番外編:「強い王」の話
ルーナ父はなにを思っていたか、な話。スカッとはしないです。
ヒルゲネス王ヴァッサーには、かつて愛する者がいた。そして彼は、当然のように、己が最愛の女を王妃に選んだ。
しかし、王妃になってから愛する女は、段々と変わっていった。男子を産むのが王妃の義務といい、日夜求めてくる様子に辟易した。
愛する女に、ただ義務的に求められて嬉しいはずがない。
だから、少し冷静になれと距離を置いた。元の彼女に戻ってくれると思っていたのに、ヴァッサーが愛した女は、世継ぎが欲しいと繰り返すばかり。
愛しているから自分と一緒になってくれたのでは無かったのかと、ヴァッサーは少なからず傷ついた。
強請られるのが嫌で、顔を合わせる機会を減らした。
すると、次第に彼女は病んでいった。だが見舞いに行けば「世継ぎ」の話ばかり。一方的に「世継ぎを産ませて欲しい」「男子が欲しい」とまくしたてるだけ。
ヴァッサーが愛した女は、まるで言葉が通じない人間になっていた。
そして、だんだんと――やはり、彼女に王妃の座は重かった……。そんな囁きも聞こえるようになった。
望む物はなんでも手に入れてきたヴァッサーが、初めて目にした、思い通りにならないものだった。
これまで、あらゆる事を力で推し進めてきた男は、とうとう力業で壊せない壁にぶつかり……――目を背ける道を選んだ。
間違いに気が付いた時は、全て遅かった。
ヴァッサーは、最愛の女を失った。
日々、こっそりと様子を見守っていた可愛い娘は、愛する女とよく似た顔で泣いていた。
強く傲慢であったはずの王は、その時初めて恐怖にも似た疑問を抱いた。
自分は愛した女を不幸にしただけではないかと。
一度疑問がわくと、次々に不吉な事が浮かんできた。
愛する女は、自分を恨んで憎んで、絶望の果てに死を選んだのではないか?
――愛する彼女とよく似た顔で泣きじゃくる幼子は、自分を嫌悪しているのでは無いか?
自分が関わったから、愛する人は不幸になった。
自分が関われば、母を亡くしたばかりの娘もまた、同じ道を辿るかもしれない。
一度抱いた恐怖心は、ヴァッサーの中から容易に消えてくれなかった。愛する女を守れなかった自分は、愛する娘も守れない。そう感じた瞬間、ヴァッサーは父親という立場を捨てた。
そして彼は、力こそ絶対を掲げる王となった。
それはヒルゲネスの王として、この上なく正しい姿だった。
下手に関わらない、無関心でいる、そうしていると次第に人は王妃だった女のことを語る事も、その忘れ形見に興味を示す事も無くなった。
母を亡くして後ろ盾もない、娘。その安全が守られたと知って、ヴァッサーは人知れず安堵した。
――捨て置く事だけが、ヴァッサーが娘にしてやれる唯一の事だった。
だが、ずっとそのままでいられるはずがない。
次第に周囲は、あの娘にだけ必要以上に無関心な態度をとるヴァッサーに気付き始めていた。
ヴァッサーは傲慢な王の顔の下で、焦っていた。
父親の役目を放棄することで、今まで守ってこられた娘だ。
だが代替わりしてしまえば、どうなるだろう。
中には代替わりなど待たず、実力行使で玉座を奪い取ろうとする者もいるだろう。
幾度となく退けてきた暗殺者達だが、ヴァッサーも年を取った。万が一の可能性がある。
今、自分になにかあれば、娘の安全も簡単に崩壊してしまう事は明白であった。
だから、セライアの女王と会談する機会を得た時、ヴァッサーは駆け引きも忘れ、若い頃のような率直さで言ったのだ。
「娘を貰ってくれ」
不思議な力を持つと言われる女王は、この時、一体どこまで分かっていたのだろうか。
「……まったく、難儀な性分だな、ヴァッサー殿は」
苦笑を浮かべた女王は、はっきりと頷いた。
「星が導いた縁だ。……喜んで、申し入れを受けよう。……だが、余計な世話かもしれぬが言っておく。……我が子が可愛いならば、口に出さねば伝わらぬぞ」
本当に、余計な世話だとヴァッサーは笑った。
「あの娘に限らず、儂は自分の子を可愛がった事など無い」
ただのひとりも、名前を呼んだことも、抱き上げたことも、触れたことも無い。
愛する女を失った男は、大切な物は遠ざけておかねばならぬと学んだのだ。
「――ほんとうに、難儀な……」
ヴァッサーの答えを聞いて、なんとも言えない表情を浮かべた女王は、もしかしたら全てを見通していたのかもしれない。
――そして、理由をつけてセライアに送り出した娘は、帰っては来なかった。
のうのうと自分たちだけで帰ってきた使節団の面々は、当然悪びれた様子も無い。
しかし、口だけは上手いラインという若造が抗議するべきだと息巻いている。
セライアで、相当叩かれてきたらしい彼は、ここで鬱憤を晴らそうとしているようだった。まるで、セライアへの悪感情を植え付けたいかのような言動だ。
だまって聞いていたヴァッサーだったが、最後はヒルゲネス王らしい顔で答えてやる。
「無価値な物を、向こうが引き取るというのだ。くれてやれ」
そうすれば、誰も何も言えない。
娘を……ルーナを、無価値な姫と思わせたのはヴァッサーだったが、そう扱ってきたのは周囲なのだ。
王であるヴァッサーがいらぬと言ってしまえば、それまで。今更軽んじていた姫を惜しいなどと言えるはずが無いだろう。
思惑通り、ラインは悔しげに押し黙った。
それを玉座から見下ろし、ヒルゲネス王ヴァッサーは冷酷な声を発する。
「ヒルゲネスに、無価値な姫は必要ない」
言葉だけは、どこまでも王らしく傲慢に飾りながら、ヴァッサーは胸中で笑った。
これでよかった、と。
本当に大切なものを自ら手放した男は、今心底安堵していた――。




