第30話饗宴島への招待
日差しが眩しく、目を覚ました。
ベッドから起き上がり、一階へと降りる。
リビングへ入るとそこにはキッチンで朝食を作っていたリリスがいた。
「おはよ、今日は朝遅かったね」
そう言われ時間を見ると、針は10時を差していた。
リリスはフライパンを軽く揺らしながら、こちらをちらりと見た。
「昨日、遅かったでしょ」
「……まあな」
それ以上、何も聞いてこなかったのが逆にありがたかった。
油の音とパンの匂いに包まれた、何でもない朝食がやけに眩しく見えた。
「ちゃんと食べなよ。顔色、良くない」
リリスはそう言って椅子に座り、俺の向かいに腰を下ろした。
スプーンを手に取るが、指先がわずかに震え、昨夜の感触がまだ残っている。
「……辛い?」
不意に、リリスがそう聞いた。
心臓が一瞬、強く脈打つ。
「いや」
短く答えると、リリスはそれ以上追及しなかった。
ただ、小さく息を吐く。
「言いたくなったらでいい」
その言葉が、胸の奥に静かに沈んだ。
食事を終え、通信石を見るとまだ連絡は来ていない。
気分転換に外へ出ると、海から吹く風が心地よかった。
昨日までの夜が、嘘みたいに世界は穏やかだ。
だが、その平穏の裏側で、確実に何かが動いている。
すると通信石が、微かに熱を帯びた。
――来る。
直感がそう告げる。
しばらくして、浜辺の方から足音が近づいてきた。
現れたのは、見覚えのある人物だった。
「やあ」
カールだ。
相変わらず、整った身なりと落ち着いた表情。
まるで散歩の途中で寄ったかのような軽さで立っている。
「わざわざ来たのか?通信石で連絡してくれればいいだろ?」
「様子見だよ。君が、ちゃんと“戻れているか”」
その言い方が気に障った。
「俺を何だと思ってる」
「選択肢を持っている存在、かな」
カールは海を眺めながら続ける。
「一度、踏み間違えると戻らないと思う人が多い」
「……実際は、そうでもない」
俺は黙っていた。
「昨日の君は、殺さなかった」
カールは振り返らずに言う。
「それは事実だ。そして、それを選んだのは君自身だ」
「……それを確認しに来ただけか」
「それだけで十分だよ」
カールは満足そうに頷き、踵を返した。
「近いうちに、また仕事がある。その時、君がどちら側に立つのか……楽しみにしている」
その背中が遠ざかるのを、俺は黙って見送った。
戻る途中、家の前で足が止まる。
昨日と同じ場所。だが、今日は何も起きていない。
――次は、逃げ場がない。
その事実だけが、はっきりと胸に残った。
誰を守り、誰を切り捨てるのか。
正義か、生存か。
それとも――逃げるか。
家に入ると、リリスが窓辺で外を見ていた。
「ねえ、カイ」
「なんだ」
「この先、嫌なことが起きそう?」
少し考えてから、正直に答えた。
「ああ」
「……そっか」
それだけ言うと、リリスは微笑んだ。
「じゃあ、ちゃんと帰ってきてね」
その言葉が、胸に刺さる。
帰る場所がある。
待つ人がいる。
それだけで、人は踏みとどまれるのかもしれない。
俺は拳を握り、ゆっくりと息を吐いた。
まだ、終わっていない。
そこに踏み込む勇気があるかどうか――それだけの違いだった。
そしてここ数時間、カールからの連絡は来ず、ただ暇で楽な時間が続いた。
ソファーで寝転がり、適当な本を読んでいると机に置いてあった通信石が震え始めた。
来たか。
飛び出した青白い文字にはこう書かれてある。
『今週の土曜、この日に3人でナイトクラブへ来い』
『力帝を殺す準備が整った』
その名前を見ただけで、胸の奥が嫌な音を立てた。
噂だけで人を壊す男、それが力帝だ。
すると2階から洗濯を終えたリリスが降りてきた。
「連絡、来たんだね」
「ああ。お前も来ることになりそうだぞ」
「えー、めんどくさいなー」
俺は通信石に手をかざし、浮き出る文字を消した。
3人で来いか……ザビエクに知らせるべきだろうか。
今現在、ザビエクは仕事でいない。
狂人のあいつを連れていくか、行かないか。
その時、カールを思い出した。
ザビエクを利用する。
そうと決まれば、ヤツが帰ってきたら話してやろう。
……それにしてもあと4日か、長いな。
「なにボーッとしてんの?えっちな本でも見てた?」
「違うよ」
そうして着実に時間は迫り、あっという間に土曜となった。
ザビエク、リリス、俺はあのナイトクラブへ足を運ぶ。
ナイトクラブの入り口付近に近づくと、そこには珍しく黒服に囲まれたカール自身が出てきていた。
「やあやあ!皆さん。今から向かう場所はこの国から少し離れた港に行きます」
「あとは着いてからのお楽しみです」
カールが指をパチンと鳴らすと、豪華な馬車が次々と現れ、黒服に連れられ馬車に乗らされた。
馬車の馬が叩かれ、馬車は急ぎ足で夜の石畳を駆ける。
「一体何の真似だ?あいつは何がしたい」
「着いてからのお楽しみなんだろう」
すると急にリリスが慌て始めた。
「港って事は船使うんだよね!?」
「は、はぁ~、ああぁ……」
リリスは何を思ったのか、絶望した顔をして力なく馬車の壁にもたれた。
「水が苦手なのか?」
「……あたし、猫だから水は苦手なの」
「落ちたりしねぇから平気だって」
終始ザビエクは何も言わず、馬車の窓から見える街の夜景を見るだけだった。
その目は、何処を見ているのかわからなかった。
今度は一体何を考えているんだ。ザビエク?
しばらくして馬車の中は、いつの間にか誰も喋らなくなっていた。
俺はただひたすらにボーッと馬車の窓から外を眺めて夜景を楽しむ。
討伐帰りの冒険者が騒ぎ、店を閉める商人が灯りを落としていく。
こんな夜中まで働いてるのか。
街から外れ大きな畑や家畜の世話をしている農家を見て、瞼を重くしながら考える。
みんな、それぞれ楽しいんだろうな。
――それでも、この光景をもう一度、同じ気持ちで見られる気はしなかった。
そんな事を考えているとガタガタと揺れていた馬車は徐々に停車し、気付けばそこは港だった。
馬車を運転していた黒服は、馬車から降りて客席の扉を開け、俺達は降りると潮風の匂いと冷たい風が体に直撃する。
遅れて馬車から降りたカールは俺達の前まで歩くと、ニヤニヤとこの時を楽しみにしていたかのように言った。
「では皆さん。"饗宴島"へ出発ですよ」
港にはこの為だけに用意したのであろう豪華客船があり、カールは黒服達を連れて客船へ乗り始めた。
「饗宴島?一体なんだ、そこ」
「貴族、政治家、大商人が集まるリゾート島だ。ナイトクラブ、カジノ、闘技場、オークション……」
「表の顔はそれだね」
「早く君達も乗りたまえ」
カールは意味深な言葉だけ残して客船へ乗った。
今なら、引き返せる。
港に背を向けて、この場から消えることだってできる。
"俺は、まだ選ぶ側に立っていない"
――だが、それを選んだ瞬間、俺は二度と自分を許せなくなった。




