四話(ディエムノクス)
ディエムノクスは、王城の廊下を突き進んでいた。
途中、すれ違った何人かが膝を曲げ礼を取るのに片手を上げて答えつつ、一直線に目的の場所――姉の部屋を目指す。
部屋の主たる金髪巻き毛の美姫は、優雅にお茶を楽しんでいたところだった。
「姉上!」
「あら、ディー。どうしたのかしら?」
そして、たどり着いた姉の部屋にて彼は口を開いた。
ふわふわと、どこか浮かれた気持ちのままに――。
「姉上! お忍び用の服を貸して下さい! うんっと、可愛いやつ!」
しぃん……。
室内に、束の間沈黙が流れた。
しばしあっけにとられていた美貌の姫、ディエムノクスより二つ上の姉は、ゆるく微笑んだままカップをおく。
「まぁ、可愛いディー。ついに女の子の格好をしてくれる気になったの? 姉様は嬉しいわ」
「いいえ、僕は着ません。姫に着せたくて」
「…………姫? あぁ、ヒルゲネスのお飾り姫ね。到着早々、倒れたそうじゃない。貴方が抱きかかえて運んだんですってね? 向こうの付き人たちは、みなそろいもそろって無能なのかしら? よりにもよって、自国の姫を他国の男に運ばせるなんて。なによりも、可愛いディーにそんな肉体労働をさせるなんて許せないわ」
可愛らしく頬を膨らませる姉。よくぞここまで詳しく知っていると感心する。
――それだけ、王家の〝星読み〟の力は強大なのだ。離れていた場所で起きた出来事も、全て星のささやきにより感知できる。
力がないディエムノクスには、そのささやきが全く理解できない。
だが、それを悲観することはない。今も、姉の言葉に太陽の女神の寵愛を受けたかのようにまぶしい笑顔を浮かべて答えた。
「僕は騎士ですから、女性一人を運ぶくらいわけがありません。なにより、姫は羽のように軽かったので、物足りなかったくらいです」
姉姫は、ディエムノクスの言葉に目をみはった。それから、からかうように笑う。
「あらあら、仕方のない子ねディー。…………貴方の目には、あの国の姫が宝石のように映っているのかしら」
「いいえ」
ディエムノクスは、即否定する。
「宝石などではありません。それよりも、ずっと綺麗だ。このセライアに広がる、満天の夜空のように」
今度こそ、姉は絶句した。
〝星読み〟の王家が代々国を治めてきたセライアにとって、それは最上級の褒め言葉であり、最高の口説き文句である。
だが……。
「それで、姉上。着替えを貸していただけませんか?」
言った本人は、無頓着だ。
けれど、どこかそわそわしている。姉姫は、星のささやきに耳を傾けるまでもなく、察しが付いた。
これまでずっと、誰がなにをしても動くことの無かった末っ子の心の中にある天秤。それが今、大きく揺れ動き、傾きつつあることに。
「お待ちなさい。……うんと、可愛い服がいいのでしょう? 貴方の意中の姫に、似合うような」
慈しみにこもった姉の問いかけに、ディエムノクスは大きく頷く。
「姫は喜んでくれるでしょうか?」
「お馬鹿さん。喜んでくれるか、なんて疑問系じゃ駄目よ。空で輝く一等星を掴みとりたいなら、絶対に喜ばせるくらいの気概で向かいなさい」
言いながら、彼女は隠してあったお忍び用の服を取り出す。
「ありがとうございます、姉上!」
「どういたしまして、ディー。……頑張りなさい」
ディエムノクスは、笑顔のまま頷いた。
そして、弾むような足取りで去って行く。
こんなにも浮かれた様子の弟を見たのは初めてで……。
見送った姉姫は、ぬるくなった紅茶を一口のみ、感慨深そうに呟いた。
「……あの、感情欠落気味だったディーが、あんなに目を輝かせるなんて……。……うふふ、初恋って尊いわ。久しぶりに、純愛系の物語を読みたくなっちゃった」
ヒルゲネスなんてろくでもないと思っていたが、どうやら末の弟には良い刺激を与えてくれたようだと含み笑う。
恋愛系の物語をこよなく愛する姫は、しばらく退屈しそうにないと、弟王子の初恋に胸を躍らせていた。