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十四話


 晴れ渡った空がどこまでも続き、気持ちの良い風が時折ルーナの頬を撫でた。

 隣には、至極当然のようにディーが立っている。

 少し離れた場所にある天幕と、そこにいる人々を眺めていた彼は、ルーナを見ると笑った。


「良い天気だな」

「……えぇ、そうね」


 この日ルーナは、セライア側からの招待で森にいた。

 正確には、おまけとして早々にお役御免になっていたのだが……。

 かわりに主賓のごとく振る舞っている男は、あの離れた天幕にいる。

 そして、接待役を仰せつかったというディーの兄も。


(私に声をかけるなんて、どういう風の吹き回しかと思ったら……、コレだもの)


 ラインは、ルーナが女王の好意で別の部屋を用意してもらった事を知ると、わざわざやってきて延々と「ルーナのわがままで、セライア側に迷惑をかけたから」という名目で説教をしてきた。

 それで終わるかと思ったのだが、散々ルーナを蔑ろにしてきた筈のラインは、退出間際に狩りの話をしていったのだ。


 貴方も来るといい。

 貼り付けたような笑みを浮かべたラインが残した言葉は、薄気味悪いだけだった。

 けれど、セライアからの招待ならばルーナが断る訳にはいかない。

 なにより、自分は行かないなどと子供じみたことを言えば、ライン達が「それ見たことか」と勝ち誇るだけだ。それは、腹が立つ。


 と言うわけで、ルーナも招待に応じたのだが、まさか「狩りの経験もなく、話も理解できない姫だから、護衛である騎士とその辺で花でも摘んでろ」と天幕から追い出されるとは思わなかった。


 ルーナの代理は、ラインの妹がきちんと務めるのだと言う。

 乗馬用の服に着替えた彼女は、馬上からルーナを見下ろし笑っていた。そんな格好で来るなんて、貴方は本当に無知なのですねと。


 確かに、彼女の言葉は正しい。ルーナの格好は、狩りをするような格好では無い。変哲も無いドレス姿は、森の中では非常に浮いていた。


 ――奇妙な姫と、セライアの者達も思ったに違いない。そして、それに付き合わされる自国の王子を気の毒がったはずだ。


 言い返す言葉が見つからず、すごすご退出せざるを得なかったルーナは、後に続いてくれたディーに対して、申し訳なかった。


「……恥をかかせてごめんなさい」


 しゃがみ、呟く。

 気持ちよさそうに目を細めていたディーは、同じようにしゃがみ込むと首をかしげる。


「何がだ?」

「……こんな格好でのこのこ来たせいで、一緒にいた貴方まで恥をかくはめになったから」

「僕は恥なんてかいてないぞ」

「…………」


 たしかに、ディーは恥をかいていない。

 恥ずかしいのは、場違いな自分だけ。

 だが、一緒くたにされたディーが、正体を知らぬヒルゲネス側から嘲るような目を向けられていたのは、確かだ。


「姫だって、そうだ。貴方は、狩りの経験がないんだろう? それならば、一緒に来た者達が、責任を持ち貴方の服を用意して、支度を調えねばならなかった。……それを怠り、反省するどころか、不手際を誇るようなあの態度。……あれは駄目だ。自分たちは無能ですと、大声で触れ回っているも同然だ」

「……でも、私もやっぱり無知だったわ。……本当の事を言うとね、セライアに行くように言われてすぐ、礼儀作法の本を色々読んだの。知識を頭に入れておけば、きっと大丈夫だって思って」


 他人は信用できない。

 指南役を呼んでも、嘘を教えられる可能性がある。

 けれど、書物は嘘をつかないし、自分を馬鹿にしない。

 そう思って、ルーナは一人でせっせと知識を詰め込んだ。


「……上辺を整える事に精一杯で、こういう所にまで気が回らなかったから、ボロが出ちゃった」

「狩りがしたかったのか?」

「そうじゃないの。……ただ、恥ずかしくない人間になりたかったの」

「……」


 褒めてくれる人なんて、誰もいないのに。

 呟いたルーナに、ディーの手が伸びてきた。


「……」

「……なに、この手?」


 自分の頭の上で、不自然に止まった手を見上げ、ルーナが問いかける。

 すると、ディーは決まり悪そうに言った。


「……貴方が、あまりにもいじらしくて……慰めたくなった。けれど、僕は貴方の許可無く触れないと誓っている事を思い出した」

「貴方って、どこまでも律儀ね」

「あきれないでくれ、姫。これはゆゆしき事態なんだ。……僕は今まで、自分が口にした約束を破るなど、したことがない。それなのに、今はあの誓いを反故にして、自分の欲を優先させたいと思っている」


 さも深刻そうに語るディーに、ルーナはとうとう笑みをこぼした。


「欲なんて、大げさね」

「大げさなものか、僕は――!」


 頭の上を彷徨っている大きな手を、ルーナは自身の両手で掴む。


「姫……!?」

「いいの。――貴方なら、いくら触れても構わないわ」

「!」


 目を見開いたディー。その顔が、じわじわと赤く染まっていく。


「……姫」

「なぁに?」

「……話は、最後まで聞いた方が良い」


 両手で包んでいたディーの手が、するりと抜け出る。

 そして、逆にルーナの左手を掴んだ。ディーはそのまま右手を自分の口元に持って行く。


「僕は、いつでも貴方に触れたいと思っている」


 はっきりとした言葉を紡いだ唇が、ルーナの薬指に触れた。


「……だから、あまり簡単に、そんな事を言わない方が良い」

「……馬鹿」

「え?」

「……何かと思えば、馬鹿馬鹿しい。……別に、簡単に言っているわけじゃ無いの。勘違いしないで」


 きょとんとした顔で自分を見つめるディーに、ルーナは「鈍感」と一言呟くと、きゅっと手を握る。


「貴方だから、良いって言ってるの。……貴方じゃなきゃ、許さないわ」

「…………姫…………!」


 ようやく、意味が通じたディーの表情が華やいだ。

 笑顔に見惚れている間に、するりと長い腕が伸びてきて抱きしめられる。

 しゃがみ込んでいたルーナは、不意打ちのような行動に体勢を崩し、そのままディーの方へ倒れ込んだ。

 ごろんと草の上に寝転がる形になったディーは、ルーナをしっかり腕に抱いたまま、快活な笑い声を上げる。


「僕は今、世界で一番の幸せ者だ」

「……それはどうかしら」


 ルーナは、ほんのりと頬を染めて言った。


「世界で一番幸せなのは、私の方だと思うわ」


 意外な答えだったのか、ディーは驚いたような顔をした。しかし、次の瞬間には、心底嬉しそうな笑みを浮かべ、抱きしめる腕に力がこもる。


「それなら、僕達は今、世界で一番幸せな者同士という事だ」

「ふふ、なんだか私達、子供みたいね」


 草の上の寝転がって、幸せだなんだと言い合うなんて、普段だったら想像も出来ない事だった。

 けれど、今のルーナは素直に言葉にする事ができた。


「でも、……とっても幸せね」

「あぁ」

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