十三話
ルーナは、女王の鋭い質問に答えられなかった。
答えなど、もっていなかった。
「そなたは姫だ。であるにもかかわらず、いいように扱われているのは、示せるものが何もないからだ。……わらわは、腑抜けは好かぬ。義理とはいえ、娘になるのならば、一つ気概というものを示して欲しいものじゃな」
「母上!」
「……おぉ、ディー、起きていたのか。あまりに静かだったから、寝ているのかと思ったぞ」
「茶化さないで下さい。……なぜ、姫にそんな嫌な言い方をするのですか」
黙っていたディーが抗議の声を上げると、女王は大げさに驚いて見せた。そして、肩をすくめる。
「嫁と姑は、どこもこんな関係だ。仲良しこよしなど、幻想に過ぎぬ。――姫、よくよく考えてみるといい。答えを示せぬのならば、そなたはヒルゲネスからセライアに逃げてきても、ただのお飾りにしかなれぬよ」
「逃げる、ですって?」
「あぁ。ヒルゲネスでは誰にも相手にされなかったから、そなたは良くない噂の第三王子でもいいと、セライアに来たのだろう? これが逃げ以外、なんだというのじゃ」
女王は確かに美しかった。
そして、息子であるディーには慈しみに溢れている。
けれど、ルーナに対しては時折斬りつけるような鋭い一言を投げかけてきた。
「…………そんなに私が気に入らないなら、ヒルゲネス王に断りの文言を。私の一存では、どうにもなりませんから」
「ヴァッサー王が、否といえば、そなたは納得するのか? ディーとは縁が無かったと、割り切れてしまうのか」
「――っ」
何を言わせたいのだ、この人は。
怒りが顔に出ないよう必死に唇を噛み、ルーナは視線を床に落とした。
ヒルゲネスでもよく使った方法だった。王の顔を見ないように、自分の感情を見せないように。
必死に考えた苦肉の策は、心を読める女王の笑い声によってあっけなく破られる。
「我が息子も、見くびられたものよ。……これは我が国の太陽。自ら立つ事も出来ぬ脆弱な者が触れては、燃え尽くされるのが関の山じゃ。――ヴァッサー王には、太陽に並び立つ星では無かったと伝えておこう」
「母上、お待ち下さい!」
「ディエムノクス、そなたは口を出すな。これはわらわが、女王として決めること。嫁が欲しいのならば、気立ても良く見目もそなた好みの愛らしい娘を探してやる」
同じだ。
馬鹿にされている。
また、馬鹿にされている。
気まぐれに手を差し伸べたふりをして、価値がないとうち捨てる。
あわてふためく自分の姿を見て、笑うのだ。
――価値がない、と。
「……でしたら、最初からそのように」
「……何?」
「わざわざ、無価値な姫を呼びつけずとも、そのようになさればよかったと言っているのです。可愛い息子のために、貴方が気に入る娘をあてがえばいい。……我が王にも、女王陛下のお眼鏡にかなわなかったとお伝えします」
女王の顔に、失望が広がった。
「…………残念だ」
「はい、私も残念です。――好ましいと思う方と出会えたにもかかわらず、付属品が最悪でした」
思い切り嫌味をこめてやれば、女王は意表を突かれたようで驚いた顔をした。
ルーナは、できうる限り優雅に、かつ憎たらしく、微笑んで見せた。
「では、失礼いたします。セライアの女王陛下」
(読めるものなら、いくらでもこの心を読んでみなさい。この、意地悪姑! 息子べったりの女王が、こぶのようにくっついてたら、ディーがどれだけ素敵な人でも、みんな逃げ出すわよ! 息子の嫁よりも、貴方と合う人を探した方が、犠牲者は少なくすむでしょうね!)
心の中では盛大に毒を吐き捨て、退室する。
もう、失格の烙印を押されたから、わざわざ心など読んでいないだろう。読んでいたとしても、構うものか。
そう思っていたのだが、女王の口元がぴくぴくと引きつっている。
また見たのだなと思ったルーナは、ダメ押しに叫んでやった。
(人の心は、本来見えないものなんだから、心の中の悪口に怒る方がどうかしてるのよ! 覗き見する方が悪いわ! ……えぇと……この、覗き魔!)
がたりと、女王が勢いよく立ち上がる。
「待て!」
背筋を正したくなるような、ぴしっとした声が響いた。
自ら立ち上がった女王は、退室しようとしていたルーナの元へ歩み寄ってくる。
「ルーナ姫……、我らセライア王家の〝星読み〟の力を知った上で、ようもまぁ、そんなことが言えたものだな」
「……私は、何も口に出してはおりませんが?」
「ふん、戯れ言を」
女王の手が、ルーナの方へ伸びてくる。
「だが、よく言った、ルーナ姫」
ぽんっと自分の頭に手が置かれると同時に、先ほどより親愛のこもった声が聞こえ、ルーナは驚いて顔を上げる。
すると、満足そうに笑う女王がいた。
「その恐れを知らぬ暴言っぷり。なかなか愉快だ、気に入ったぞ」
「……え? どの辺が、ですか?」
「ふふん、全てだ。〝星読み〟の力を恐れるどころか、覗き魔などと呼称してくるとは、……実に面白い娘じゃ」
怒りは見えない。
先ほどの失望も、どこかへ消え去っている。
ため息をついたディーが、扉の前でわちゃわちゃしている二人の方へ近付いてくる。
「すまない、姫。母上は、悪ふざけが過ぎる人なんだ。よくこうやって、人を試す」
「悪意がないか、調べているだけじゃ」
「…………一応、こういった大義名分があるようだから……気を悪くしただろうが、セライア王国を嫌いにならないでくれ」
「ディー。ここは、母のことを悪く思わないでくれと言う場面ではないか?」
真面目な顔で頭を下げるディーだったが、一切触れてもらえなかった女王が不満そうに口を挟んだ。
ディーは「全く思いません」と首を左右に振る。
「…………将来的には嫁と姑となる我らの関係を、少しでも良好にしておきたいとは思わないのか?」
「さきほど、嫁姑関係が良好なのは幻想だとおっしゃったではありませんか。ならば、僕は姫の夫として、彼女を守らねばなりませんので、母上の味方は出来かねます」
「――なんと……! ディーが、まともな事を言い出す日が来るとは……!」
噂で何度も耳にしていた、神秘性と威厳を併せ持った偉大なる女王とは何だったのだろう。
ルーナの目の前にいるのは、普通の親子だ。
どこでも目にすることが出来るだろう、力など関係無い、ごく普通の親子。
(……いいなぁ……)
それは、無意識に溢れた、ルーナの本音だった。
意図する事無く胸中で呟いた声に、ルーナ自身気付いていない。
けれど、〝星読み〟の女王にだけは、寂しい声が確かに聞こえた。
ディーを構うの手を止め、女王は再びルーナに笑いかけた。
「ルーナ姫。そなたが我が娘となる日を、心待ちにしておるぞ」
「――」
頭に乗せられた手が、ルーナの髪を乱さないように優しく動く。
幼い頃ずっと憧れていた、母の手。
望んだ時は、決して得られなかったあたたかい手が、他国にて与えられたのは、皮肉としか言えない。
どういう顔をすればいいか分からなくなったルーナは、手を払う事も出来ず、ただ俯いた。
「……母上、姫から離れて下さい」
「ディーは、この通り心が狭い。鬱陶しい時は、適当にあしらいつつ相手をしてやってくれ。……それと、姫には新しい部屋を用意しよう」
ふと、ディーが弾かれたように肩を揺らした。
「……すでに、ご存じでしたか母上」
「うむ。……じゃが、わらわが口を挟めるのはせいぜい、ここまでだ。姫が命を狙われたと言ってしまえば、セライアの兵は何をしていたと叩かれる。警備を申し出ようが、ヒルゲネスがセライアを信用できないから自分たちでやると言えば、それまで。……迂闊に手出しは出来ん。…………だから、ディエムノクス。そなたが守れ」
女王に言われたディーは、神妙な顔で頷いた。
「元より、そのつもりです」
「ならばいい。ルーナ姫に傷一つ付けるな。奴らに、付け入る口実を与えるな」
「はい、女王陛下」
胸に手を当てて一礼したディー。
ルーナは、不思議な親子を見つめて考えた。
(――奴ら……? つけいる口実……? セライアが信用できない……)
気になる言葉を頭の中で羅列する。
そして、ここに来る前に聞いた、娘の涙混じりの叫び声を思い出す。渋々自分を見送った男の、怒りに満ちた表情を思い出す。
(――……)
ヒルゲネスでは、力がある者が正しい。
力の無い姫など、敬う対象にはならない。
敬うどころか、その目障りな姫さえ消えれば、うまい話が自分の元へ転がってくる可能性がある。
ラインはなぜ、妹を連れてきたのか。なぜ、その妹は我が物顔でラインに付き従い公の場に出たのか。なぜ、誰もそれを咎めないのか。
――全ては、〝そういう事〟だったから。
(まさか、ここまでだったなんて……)
ふと、ルーナの肩から力が抜けた。
怒るよりも、なんだか笑いたい気分だった。
自分はどこまでも滑稽な、はりぼて姫だったと認識したら、無性におかしくなったのだ。
「自棄になるなよ、姫」
女王の見透かすような目が、ルーナに向けられた。
大丈夫だと、ルーナは笑う。
「もちろんです。……なんだか、霧が晴れた気分になっただけですから」
「ほう?」
王は、全て承知で自分を彼らに付けたのか。
いや、違う。そもそも、最初から無かったのだ。
ヒルゲネスの使者達。その誰もが、初めからルーナにはなんの興味も無かった。
人が無価値な石ころに関心を払わないのと、同じだ。
ルーナがどれだけ肩肘を張っていても、他人はなんとも思わなかった。意識していたのは、ルーナだけ。
(それなら私も、好きにするわ)
ヒルゲネスの無価値姫ではなく、ルーナという人間として、どうしたいか。
答えは決まっている。
(捨て石として殺されるなんて、真っ平ごめんよ。……私は、死にたくない。死ぬ気もない)
ちらりとディーを見れば、彼もまたルーナを見つめていて、目が合うと微笑んだ。
その顔を見ていると、もっと一緒にいたいと思う。ディーの事をもっと沢山知りたいと思う。
だから、死ねない。
(ライン達の考えている事は、馬鹿馬鹿しいわ。実に馬鹿馬鹿しくてくだらないけれど、……私は見過ごせない)
ならば、自分は立ち上がらなくてはならない。
味方はいないけれど――と考えたルーナの心を読んだかのように、ディーが言った。
「僕は、姫……貴方の味方だ」
彼には、〝星読み〟の力は無いはずなのに、ルーナが欲しい言葉を当たり前のようにくれた。
「…………っ」
気の利いた返事をあれこれ考えたけれど、結局ルーナが口に出来たのは一言だけ。
「――はいっ……」
嬉しくて泣きそうだった事は、穏やかに二人を見守っていた女王にはバレていたに違いなかった。




