように行われる。
船が桟橋に横付けされると、上品な服を着た案内役が一斉に頭を下げた。
「饗宴島へようこそ」
歓迎の言葉は、温度のない声だった。
ここが楽園なら――俺達は、餌だ。
横には支度を完璧に済ませたカールと、まだ眠そうなリリス、そしてザビエクがいる。
「存じ上げている方もいらっしゃるかと思いますが、説明いたします」
「一部の区域は夜間外出禁止です。お客様同士のトラブルはお止めください。島内では武器使用禁止とさせていただいていますので、各自、客船へお戻しください」
「では、お楽しみを」
お楽しみを…ね。
労働者の焼き印での番号や案内役の足枷が目に入り、思わず殺意が湧いてくる。
横にいるザビエクに視線が合い、理解しているのか無言で口角を上げた。
ここが地獄か。
「彼が言うように楽しもうか」
カールは俺の肩に腕を回して友人らしく振る舞った。
何を考えているか知らないが、有害じゃないならどうだっていい。
俺達は客船から降り、桟橋を渡って"楽園"へと足を踏み込んだ。
そして真っ先にカールが向かった先は高級な宿だった。
「ここはカイとリリスだけ着いてきてくれ、ザビエクは……好きにしてくれればいい」
カールは優遇された者でしか手に入らない黒いカードをザビエクに渡す。
あいつだけ特別扱いか。
きっと、傭兵達を買収して力帝に立ち向かう作戦は、ザビエク――お前の提案ってわけか。
カールは俺とリリスを連れてホテルに入る時、俺はすれ違うザビエクの目を見続け、ザビエクは口角を上げて俺を見つめた。
「カイ、はやく行くよ」
黒服が俺の肩を掴もうとした瞬間、リリスは俺の手を取り、俺はザビエクから目線を外した。
ホテルの中に一歩足を踏み入れた瞬間、外とは別の世界に切り替わった。
床は磨き上げられた白い大理石。
靴音が静かに反響し、まるで音まで管理されているようだった。
天井は異様に高く、シャンデリアが昼間のような光を差している。
だが、その光は温かくない。
態々監視しやすくする為だけに付けたのか?
壁際に目を向けると観葉植物と彫刻が並んでいる。
どれも高価な品だと一目で分かるのに、なぜか生気がない。
触れれば壊れそうなほど整いすぎている。
そしてロビーには客がいた。
笑い声、グラスの触れ合う音、軽い会話。
こいつらを見ると一目ですぐに分かった。
金の匂いがする。欲を満たす為なら、人を壊すことも厭わない連中だ。
通路の端には、案内役と同じ服を着た従業員が等間隔に立っている。
誰も動かない。
瞬きの回数すら、揃っているように見えた。
するとリリスが小さく息を呑んだ。
「きれい、だけど……」
その続きをリリスは言わなかった。
敵地で不本意に発言すべきではないと思ったのだろう。
カールは何事もないように歩きながら、低い声で言う。
「ここでは“不満”も娯楽の一部だ。だから、表情だけは楽しそうにしていればいい」
そう言って微笑むが、その笑顔もまた完璧すぎた。
エレベーターは音もなく扉を開いた。
中は広く、柔らかい香りが漂っている。
だが壁に埋め込まれた黒い石が、やけに目についた。
触れなくても分かる。
――結界魔術だ。
監視。
もしくは、スキルの抑止。
扉が閉まる瞬間、ロビーの様子が一瞬だけ映った。
笑顔の客。
動かない従業員。
そして、こちらを見ていた“誰か”。
エレベーターが上昇を始める。
俺は、無意識に喉を鳴らした。
ここは休む場所じゃない。
選別される場所だ。
「ザビエクと喧嘩でもしたの?」
気を張り巡らせているとリリスが俺に聞く。
「いや」
「どうせウソでしょ?喧嘩でもしてなくちゃ、あんなピリピリしてないよ」
俺は言おうか迷い溜め息を吐いた。
「ちょっとな、意見の違いがあっただけだ」
そう言うと背後を見せるカールがこちらを見ている気がする。
チンッ
エレベーターの到着の合図が鳴り、最上階へと着いた。
「カール、お前思ったより金持ちなんだな」
「言ったろう?元は力帝のスポンサーだったんだ」
廊下を歩くともう目の前にホテルの部屋の扉がある。
「ここがカイとリリスの部屋だ」
カールは俺に近づき耳元で、まるで誰かから聞かれないように呟いた。
「私とザビエクは地下にいる。私に用が出来たなら、ホテルの案内役に地下に行きたいと言え」
カールは黒服と共にエレベーターに乗った。
「待て、ザビエクは別の部屋なのか?」
「そっちの方がいいだろう?」
カールは俺にウインクするとエレベーターの扉は閉まり、とりあえずリリスと一緒に部屋の中を探索する事にした。
扉が閉まった瞬間、外界の音が完全に断たれた。
重厚なはずの扉が、まるで薄い膜のように感じられる。
――逃げ道ではなく、境界だ。
部屋は広い。が、逃げ場がない。
床は柔らかい絨毯が敷き詰められていて足音が消える。逆に落ち着かない。
壁は淡い色合いで統一され、絵画が数点掛けられている。
どれも美しいが、風景の中に人影は一切ない。
――客以外の人間はいらないという意思表示だろう。
中央には大きなベッド。
白すぎるシーツは、乱されることを想定していない。
天井近くには細い溝が走っている。
換気口に見せかけた結界魔術。
魔力の流れが、一定のリズムで脈打っているのが分かる。
窓は一面ガラス張りで、夜の海が見下ろせる。
美しい。だが、開閉用の取っ手はない。
「……出られないね」
リリスが小さく呟く。
声を潜める必要はないはずなのに、自然とそうなった。
テーブルの上には銀のトレイがあり果物、酒、甘い菓子。
どれも完璧な状態で並んでいる。
触れると分かる。
――鮮度が不自然だ。
保存魔術?それも、長期間用?
人が長く滞在することを前提にしている。
浴室はガラス張りで、外から中が見える構造。
視線を遮るカーテンはない。
プライバシーという概念を、最初から与えていない。
クローゼットを開くと、サイズぴったりの衣服が揃っていた。
「カールの野郎……」
「これ美味しいね!カイもいる?」
答える暇なくリリスはぶどうを一粒手で渡し、俺は口に運んだ。
安心と不安が入れ混じり、何とも言えない雰囲気だった。




